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九
ここは工場Uの休憩室。
休憩室には幹部以下の従業員が自由に出入りしていいことになっている。
白茶けた長椅子に座って、一人の女性がため息をついていた。
「お腹すいた…」
薄い腹を撫でながら呟いている。
彼女は作業員で、名を刻鐘寧夏という。さらさらと自由に流れる黒髪に翡翠の瞳、ノースリーブの黒いタートルネックという出で立ちで、肌の白い涼しげな女性だ。
寧夏がぼんやりしていると、二人の従業員が入ってきた。梦来と晴臣だ。
「お、やっほー」
「あれ、寧夏ちゃんじゃん」
「お、お知り合いですか?」
手を振りあう女性二人に、晴臣が少したじろぐ。梦来がこっくりと頷いた。
「作業員の刻鐘寧夏ちゃん。前清掃に行ったときに知り合ってさ。
寧夏ちゃん、この子加賀沢晴臣くんね」
「ふぅん、じゃあハルくんね」
「はぁ…」
初対面とは思えない気安さで話しかけてくる寧夏に若干気後れしつつも、そうしたニックネームで呼ばれることが晴臣には嬉しかった。
「ていうかさぁ、あんたたち何か食べるもの持ってない?私お昼食べ損ねちゃってさ」
「あー、今の時間じゃあもう食堂閉まっちゃってるもんねぇ」
梦来が首を傾けて言う。工場Uは社食制で、正午から二時まで食堂が開いている。しかし、三時半を過ぎた今ではとっくに片付けが終わってしまっているだろう。
「…あー、ごめん、鞄の中にお菓子入れてたんだけど、今は持ってないわ」
「えー」
ポケットを漁った梦来が首を振った。寧夏は残念そうな声をあげる。その様子を見ていた晴臣は、ポケットを少し探り、小袋を取り出した。
「…食べますか?おいしいですよ」
「えっ、ハルくんいいの?」
寧夏がぱっと顔を上げる。晴臣はかすかに微笑んで頷き、小袋を差し出した。
晴臣が取り出した小袋は、市販のグミだった。小袋一杯に桃の絵が大きく描かれている。
「えー、ありがと!」
「いえ…」
寧夏が縁を破ってグミを取り出す。桃の良い香りが休憩室に漂った。
「なんかファンシーな匂い」
「ね。仕事はあんなにグロいのに。
てか寧夏って、何で作業員になったの?」
「そうね。まぁ、この仕事面白そうだったし。スラム街居たから死体とか慣れてるし」
「えっ…」
晴臣が驚きの声を上げる。寧夏はその反応を見てくすくす笑った。
「冗談よ。ブラックジョークってやつ」
寧夏は愉快そうに口角を上げ、グミの最後の一つを口に放りこんで立ち上がった。
「じゃ、ハルくんグミありがとね。私そろそろ行くわ」
ひらりと休憩室を出ていく寧夏を横目に、梦来は仕事の疲れを取るように伸びをし、晴臣はカップに給湯器の茶を注いだ。
残酷な仕事をしているといえども、休憩室には普通の会社と変わらぬゆるやかな時間が流れる。清掃員二人は暫く休憩室で骨を休めていた。