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#19
--- 数年前 ---
「――ねぇ。なんで奈落に堕ちる人は、みんなあんな風になっちゃうの?」
ふとした疑問に、いかつい大男が喉を鳴らして笑った。
「罪を犯したからだ。法を破り、人の道を外れた者が、あの底へと堕ちる。……ただの理屈さ」
「……ふぅん。そういうものなんだ」
少女の頭に置かれた大きな手のひら。髪をかき混ぜるその手とは裏腹に、叔父はひどく遠くを見つめるような、悲しい顔をしていた。
「そうだ。お主に譲っておきたい物がある」
渡されたのは、鞘すらも傷だらけの古びた刀だった。
「いいの? これ、叔父ちゃんの宝物だったでしょ」
「ガハハ! 宝物だからこそ、お前に持っててほしいんだよ」
叔父は少女の肩に手を置くと、真っ直ぐにその目を見た。
「いいか。その刀も、お前自身もだ。……今はまだ名を持たぬが、いつか必ず『名』を与えてくれる者が現れる」
「名を与える……? よくわかんないよ」
「いつかお前を愛し、守り合える仲間ができるってことさ。その時、本当の意味でお前たちは完成する」
「……? 僕は、叔父ちゃんがいればそれでいいのに」
食い下がる少女を制するように、叔父は穏やかな、けれど拒絶のような響きを含んで呟いた。
「わしの先は、もう長くはない。……これは、決定事項なんだ」
---その「決定」は、あまりにも早く、残酷な形で執行された。
「――っ、叔父ちゃん!?」
突如、家の扉が蹴破られたような轟音が響く。
現れたのは、白装束に身を包んだ天界の執行官たちだった。彼らの冷徹な瞳が、叔父を捉える。
「……来たか」
叔父は驚く様子もなく、むしろ覚悟を決めた顔で立ち上がった。
「待って、なんで!? 叔父ちゃんは何も悪いことしてないっ!」
少女が叔父の服の裾を掴もうとした瞬間、叔父はその手を力強く振り払った。
「行け、レイラ! その刀を持って、裏の隠し通路から走れ!」
「嫌だ! 離さないよ!」
「……聞き分けのないことを言うな。お前はまだ、完成していないんじゃ」
叔父は初めて、少女を突き放すような厳しい声を出した。
執行官たちの手が叔父の肩を掴む。叔父は抵抗せず、ただ最後に一度だけ、奈落へと続く「穴」を指差した。
「自分の風を掴め。……振り返るな!」
背後で響く怒号と、何かが壊れる音。
少女は裸足のまま、託された刀を抱えて暗闇を駆け抜けた。
心臓の鼓動が耳元でうるさく鳴り響き、視界が涙で滲む。
追っ手の足音が近づいた時、少女の足元がふっと消えた。
「――っ、あ」
そこは、天界の端。
捨てられたゴミが飲み込まれていく、底の見えない暗黒。
重力に引かれ、体が宙に浮く。
遠ざかる天界の光の中で、最後に見えたのは、連行されながらも自分をじっと見つめる叔父の、穏やかな微笑みだった。
「(叔父、ちゃん……!)」
声にならない叫びと共に、少女は真っ逆さまに堕ちていく。
その手には、まだ名前も持たない、錆びた刀だけが握られていた。
---
現在
「……レイラ?」
ルドの声にハッと我に返る。握りしめていた「刻風」の柄が、手のひらに痛いほど食い込んでいた。
壁に描かれた「黒い月」は、今、ルドの持ってきた白によって新しく塗り替えられようとしている。
(……叔父ちゃん。僕、もう振り返らないよ。……ここで、完成してみせる)
🔚