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帰るべき場所
「…さて、と。これからどうするつもりだ?」
「え?えっと……」
ネロに言われて初めて、エリスは気が付いた。拠点も、食料も、その他生活必需品も…生きていくために欠かせないものを、エリスは何もかも持っていなかった。
「…まずは、住む場所が欲しい…かな」
ネロは顎に手を当て考え込むしぐさをすると、しばらくしてからぽつりと答えた。
「…廃墟でもいいのなら、心当たりはあるぞ」
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——彼らが訪れたのは、廃墟となった教会だった。
夕暮れの光が割れたステンドグラスをすり抜け、床に滲むような色を落としていた。紫がかったその光は、埃に満ちた空気をゆっくりと染め、倒れた祈りの椅子や欠けた天使像の影を長く引き伸ばす。
エリスはしばらく立ち尽くしてから、静かに息をついた。
ネロは祭壇に腰を下ろし、革のグローブ越しに指で埃をなぞる。
「綺麗とは言えないが、雨風は凌げる。悪くないだろう?」
「…うん」
エリスはそっと壁に触れた。冷たい石の感触がじんわり伝わる。不思議と胸の奥は静まりかえっていた。
「この世界では、“神”ではなく“天使”を信仰することが多い。ここもそのようだな」
誰も祈らず、誰にも見られなくなったこの場所。天使の名を掲げたまま忘れられたこの建物は、今はただ、彼らを拒まず佇んでいた。
エリスは小さく頷く。
「……私、ここがいい」
その一言で、すべては決まった。ネロは口の端を上げ、ステンドグラスの光を背に告げる。
「あぁ——ここがお前の、“帰るべき場所”だ」
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「…さて、食料はどうするつもりだ?このままでは街に行けないぞ」
「う~ん…魔法で髪色を変えたりとか?」
「残念だが…黒髪と白髪は、魔法では色が変えられない」
「そうなの?」
「もし、ちゃんとした食べ物を食べたいのなら…盗むか、自分で採ってこい」
「ぬ、盗むなんて出来ないよ…」
「……はぁ、わかった。俺が食えそうなものを採ってきてやる。調理はお前がやれ」
「えっ、待っ」
エリスがネロを止めるよりも先に、彼は大きな黒い羽を広げ飛び去ってしまった。
(どうしよう……私…)
「——ほら、採ってきたぞ」
「ひゃっ?!」
突然後ろから声を掛けられ、びくりとエリスの肩があがる。元凶は楽しそうに笑う。
「良い反応だな、嬢ちゃん」
「驚かさないでよネロ…」
「悪魔はひねくれているものだ。それよりほら、食料だ」
「…あ…」
どくり、とエリスの心臓が跳ねる。焦りと申し訳なさが交互に浮かび、鼓動を速めていく。
「その、私……」
「——料理、作れない…」
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「…ほら、出来たぞ」
「わぁ、すごい…!」
「まったく、世話の焼ける“友達”だな…」
ため息をつきながら、エプロン姿のネロは手際よく料理を並べていく。恐ろしい存在のはずの悪魔がそんな恰好をしていることが面白くて、エリスはついクスクスと笑ってしまった。
「ほら、冷めないうちに食え」
「…あっ、このスープおいしい…!!」
肌寒い夜に飲むスープは、やはりおいしい。しかも、“友達”が自分のために作ってくれたとなれば尚更だ。
「…火傷するなよ?」
ネロは、ぶっきらぼうに呟いた。
「ふふ…ありがとう、ネロ。心配しなくても大丈夫だよ」
「…ふん」
相変わらず素直じゃないネロの反応に、エリスは小さく微笑む。
エリスは、たしかに温かな気持ちを感じていた。
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——誰もいなくなった、森の中。
冷え切った静寂を、一人の男が切り裂いていく。
男が羽織っている白いマントは、夜の暗闇によく映える。腰に差された小綺麗な剣が、男の勇姿を物語っていた。
男は、美しい白髪と澄んだ金色の瞳の持ち主だった。
例えるなら、それは——現世に舞い降りた“天使”のようだった。
「…この辺のはずなんだが…」
男は、一人呟く。
「——『|悪魔の血を引く者《インフェルノ・ブラッド》』を見かけたという目撃証言があった場所は」