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Ⅰ.双眸の陽
雲が乱雑に散らばった青空に、赤く染まった葉っぱがよく映えていた。青と赤の間に交じる白がどうにも感傷を覚えずにはいられず、変な動悸ですらあるようだった。
その光景を映す瞳が机上のコップとノートパソコンを映す。コップの中には真っ黒な穴のようなコーヒーが入っている。コーヒーに映る男性の肌は青白く、隈の目立つ暗い灰色の瞳が印象的だった。しかも、伸び気味の黒髪がそれを増幅させているようで、何とも不気味だった。
陰気くせぇな。陰気くせぇ顔だ。15年前のあの日から、何も変わっちゃいない。
2011年に幕が開いた。あの例の子どもたちを骨の髄まで腐らせ、肉すらも骨すらも残さずに人生を食い潰した事件は、2023年に終わり始まり、2026年にようやく幕を閉じた。
なんでも、世間では、田舎を出た若い奴が都会で3年間も人を殺し続けたってことになっている。それを解いた探偵とやらも何故か後を追うように亡くなって、それっきり情報の波に呑まれて消えてしまった。噂では助手と心中したとか、別の事件の不慮の事故で亡くなったとか、確証のない話ばかりがある。
きっと、2011年の頃に会った少年も生きているのなら、20代半ばの年齢になっていることだろう。
ルポルタージュを打つキーボードを止め、コップの中のコーヒーを一気に飲み干した。ひどく冷めた苦々しい味が舌で躍っている。味も、記憶も、何もかも知っている。語っている。騙っている。
何しろ、我々は幼い頃に覚えた言葉を反芻し、語り継いでいるだけに過ぎないのだから。だから、語り継ぐのだ。どんなに捻れて荒んだ道程の隅で、足を挫かれた子どもたちの姿を。二度と繰り返さないように。繰り返すことがないように。
狐に戸愚呂を巻かれ、動けなくなった少年少女たちの為にも。
くだらない信仰の果てに紐で身体をがんじがらめにされた者が、夢の中で喰われた夢を。狐に気に入られた子どもの悪しき思惑とその罪を。神を騙った妖に踊らされた子どもたちを。贖罪せねばならない。雨に濡れた幼竹を育てた残り物にすら。
何分、罪を重ね過ぎたのだ。呑まれ過ぎたのだ。呪いだ。これは、呪いなのだ。
日村修。日村遥。梶谷湊。畠中秋人。神宮寺朔。神宮寺大和。八代亨。八代十綾。
君たちには申し訳のないことをした。どんなに悔やんでも悔やみきれぬことだろう。どんなに恨まれても、しょうがないことだろう。
それほどの罪を犯してしまったのだ。悪かった。申し訳なかった。すまなかった。許してくれ。許してくれ。許してくれ。どうか、許してくれ。
背負うべきではなかった。背負わすべきではなかった。我々は狐を焼き払うべきだった。朔と名付けた少女は今も手放していない。今に亨と名を語る少年も現れるだろう。未だに狐は空腹なのだ。近頃は妙な力を持たんとする人の子も聞くという。あれは消えてはくれない。想いがあるかぎり。想いがあるかぎり、決して消えぬのだ。
どうか、どうか、どうか、許してくれ。
あの時、オカルトや新興宗教になど手を出さなければ、誰も贄にならずに済んだ。ひっそりと、暮らしている影が陽を侵食することなどなかった。
どうか、また少年少女たちに、愛を語り継ぐことができるように。胸に、軽々と愛を。
その贖罪の懺悔するように、また語るとしよう。幸い、まだ手は動く。何も喰われてはいない。己だけが、その禍根を残し、生やしていればいいのだ。
我々の、私の、俺の、話は、罪は、語りは、2011年に遡る。
覚えておく必要はない。ただ、どうしようもない過ちを餞にしているだけに過ぎない。
どうか、忘れてくれ。狐と贄の笑ってしまうほどに悍ましい罪を。