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9 さえずり
アナウンス音声に隠されていた音が、空からぱらぱらと降ってくる。
危機感を煽る異常事態を否応なしに告げてくる。中断していた『|授業《ゲーム》』という名の『|生存《デス》ゲーム』。それが再開しようとしている。
拠点にいる人たちは、もう奥の部屋に逃げ込んでいる。より安全な所を求めて、奥に奥にとモグラのように突き進んで閉じこもった。そうしないのは女の軍服と白と黒の着流し。その二人だけ。
「出るか?」
零は殺気早く鞘に手を添える。いつでも大丈夫だというようにして。
しかし女は待てと制した。
「不用意に手を出すと面倒だ。気づかれないように隠れること。これが隠密行動の基本指針だ」
「俺はあんな雑魚には負けない。先程で俺の実力は解っただろう」
「分かってる」
建物の振動が伝わり、女の黒い軍服も若干揺らめいているような感覚を覚える。一瞬船に乗っているような、空爆を受けている最中の塹壕にいるような。それは零の着流しにも適用されている。
「だが、貴様でも今回のは無理だろう」
「俺のことを見くびっているようだな」
「違う、そうじゃない。『|授業《ゲーム》』のときは指揮官がいてな。軽く言ってしまえば|不死《・・》なんだ」
「不死、だと?」
「しっ」
女は口元に指を突き立て、静かにさせる。唇の色は紫の混じった赤色。聞き耳を立てている。
「……どうやら遠ざかったようだ。これで戦わなくてもいい戦闘を避けられた」
「不死の指揮官とは何だ」
零は女に訊いた。
指揮官がいることに関しては特に疑問は生じない。今までの敵は所詮、『|授業《ゲーム》』以外での敵。定常的に湧く通常モンスターといったところだ。
先ほどのアナウンスによって『|授業《ゲーム》』が始まった。『|授業《ゲーム》以外』と『|授業《ゲーム》』で出てくるモンスターでは、出現数も力も桁違いなのだろう。
指揮官が出てくるということもあって、それ以上の大物も出てくることは容易に推察できる。
それでも、零の今までの経験から察するに、それでも「特に問題はない」と思われた。
一部、聞き捨てならない単語を除き。
女は口元の人差し指を降ろし腕を組む。近くの壁に、トンッと背中を預けた。
スカートから軽い|衣擦《きぬず》れとともに紙のケースを取り出した。中から一本、紙たばこを取り出す。
先に火をつけた。長い長い一服目。顔をやや上に向けて、天井に煙を放射する。零は黙ってその動作を見ていた。
そうして数度、腕は往復し、タバコを持った手を止めた。
「死なない敵ってことよ」
「それは解ってる。アンデッドの類いか」質問すると今度は俊敏に答えてくれた。脳に成分が届き、クリアになったのだろう。
「いいえ。姿形は腐ってるが、|骸骨兵《スケルトン》や|腐肉《ゾンビ》ではない。まあ、若干野鳥に似てるかもしれないけど。『モズ』と言われるだけあるし。仕留めることは可能よ。ただ『|授業《ゲーム》』のたびに生き返るのが面倒で、弾の数がもったいないってことだけ」
「燃やせばいいじゃないか」
吸いながら、肩に乗ったホコリを嫌そうに払いのけていた。
「それが不燃なのだ。よく言うだろう。『神が創りしものは燃えることを知らない』って。神の眷属らしく、指揮官は「不死身」というわけ」
建物の揺れは先ほどに比べ落ち着きつつあるが、未だ震度4程度はある。耐えられるものの未だ不穏を拭えない騒音……。
「ねぇ、ちょっと開けてみてくれる?」
外の様子が気になったのか、タバコの持つ手でドアの方を示した。少し口調も女よりにやわらかくなっていた。こちらが素のようである。
零は了承し、指示に従う。着流しを揺らして、少しだけドアを開けた。
開けなくとも分かる通り、廊下は相変わらずの景色である。何も変わらない。床はぐっちょりと血でぬれている。
一瞬、赤い色に紛れて茶色が見えたことで、零は一気に周囲の警戒レベルを引き上げた。しかしそれは敵ではなかった。
この拠点に入室しようとしたときからある、何も変わらない首塚。『|三角刑の生首塚《サクリファイス》』の一角を構成する髪色だった。
もはや生気を失っているというのに、存在感だけはひと際ある。人間のみだと思っていたが、別の種族――獣人のような、長い耳が付いている。しかし、根元からだらりと垂れ下がってしまっている。路傍の石だというのに、落ちくぼんだ|眼窩《がんか》の先にあるだろう瞳孔が、生きている人々を険しく睨みつけている。
廊下という、生存者のいない地下の道。しかし――その地下めがけて、上の地表から隕石のように降り注ぐ声があった。顕著な存在感を発揮している。叫び声の軍勢である。
「助けてくれぇーーー!」
「うわぁーー!」
「ギャァアー!」
喉がちぎれんばかりのおびただしい音量。
厚い建物の基礎部分を軽々と突き抜けてくる。建物の骨組みはおそらく金属のような物でできているので、建物内に音が染みこんで消えるまで相当な時間がかかっている。それまで地響きのように鳴動する悲鳴、泣き声、断末魔。新たな叫び声も足されていくので終わりはない。
「上に、生存者がいるようだが」分厚いドアを開けたまま、零は壁に|凭《もた》れた彼女に語りかける。
「……のようね」
彼女はタバコを取り換えていた。古い方は指で弾き飛ばし、零によって開けられたドアの隙間の方に投げ捨てた。廊下の赤い濡れた床と接触して、遠くでジッ……、と火の消える音がする。
「もういいわ。閉じて」
新しいくわえタバコを手で隠すようにして火をつける。零は顔をしかめた。
「見捨てるのか」
「勘違いしないで。|拠点《ここ》以外に生きてる人はいないと思って。これ、『|指揮官の声《偽声》』よ」
「|指揮官《偽声》? 魔物の声か?」
「罠なのよ」
女は一服を堪能している。
一方零はやはり眉をしかめている。彼女の言葉の真意を計りかねているようだ。
「完全に人の叫び声にしか聞こえないが」
「初めてだとそうでしょうね。彼の言葉を借りればこれもまた『初見殺し』になるの。この声で呼び寄せて喰らおうとしているの。私たち以外にもう、生存者なんていないのに。それを助けようとする不届き者を……。でも耳を済ませてみて。この声たち、どこか合成された色をしているでしょう?」
そういわれた零は、今も|大量殺人《スプラッター》の最中のような、上階から響く声に耳を澄ましてみた。……たしかに、叫び声の種類は多様だが、声は濁っており、そこまで鮮明化されていない様子だ。
「取り込んでいるのよ。その、|犠牲者《ひと》の声帯を……ね」
首を動かして目線を振った。零は振り向き、ドアの隙間からのぞかせる、『|三角刑の生首塚《サクリファイス》』の一部を手に取った。頭をひっくり返して、斬られた断面を上にしてみる。彼女の言う通り、たしかに声帯部分はない。ただの首だと思っていたが、その部分はきれいに食いちぎられている。顎を境に、首部分はもうないようなものなのだ。
手に持った首をもとに戻して、零は扉を閉めた。一気に音量はドアの向こう側に封じられる。
「なるほど、だから死体が転がってないということか。『モズのハヤニエのイケニエ達』。すでに指揮官「モズ」のハヤニエにされているから」
「ご明察の通り。だからいろいろな声が聞こえてくる。離れて聞けば、モズのような小鳥のさえずりに聞こえてくるでしょう?――そういう趣旨の『|授業《ゲーム》』なの」
迫る危機が去ったためか、彼女の顔に余裕の表情が戻っている。
足元にはそのまま落ちた灰が小さな島を作っている。建物全体を襲っていた強い振動も、その灰の島でも耐えられるくらいには弱まっており、疑似的に作られた『犠牲者の声』もまた遠ざかっているようだ。「モズ」は縄張りを持ち、周回しているのだろう。
「ひとりうろついていると、先ほど聞いたが」
零は自分で閉じた金属扉を見つめている。
「あら、何も知らないかと思ったのに。誰に聞いたの、ノース?」女は零の方を向いた。
「すれ違ったときに、軽くだが」
「さっき、|拠点《ここ》以外に生きてる人はいないと言ったけど、正確に言えば生存者はいるわ。でも――」
分厚いドアを掠るような高い笛の音が鳴る。廊下側にかすかな風の運び。
「悪いけど私、夢を見ないタイプだから。どこにいるかもわからないその一人のために、拠点にいる人たち全員を犠牲にしたくないの」
「……なるほど。現実主義、堅実主義か」
この拠点は主に二つの部屋に分けられている。一つは二人のいる大部屋、その奥にもう一つ。だから、意外と静かな雰囲気である。
二人以外、戦闘できるものがいない。そのほかは、非戦闘員、無能力者ということになるのだろう。零は戦闘員の少なさという観点から理解する。
「その方が合理的だ。現状をちゃんと分析している。今はアンタの考えに従い、大人しくしておこう」
「その理解に感謝するわ」
「だが、敵を作る考え方だ。一団を束ねる者として、行き過ぎた冷徹さは統率力を低下させる」
「ご忠告、痛み入るわね」
女は自分の髪を触る。新緑色の長い髪が、しなやかな指の隙間を通って再び一つにまとまる。
「でも、人に嫌われるのにはもう慣れてしまったわ。軍人として、というのもある。嫌われてなんぼの職だから。少なくとも、もう一人には嫌われてる」
その一人が、先ほど飛び出していった金髪男、ノースというらしい。
「まあ、彼の気持ちも解るけど。死んだら元も子もないのよ」