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幕間 無害な分家の装い方
まとめてシリーズで読んでいる方は次の話を読んでからこの話を読んでください。
掃除を終え、ピカピカになった店内でほうじ茶を啜りながら、朱里は意を決したように立ち上がった。
「問題は明日よ。本家を迎えるのに、まさかその格好で出るつもりじゃないわよね?」
鈴音は自分の柔らかなブラウスを見下ろし、「あら、これじゃ失礼かしら」と小首をかしげた。朱里は鼻を鳴らし、奥の部屋から衣装を抱えて戻ってきた。
「当たり前でしょ! 本家は、私たちのこと『毒にも薬にもならない無害な分家』だと思ってるのよ。舐められたらおしまいだわ。見なさい、私の勝負服!」
朱里が広げたのは、襟元に控えめな刺繍が入った白の丸襟ブラウスに、落ち着いた紺のジャンパースカート。
「これなら『育ちの良い、慎ましい分家の娘』に見えるはずよ。丈も膝が隠れるくらいに直したんだから。背が低くたって、品格で勝負よ!」
キリッと背筋を伸ばす朱里を見て、鈴音は「あらあら、可愛いお人形さんみたいね」と拍手をした。
「じゃあ、私は……これにしようかしら」
鈴音が奥から持ってきたのは、光沢のあるサテンのボウタイブラウスに、深いモスグリーンのロングタイトスカートだった。
「……姉さん。それ、これから銀座の画廊にでも行くつもり?」
「うふふ、少し気合を入れすぎたかしら? でも、あちら側の方は目が肥えていらっしゃるから、これくらい質の良い布を纏(まと)っていないと、それこそ『無害』だと思われてしまいそうで」
鈴音がブラウスを体に当てて鏡の前に立つと、店内の漢方の匂いが一瞬で高級なサロンの香りに変わるような錯覚に陥った。背の高い彼女がその格好で微笑めば、本家の人間とて気圧されるに違いない。
「ダメよ、それじゃ戦いに行ってるみたいじゃない! 相手は『調査』に来るのよ? 警戒されたら元も子もないわ。……そうね、姉さんはその淡い藤色のカーディガンに、プリーツスカートがいいわ。髪もハーフアップにして、優しさを前面に出すの!」
朱里は姉の周りをぐるぐると回りながら、演出家のように指図した。
「いい、姉さん。私たちは『おっとりして何も知らないけれど、家柄にふさわしい品位だけはある分家』を演じ切るの」
「そんなに構えなくても……」
「甘いわよ、姉さんは! 本家の人間はみんな、笑顔の裏に隠し薬を持ってるような人たちなんだから。……よし、衣装は決まりね。明日の早朝、本家を迎え撃つわよ!」
朱里の宣言に、鈴音は「迎え撃つだなんて、大袈裟ねぇ」とおっとり笑った。
早速、店内の隅、大きな木枠の姿見の前で、二人は着替えたばかりの「戦闘服」を改めて確認していた。
「……どう? 姉さん。完璧に『慎ましくも賢明な分家の娘』に見えないかしら」
朱里は、紺のジャンパースカートの裾をピシッと整えながら、鏡の中の自分を鋭く睨みつけた。背の低さを補うように背筋を限界まで伸ばしているが、丸襟のブラウスのせいで、どうしても幼い愛らしさが勝ってしまう。
鈴音は、パチンと耳元にパールのイヤリングを留めると、うっとりと妹を見つめた。
「あら、とっても可愛いわ、朱里。なんだか、どこかの女学校の模範生みたい。その格好で『いらっしゃいませ』なんて言われたら、本家の方も思わず顔をほころばせてしまうんじゃないかしら」
「可愛いとか、ほころばせるとか、そういうのは求めてないのよ! あくまで『侮れない、隙のない清楚さ』が狙いなんだから。それより、姉さんの方は……」
朱里は、隣に立つ姉をじろりと見上げた。
淡い藤色のカーディガンに、柔らかなプリーツスカート。朱里の指定通りの「おっとりスタイル」のはずなのに、鈴音が纏うとどうしてか、避暑地の別荘に佇む令嬢のような、圧倒的な「格」が溢れ出してしまう。
「……やっぱり、姉さんはずるいわ。そんなに質素な組み合わせなのに、どうしてそんなに豪華に見えるのよ。背が高いから? それとも、その無駄に長い睫毛(まつげ)のせい?」
「うふふ、朱里ったら。豪華だなんて、これはお母様のお下がりの、古いウールよ。でも、なんだか背筋が伸びるわね。お家の顔として、ちゃんとしていなきゃっていう気持ちになるわ」
鈴音がしなやかな指先でプリーツの乱れを直すと、鏡の中の姉妹は、まるで古い写真から抜け出してきたような、正統派の美しさを放っていた。
「いい、姉さん。明日は絶対に、ボロを出さないでね。今のその『完璧な令嬢』のままでいること」
「ふふ、大丈夫よ。朱里がそんなに一生懸命選んでくれた服だもの。私、自信を持って本家の方をお迎えできるわ」
鈴音の包容力に満ちた笑顔に、朱里は「……ま、私が選んだんだから、当然ね」と、照れ隠しにふいと顔を背けた。
鏡に映る対照的な二人の姿。それは、薬屋という「市井」の場にありながら、確かに「浅倉の血」が流れていることを、静かに、しかし力強く証明していた。