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遠方への逃走
いきなり締め上げられたような息苦しさが高明を襲った。
事件のない平和な一日が終わろうとしていた日、定時の十分前である。
「ゲホッ……ケホッ……。ハヒュッ……」
「……っ!!コーメイ!わかるか、コーメイ!」
様子がおかしくなった自分を、屈強な一課の面子が取り囲む。
敢助が目の前に入り込み、自分の肩を叩いているのは分かった。
しかし、そんなに叫ばずとも、と軽口を叩くだけの酸素は残っていない。
「意識飛ばすなよ、コーメイ。俺だけ見てろ。由衣!椅子四つ並べろ!」
「わかった、敢ちゃん!」
敢助の指示通り、意識を飛ばさないことだけに集中を切り替える。
声にはもはや耳を貸さない。敢助の顔だけ見て呼吸に集中する。
何分たったろうか。不意に体が軽くなった気がした。
「よし、コーメイ。もう大丈夫そうだな。」
横たえられた体は、先ほどとは比べ物にならないほど軽く、呼吸も安定してできた。
何だったのだ、と思いながら、体を起こす。何故かそこは仮眠室。
運ばれたのだろう。推理しなくとも分かった。
敢助は横でホッと一息をついている。他には誰もいなかった。
「……今のは。」
一回や二回じゃない。こんなのは。
自分の体になにか異変があるのは嫌でもわかる。
けれど病気じゃない。健康診断は自分が感じている10倍は健康な値を示している。
「気にすることはねぇ。ま、念の為今日は俺の家泊まれ。」
敢助はいつもはぐらかす。何かを知っているときの目だ。
何かを、いや全てを。彼は分かっているのに自分はわからない。
そんなこと、これまでなかった。
「地を知り、天を知れば、勝すなわち全うすべし。
自分のことを知らなければ、僕は君の戦っている“それ”に勝てない。
原因は僕なんでしょう?ならば教えるほうが良策だと思われますが。」
「あぁ、良策だ。」
なら、どうして。その言葉は敢助の手で遮られた。
「『先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん』……。
俺もお前と同じで軍師だ。でも、人間でもある。誰も失いたかねぇ。」
笑う敢助の表情は、どこか悲しげで、どこか覚悟を決めているようだった。
何も言えない。自分の出した答えは彼の策よりきっと良策だというのに。
逆だった場合に自分もそうする自信があるから。
「ひでぇだろ。」
「そう、ですね。君はいつも……ひどい。」
消えて、心配かけて、ケロッとして顔で戻ってくるくらいには。
好いている幼馴染をおいて、まだ好意に気づけていないくらいには。
「おい、いつもはねぇだろ。」
「いつもですよ。そう、ずーっと。」
もういかないで、僕を、由衣ちゃんをおいていかないで。三人で、一緒に。
何度願って、その幸せが崩れることに恐怖して。仮面を被って、ずっと、そう。
とうの昔に自分が人一倍怖がりなのは自覚していた。
ただの心配性と言えばそうだけど。
誰かを失うのが怖くて、自分がやればいいと思って。
自分も敢助も大概だ。どんぐりの背比べ。……でも。
「変わらないですね、君は。」
笑えるこの日に、今日だけはしがみついていたい。
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「逃げろっ!コーメイ!!」
弾かれたようにコーメイが走り出す。
「景光!!右斜40°、距離300!」
「了解!」
大丈夫、今はもう一人じゃない。
守るのに必死だった、あの時じゃない。
取り囲む霊を蹴飛ばし、殴り飛ばし、杖で浄化しと大暴れする。
「ゼロの覇気で兄さんは包んだ!
気休めだけど、その間になんとかしよう!」
「おう!!」
|霊箱《バクダン》は元爆処の二人がなんとかしてくれているが数が多い。
いつ対処できなくなるか、分かったもんじゃない。
「敢助くん!兄さんはみんなに任せよう!
こっちはこっちで根本をやらないと、ずっと囲まれたままだ!」
「『戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ』!
やるにも今までのやり方じゃ埒が明かねぇぞ。」
敢助くん、兄さんに似てきたねという景光の言葉は無視する。
ざっと万はいるこの霊を、どう対処するか。それがいま一番の問題である。
吸い込まれているのは高明。由衣は逆方向へ離したが心配は残る。
「しゃーねぇ、キツツキで行くか。」
「もしかして、山本勘助の啄木鳥戦法?」
「あぁ。オトリは俺、でいいだろ?」
さて、と杖を投げ捨てる。
リハビリを繰り返した足はもうほとんど元通りになった。
走るくらいどうってことない。
「アイツラほどじゃなくても、こっちも好かれるタチなんだ。
ゼロの覇気、コーメイと由衣は強めに巻いとけ、俺のはいらねぇ。」
「ちょ、危ないよ!アイツラもう、暴走どころじゃないって分かってるでしょ?」
そう、分かってる。アレはもはや暴走ではない。
暴走どころでない。分かっているからキツツキなのだ。
「俺が全部、とまでは言わねぇが、八割方引き付ける。
そこを滅多打ちにすればきっと行ける。残ったやつはお前の仲間に頼んでいいか?」
「いいけど……。本当に?」
「アイツラがさらなる遠方へ、足踏み入れるだけだろ。」
そう、これは霊たちの逃走。
義務と責務を怠った霊たちの、遠方への逃走劇なのだから。
またまた解説
霊箱(れいばこ)
人呼んでバクダン。お盆やハロウィーンに大量出現する、霊が乗る電車のようなもの。
たまに季節外れの大発生を起こす。(霊に憑かれやすい人が憑かれやすい状態になったときに起こる)
帰る場所の決まっている、恨みのない霊は実害なしだが、それ以外の霊はたいていロクなことをしない。ちなみに本物の爆弾のように解体することが可能。
対処法は上記のように霊箱を解体するか、霊に憑かれやすい人をどうにかして排除した上で袋叩きにすること。
〜ここより故事成語ゾーン〜(全部孫子の兵法だよ!)
【地を知り、天を知れば、勝すなわち全うすべし。】
敵味方の状況をよく分析すれば、勝利は難しいことではない。
地形と天候を利用することができれば、勝利は揺るぎない、という意味。
【先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん】
まず敵が大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりにできる、という意味
【戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ】
戦いというものは、正攻法で会敵し、型破りな奇策で勝利を収めるものだ、という意味