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戦いの顛末
「良かった、目を覚ましたぞ!」
傭兵組合の建物内で倒れていたレイが発見され、手当てされてから一時間。
医者によるといつ目を覚ましてもおかしくないという話だったが、レイは一向に意識を取り戻さなかった。
何か見落としている異常があるのではないかと焦り始め、全身を検査しようとした時だった。
「ん、あ……」
レイが目を覚まし、寝台から体を起こす。
不安そうに見守っていたモルズと目が合った。
「……良かった」
「はい。モルズさんも無事なようで、良かったです」
「レイさんは三日は安静にしてくださいね」
医者が言う。
「いいえ、その必要はありません」
レイは、未だ血の滲む包帯を取り去る。
その下の肌には、傷一つ付いていなかった。
「これを聞くために来たんでしょう? 組合長」
レイを囲む人垣の中、険しい目つきをした初老の男がレイの前に進み出た。
「人払いをする。私とレイだけにしてくれ」
「モルズさんも残してください。彼に伝えたいことがあります」
「今でなければ駄目か? それは」
組合長がレイを|諭《さと》すように言った。
「はい。話が終わったら、私は隔離されるでしょうから」
隔離。なぜ、という疑問がモルズの脳内に浮かんだ。
この件について、モルズは詳しく知らない。
レイはモルズを傭兵組合へ導いた存在だ。
傭兵組合の中では、いちばんモルズと関わりが深い。故に、モルズにはレイについて知る義務があると考えていた。
「はあ……その通りだ。良かろう、モルズも残してやる。ほら、何をしている、さっさと出ていけ」
一連のやり取りを興味深そうに眺める傭兵や職員が追い払われる。
三人きりとなった部屋で、組合長がため息をついた。
「レイ。お前は、異形の姿で建物に倒れていたそうだが、間違いないか」
「はい。意識を失っていて記憶はありませんが、恐らくそうです」
異形。モルズの脳内に、グノンと共に戦ったあの魔獣が浮かぶ。触手のようなものを生やして戦っていた。
「お前は、何だ?」
組合長の抽象的で短い問い。
けれど、この場にいる二人にはその問いの意図するところがはっきりと伝わっていた。
「私は。魔王直属の部隊に所属する、魔獣、です」
レイは苦しげに息を吐く。
罪悪感、後悔のようなものが吐いた息に滲んでいた。
モルズの手が反射的に腰の方へ動く。そこにあったはずの短剣がなくなっていることを思い出し、心の中で舌打ちした。
短剣を盗った魔獣への殺意が膨らむ。同じような立場のレイにも。
そんなモルズの反応をよそに、組合長とレイの問答は続いた。
「名は」
「名前は、ありません。部隊に所属した時から、名前は名乗らないことになっています」
「それでは不便だろう。何か、例えば記号や数字なんかで呼ばれていなかったか?」
信頼していたのに。魔獣という共通の敵と戦う味方だと思っていた。
なのに、その相手も敵と同じ存在で。
なら、何を拠り所にしていけば良いのだろう。何を味方だと思えば良いのだろう。
今まで、敵か味方かしかない世界に身を置いてきたモルズには答えが出せない。
レイを敵だと断じることはできなかった。
ぐちゃぐちゃなモルズは置いてけぼりで、組合長の尋問が厳しさを増す。
「その通りです。部隊内での序列で呼ばれていました」
「いくつだったんだ」
「十二番、です」
レイの声が掠れる。
「ほう。何人いるか知らんが、結構な上位ではないか。有益な情報が期待できそうだな」
組合長の追及の手が止まる。
このあとも尋問がありそうだが、ひとまずは終わったと見て良いのだろうか。
「モルズに伝えたいことがあるのだろう。伝えると良い」
「あ、はい。ありがとうございます」
レイはモルズの方を向き、姿勢を正した。
何を言われるのだろうか。
ぐちゃぐちゃな感情を取り繕い、モルズはレイの目を見た。
「『魔王を倒せば全ての魔獣が消える』。覚えていますか?」
先日、串焼き屋で聞いた話だ。
覚えているも何も、今のモルズの行動の拠り所になっている話で。
「あれは、間違いなんです。実際は、魔王が死んでも私たちは死なない」
「そう、か」
モルズが|俯《うつむ》く。
受け止めきれない。
事実であると仮定して、|縋《すが》ってきたのに。
事実でない可能性は想定していた。
酔いどれが言っていた時点で、信憑性に問題があるのも分かっていた。
けれど、事実であってほしかった。
「けれど、もしかしたら」
モルズは顔を上げた。希望を探すように。
「魔王が魔獣を|喚《よ》ぶところを見ました。魔王を倒せば、この異常な魔獣の増加に、歯止めをかけられるかもしれません」
もう、何でも良かった。
|リーンを殺した魔獣《あいつ》を殺せるのなら。
あいつに命令を出した存在がいるのなら、そいつも。
モルズは、短剣の柄を握ろうとした――手元に短剣が無いことを思い出しても。ほとんど癖のようなものだった。
「短剣を新調したい。オススメの鍛冶師はいるか」
まずは、そこから。
「はい。スミスさんのところを訪ねてください。私の名前を出せば通じるはずです」
「分かった」
モルズとレイの会話が終わったのを感じ、組合長が口を挟む。
「話は終わったか? ここから先は極秘だ。一介の傭兵に同席させることはできない」
帰れ、と言外に告げている。
モルズはレイの処遇を知りたかったが、今聞けることでもなさそうだった。良いものになるように祈ることしかできない。
「じゃあな、レイ」
願わくは、これが今生の別れとなりませんように。
◆
街のほとんどが灰燼に帰した中、営業を続ける店があった。
もっとも、今の時間は「準備中」の札を提げていたが。
「スミス、いるか?」
瓦礫の山を踏み越え、モルズはスミスの鍛冶場を訪ねる。
「なんじゃ、モルズ。表の準備中の札が目に入らんかったか。……待て、レイのやつは?」
こんな状況でも変わらず鍛冶をするスミスに、モルズは毒気を抜かれる。
「……捕まったよ」
ここで嘘を言っても仕方ないし、きっと噂はすぐに広まるだろう。
「そうか。ついにバレたんじゃな」
「バレた? 知っていたのか?」
スミスは訳知り顔でうなずく。
今は何でも良いから情報が欲しい。モルズは、スミスに事の仔細を尋ねることにした。
「うむ」
「どうやって?」
人に紛れた魔獣を見分ける方法があれば、リーンを殺した相手との戦いで優位に立てるかもしれない。
「レイがお主をここに呼んだのなら教えても良いが、それを説明するには儂の秘密を教えんとならん。モルズ、お主は話さんと誓えるか?」
「ああ」
スミスの問いに、間髪入れずに答える。
たとえスミスの秘密が国家に関わるものだったとしても、モルズは話さない自信があった。
「ふむ。着いてこい」
壁際の大きな棚。スミスがその棚をぐっと押すと、棚が横に動いた。
床にある取っ手を引くと、下へ降りるはしごが現れる。
――隠し部屋だ。地下室。
慎重にはしごを下りるスミスに従い、モルズもはしごを下りる。
飛び降りてしまおうかと思ったが、着地の時に何かを壊してしまってはいけないと思い、やめた。
「儂の地下工房だよ」
上の鍛冶場よりずっと広い空間が広がっていた。
無駄に広いという感じではなく、素材を並べる棚がたくさん置かれている。
何かの動物の牙らしい、長く鋭いもの。
血狼を彷彿とさせる、赤黒い毛皮。
瓶に詰められた、灰色の石。
「これを見ろ」
スミスが取り出したのは、小さなナイフ。
棚にあった鋭い牙を擦り付けると、刀身に傷が付いた。
不可解な行動にモルズが首を傾げていると、スミスはさらに不思議な行動に出た。
瓶から灰色の石を一つ、無造作に取り出す。
ナイフの刃を石に当てると、石はナイフに吸い込まれるように消えた。
同時に、ナイフの刀身に付けられた傷が修復される。
現実ではありえない光景に、モルズは目を見開いた。
「儂は、ここで魔獣の素材の研究をしておる」