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二、転々
壱が向かった先は、知り合いの家だ。第一、頼れるのは彼女しかいない。
家を飛び出して帰るのももどかしく、なんとなく立ち寄る事にした。
「あ、壱」
大きい戸を開け出迎えてくれたのは、まえ。隣街の人気刀職人の娘で、彼女の父親は壱の父とも何かしら交流を持っている。
「まえ」
「どうしたの急に、刀なんて持って‥‥‥真逆、まえ達を殺しに来たのね!」
これは彼女なりの冗談である。が、その部分だけを耳にしたまえの母は焦り奥に逃げていった。
「母さんはまえの冗談も本気にしちゃうんやおねえ」
「あ‥‥‥そりゃ大変やねえ」
『母さん』という言葉に、壱の耳が反応した。
まえの母親は、普通に暮らしている。
「それでどした」
「私は家出した」
「御目出度う!」
何でやねん。心中でつっこみを入れる。
「祝うところではないんやよねえそこ」
「え、そうなの」
「そうだよ」
まうはふうんと言いながら、壱を部屋に通す。
「それで? まえに家を貸して欲しいって?」
「いや‥‥‥何となく立ち寄っただけや」
「ほんなら帰ってー」
笑顔で言われた。まあ、帰ることにする。
「じゃ」
壱は立ち上がる。と、足元でまえは「え待って、え待って」と何か戸惑っていた。流石に冗談を間に受けられると思わなかったらしい。抑も壱は冗談だと気づいて態と立ったのだが。
「冗談やって」
「知っとるわい」
「じゃあ何で立った」
「面白かったから」
まえは外方を向いた。
「というか、来た理由は何となくだけどあったわ。話があったんや」
「話?」
まえが此方を向き、訊く。壱は頷く。
話だけはしておきたかった。
「私のおかっさんが仕事で遠くに行った」
「あ、小母さんが‥‥‥」
まえの家と壱の家など刀職人の集まりで交流があり、その中で親同士も仲良くなった。まえの母と壱の母も仲がよく、それでまえも壱の母の事は知っていた。
「うん。それも、昨夜仕事に行くっていう話をされて、今日起きたらもう既に居なくて。昨日聞いた内容だと、遠くで働くから帰れないかもって」
「帰れない‥‥‥大変だね」
まえはそう答えた。そのまま言葉を続けようとしたが、結局何と云えば良いかわからず口を閉じる。
「こんな話されても困るやろ、御免」
「こちらこそ、力になれず申し訳ないねえ」
壱は首を振った。
そして、今度こそ立ち上がる。
一旦は家に帰ろうと思った。
だが、やめた。帰ってもいいことはない。
『のう壱。やりたい事はあるか』
『私みたいに刀職人の娘に産まれ刀職人に嫁ぐ人生は嫌じゃろう。一生刀職人から離れられん。然しお前には未だこの人生から逃れることのできる時間がある』
母の言葉が、何度も蘇る。
私のやりたい事は、刀職人を支えるつまらない人生じゃあないのかもしれない。
他を頼り、先ずまえの元へ行った。でも求めるものは得られなかった。
壱は城下町を歩く。
山城・萌木統和城。統和国を治める大名の居城が、山の上に佇んでいる。
と、馬の蹄の音。きっと、萌木家の元服したばかりの若君‥‥‥信秋が城下町の視察といい、また来たのだろう。信秋は、よく町に出る。町を見回り、町民の様子を見て声をかけたりしている。時期当主は良い方だ、と評判もよい。彼が城下町を訪れるのは、その評判を得るためだろう。
壱は裏道に入る。
裏道には、大きい寺院。ひっそりと建っているが、中からは子供の笑い声が聞こえた。
この寺院は、孤児を引き取っている。この周りには国主もどうにもできない貧民街があり、寺院はそこから小さい子供を保護していた。
「あらお壱ちゃん。どうしたの」
壱に声をかけてくれた気さくそうな小母さん‥‥‥朝は、箒を動かす手を止めてこちらに駆け寄ってくる。
「朝さん」
「お壱ちゃん、お母さん、遠くに行ったみたいね。聞いたわ」
「情報通だね」
「それでお壱ちゃんは家出かな」
一瞬で見抜かれた。
壱は頷く。
「あれまあ」
朝は云った。そして笑った。
「お壱ちゃんも家出する程大きくなったのかい。それなら、うち泊まってくか」
「あー‥‥‥」
一瞬、泊まろうと思った。
でもやめた。
「大丈夫です」
朝は、「そうかね」と朗らかに笑う。
「ほんなら、気おつけやあね」
「わかりました」
壱は、寺を後にする。
泊まってもいいと思った。だがやめたのには、勿論理由がある。
家から離れたかったのだ。
いちど、兄が母と喧嘩して家出した時、此処で匿って貰っていた。そのため、父はここを知っている。知られていれば、いつか迎えに来るかもしれない。
しばらく歩いて、壱は足を止めた。賑わう城下町の大路から入った細道。ひとりの同年代の女子が倒れていた。着物からして、町民だろう。壱はすかさず彼女のもとに走った。
「だ、大丈夫ですかっ」
「ひっ!」
反応があった。意識がないわけではないらしい。
「かっ、刀‥‥‥」
彼女は、壱の手元に視線を落とした。
殺されるとでも思ったのか。
「ち、違う! 安心してください。というか、あなたはなんで」
「ずっと、何も食べとらんくて‥‥‥お腹が空いて」
空腹か。壱は女子を助けながら立ち上がると、団子屋に向かった。先ほど、そこで団子を食べたのだ。値段が低めなその店は、すこし奥まった場所にあった。
『甘味処』と書かれた看板に、女子は嬉しそうな顔をした。団子を二本買ってやれば、申し訳ないといいつつも遠慮なく受け取った。
「おいしい、っぐ」
もはや泣きながら食べている彼女に、壱は問うた。
「あの、名前は?」
「お、小野です‥‥‥うぐっ、あなたは」
嗚咽をのみこみ、彼女はそう名乗った。
「私は壱です。今は家出中でして」
「そうなんです、ね、っ、助かりまひた」
かくして、壱は小野と仲良くなったのであった。
ここで五十年後、少女たちのかの出会いがあるとは、まだ誰も知らない。
2022/7/18 作成
五十年後どうこうのくだりは、本編とちょっとリンクさせようとしたっぽいです。たぶん。
まえが出てくるのも、本編で小町(壱)と一悶着あるからですね。漢字がおかしいのは文ストにハマってたからかな