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異端邪説
異端邪説(いたんじゃせつ):正しくない教えや意見、主張。 正統から外れた邪な説。
シャスティル:魔法生物(マスコット的な)。たれ耳の魔法生物。
エミ:21歳、魔法少女。箒に乗る。
二十一というのは、長く持った方だと思う。
「エミ、あのね」一字一句そうだったのに、お願いごとをする時の声ではなかった。
私の相棒は、その日。迷いと憂いを隠すことなく伝えてきた。彼とは九年間も相棒だったのだ、仕方ない。それも、私が初めて持つパートナーだったから。
「ぼくたち、お別れ、しなきゃいけないんだ」
薄々、気が付いていた。少女なんて歳じゃなくなっていたし、私の中に眠っている戦う力もだんだんと劣ってきたのだ。オンラインゲームみたいなあの格好もきつくなってきた頃だ。むしろ、穏やかな生活に戻れることは。怖い目にあうことがなくなるのは、私にとってなにかと都合が良かった。
そっかとだけ返事を返して、カフェオレを飲む。苦いものは苦手なので蜂蜜入りのものをだ。
「シャスティルが居なくなったら、もう変身できないってこと?」
魔法が使えなくなるのかと聞くのは止めた。依存しているのを、シャスティルは知っているから。
「その前にさ。思い出作りじゃないけど、やりたいことがあるの。いい?」
「うん、もちろん。エミが言うなら」
柔らかいシャスティルの頭を撫でると、彼は嬉しそうに目を細める。マスコットみたいな垂れた耳をもっと垂らして、撫でやすいようにしてくれるのだ。その純粋な目にはもう、罪悪感もなかった。
「それじゃあ」
ベッドから抜け出して、窓を指さして、笑う。
「今からお散歩しない?」
慌てふためくシャスティルをよそに、指先に黄色い光を灯して。空飛ぶ箒を創り出していく。
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「いっぺんさ、夜空を散歩してみたかったんだよねー」
箒に乗せて、シャスティルと一緒に空を飛ぶ。魔法少女の衣装は薄着だけれど、魔力のおかげで寒くはなかった。
きらきら、きらきら。上を見上げれば、珈琲とは違った黒の中に星が混じる。下を見下ろせば灰色の雲の隙間に街が見えて、星より疲れた光が満ちていた。
シャスティルにはきっと、これが綺麗に写っているのだろう。
それらしい会話もなく、空を飛ぶ。冷たい夜風が頬を乾かして、月が風の行方を照らしている。太陽の創り出した光を、鏡みたいに反射して。
「エミ」
「んー?」ふと、シャスティルが私に問いかけてきた。
あえてその顔を見ずに、呑気に答えた。
「……ごめん」
「ふーん」
数か月前に聞いた台詞を、また繰り返す。その重みに、悲しみがぶり返したのだろうなと思った。
「私はへーき。あの時、誰も死なせなかったし。むしろ英雄気分よ」
「エミ……」
シャスティルが、私の頭に強く抱き着いた。
子供みたいに純粋なシャスティルが、これから。ああいった目にあうかもしれないなんて。きっとトラウマものだろう。その傷が癒えてきたとしても、罪悪感はまだ、減らないのかもしれない。
「それにさ、シャスティル」だから私は、嘘をつくことにした。
「新卒になっても社畜になっても中年の上司になっても。ハゲてもババアになっても戦う魔法少女って、それこそ絵面がひどいでしょ」
「……なにそれ」
シャスティルが涙ぐんだまま笑う声が、聞こえる。
「魔法少女、ピュアリィババア。衣装のアップデートなし。普段は老害として煽り運転と蛇行運転を繰り返している」
元気なおばあさまもいるけれど、ここは性格を最悪に付け替えてやる。もちろんこれは、私の未来予想図にすぎないけれど。
「ほんと、なにそれ。ピュアリィって名前、ついてていいの?」
シャスティルの笑い声が、段々と大きくなってきたことに安心した。
「シャスティルが魔法少女の名前は変えれないって言ったじゃないのよ」
「じゃあ、ババアって部分はどうなの」
「たとえ話で分かりやすい通称をつけただけですー」
シャスティルの口が達者になってきたことに腹が立ったので、ぐるぐるぐるぐる、景色を引っ掻き回しながら、病院のベッドまで飛ばしてやった。スピード違反ときりもみ回転を食らいやがれ。
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深夜十二時、窓からベッドに戻る。
変身を解くと、なんだかどっと疲れが押し寄せてきた。無理をしすぎたのかもしれない。
けれど、シャスティルが元居た場所に帰ってしまう前に、やることがある。
「おーい、シャスティル」
痛む脚に鞭を打ち、引き出しを指で開くと。その中に入れた封筒を、シャスティルに渡した。
中身は妖精の言葉じゃないけれど、頑張って日本語を覚えてくれたから。もしシャスティルの上司とかいう女神が読めなかったとしても、何と書いてあるのかわかってくれるだろう。
「これさ、女神様へのお礼の手紙。届けてくれない?」
「……いいけど」
シャスティルは渡した手紙を、不思議そうに見つめていた。その存在を知らないのは、当然と言えば当然だろう。シャスティルが寝ている間に書いたものだし。
邪悪に笑い出しそうになる口元をどうにか穏やかなものへと変えながら、ベッドによいせと身体を乗せる。
潤んだ双眸が、私に向けられている。
どうか、振り返らずに行ってほしい。背中を向けて寝た意味を、シャスティルは分かってくれたのだろう。気配が、窓辺まで動いたのが分かった。
「じゃ。お休み、シャスティル」
「……うん。ありがとう、エミ」
重い腕を持ち上げて、ひらひら手を振ると、窓の開く音がした。それから、あの小さな手で。丁寧に閉める音も。
——まるで空気が薄れていくみたいに、シャスティルが離れていくのが分かる。私の鼓動が、だんだん冷たくなっていくのが分かる。普段はあることに気が付かないみたいに、心の底から依存しきっていたのが、身体を通して伝わってくる。
魔力は身体の中に残っていても、シャスティルがいなければ、私は魔法を使えない。打ち消していた傷と呪いの痛みが、空気に睡眠剤が混じったみたいに、意識を遠のかせていく。
私に痛手を負わせた奴の名前なんて知らないが、あの仮面だけは覚えている。
その下に、忌々しいまでの怨恨が刻まれていることも。
魔法というのは、必ず術者の感情が籠っているものだ。ことに呪いは、その傾向が強く出る。シャスティルがそう言っていたけれど、術者の記憶が読めるなんて言っていなかったから、きっと例外的なことだったんだろう。もし伝えていれば混乱させていたかも。
呪いのせいになんてしない。けど、呪いのせいであいつがやっていることが、段々と見えてきたから。
女神とやらが、ただの気まぐれに、あの術者たちの生きる世界を滅ぼしているだとか。捕虜に仲間の生き血を飲ませているだとか。私たちが女神を疑わないのは、シャスティルたち精霊に、疑わないように加護を与えているからだとか。
それから、私が。私が魔法少女の解約を言い渡されたのは。呪いのせいで、「真実」に気が付いてしまったからだとか。
「英雄気分」。そう言って庇ったのは、女神にとって都合のいい、うら若き生物兵器たちだった。
なんだかおかしくなってきて、笑みが零れる。
——まあ、シャスティルのことだ。手紙なんて、どうせ渡さないだろうし、どころかその前に中身を読んで捨ててしまうかもしれない。
私がひねくれものだって、一番に知っているから。シャスティルはちゃんと、純粋なまま生きていける。
『地獄に落ちろ』
だからたぶん、私一人だけが、地獄に堕ちれる。