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春と雨
春もたけなわとなったある日、我が家に新しい家政婦が来た。
名を千代という。十八歳にも満たぬ若き少女であるが、目鼻立ち端正にして、
物静かな佇まいには何処かしら落ち着きを感じさせるものがあった。
母は喜び、父も「無用の騒ぎをせぬ者であらう」と評したが、
私には、その静かな振る舞いの裡に、ある種の謎めいた空気が漂っているように思われた。
千代は朝早くに起き、台所を整え、掃除に勤しむ。
だが、ただの勤勉さだけではない、何か内面の思索が顔に現れる瞬間がある。
例えば窓際に立ち、庭の花々を見遣る時の細い眉の動き、
あるいは箒を握る手にかすかに力の抜けた緊張を見て取る時などである。
私はその様子をひそかに見守りつつ、心の奥に微かな動揺を覚えるのであった。
ある日の午後、庭の梅の枝にひらひらと蝶が舞い降りた。
私は何気なく窓際に立ち、千代がその光景をじっと見詰めるのを目にした。
その時、彼女と私との間に言葉にせぬ交感のようなものが生まれた。
互いに視線を交わし、瞬間、胸の奥で何かが触れ合うのを感じる。
世間では花の咲く季節ごとに、流行の話題や風俗の移ろひが語られるものだが、
私には千代の仕草、千代の瞳の中にこそ、
世間の流行よりもはるかに確かな趣があると感ずるのだった。
我が家では、春の花見の支度が始まった。
隣家の令嬢が最新の洋服を纏って現れるなど、さまざまな流行が話題になった。
しかし、私はどうにも、そうした世間のざわめきに興味を覚えず、
ただ千代の手元や、窓辺で小鳥を見遣る姿に目を奪われていた。
両想ひというものは、必ずしも言葉で示されるものではない。
互いの呼吸の微妙な合致、心の裡に忍び寄る淡い情動こそが、
それを形作るのだと、私は知っていた。
ある晩、父が古い友人を招いた席で、千代が料理の配膳に回った時のこと。
私は、彼女がそっと微笑み、わずかに頷くのを見た。
その一瞬のやり取りが、私の心の中に長く残った。
世間の人々は、流行を追ひ、言葉を交わし、見た目の変化に心を動かす。
しかし、心の奥底で互いを思い合う気持ちは、誰も見えぬものだ。
千代も、私も、そして誰も語らぬこの感情は、
春の光の中でひそやかに育まれていた。
両想ひというものは、かくも静かに、しかし確かに存在するのか、
と改めて思ったのである。
数日後、雨が長く降り続いた。庭の花々はしおれ、風情も一変してしまった。
だが千代は黙々と働き、部屋の中に落ち着きをもたらした。
その働きぶりを見て、私はふと、人は互いに言葉を尽くさずとも、
ただそばにいるだけで心が通じるのだと実感した。
流行の服や言葉に心を奪われることなく、静かに互いを思うことこそ、
何より尊いとさえ思われた。
ある夕暮れ、私は窓際に座り、千代の影を壁に映して見た。
彼女もまた、私に気づいたのか、そっと視線を返す。
その瞬間、胸の奥で何かが震えた。
両想ひとは、世間の目には映らぬ、しかし確かに存在するもの。
流行の華やぎも、噂話も、すべては無用に思えるほどに、
静かな心の交感は強く、そして美しい。
私は心中で誓った。
いかなる流行にも惑わされず、いかなる外界の声にも耳を傾けず、
ただ千代と互いに見詰め合うこの日々を、大切に守ろう、と。
その思いは、言葉で語るよりも深く、静かに、しかし確かに、
私の心の奥底で燃えていたのである。
そして春は過ぎ、夏の足音が聞こえ始める頃、
千代と私は互いに微笑みを交わすだけの日々を重ねた。誰も知らぬ両想ひ。
しかし、それは世間の流行や時の移ろひに揺らぐことのない、
揺るぎなき感情であった。
千代の存在は、私にとって流行よりも価値あるもの、言葉よりも確かなもの、
そして日々の営みの中に息づく小さな幸福の象徴であった。