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セーヤ
まず人が最初からお亡くなりになってます、血とかの描写はありません
突然、兄さんの訃報が入ってきたのはもうすぐ満月、という日の夜だった。
青信号の元、突っ込んできた暴走トラック。
運転手も、即死だった。
兄さんも。
ぼんやりと地元のおじいちゃんからの連絡を聞いて、思った。
帰りたい。
ちがう。
私は、帰らないといけない。
会社には連絡しなかった。どうせ言ったところで所詮ブラックというものだから意味はない。
1人暮らしのアパート。こんなにも寂しいとは思わなかった、と考えながらドアを閉める。
暗くなりかけた空には星の1つも見えなくて。
兄さんとの天体観測を思い出した。
望遠鏡の使い方がド下手だったけど、夜の星空が、月が、大好きだった兄。
地元は田舎だったから、星はたくさん見えた。
あれはね、あれはね。
興奮気味に話している姿は今でも鮮明だ。
幼い頃にたくさん父に図鑑を買ってもらい、読み漁っていたらしい。
残念ながらもう父には会えない。私が物心ついたころにはもう星になっていた。
あれは父さんかな。母さんかな。
たまにそんなことを言っていた気がする。
兄さんはよく覚えているんだろう。大事な思い出をたくさんくれた両親の姿を。
私も、同じようにたくさんの思い出をくれた兄さんを覚えている。
物思いにふけりながらしばらく歩いて、駅に隣接しているコンビニで適当に夕飯を買う。
そのまま夜行列車に乗った。
寝台にゆっくりと体を沈めながら、窓から星空を眺める。
家を出るころはまだ暗くなりかけだったが、今はもう真っ暗だ。
エコバッグからハムと卵のサンドイッチを取り出し、フィルムを開ける。口に入れてお茶で流し込んだ。
謎にハムが喉に張り付き、つっかえる。
無性にあのカレーライスが食べたくなった。
野菜も不揃いだし。私をまだ子供だと思っているのだろうか、ずっと甘口のルーを使っていた。
それでも、食べるたびに兄さんの穏やかで優しい味がした。
いつも同じ味を提供するコンビニよりも、ずっと好きだった。
まあ、兄さんはカレーライス以外を作ろうとすると、食べられるけど微妙にまずい残念料理が出来上がってしまうのだが。
…あーあ、結局よりお腹が空いただけじゃん。
マヨネーズがついたサンドイッチの包装を叩きつけるように持参のゴミ袋に入れて、化学調味料の味を振り払うようにまたお茶を飲んだ。
外は満月だった。
冬だから空気が澄んでるんだ。いつもよりさらに綺麗だと思った。純粋に。
ぼうっと月の都のうさぎを眺めているうちに、いつしか私は眠りに落ちていった。
馬鹿な兄さん。
不器用で私の手提げ袋を作れなかった兄さん。
畑で作業する兄さん。
|美月《みつき》、という名前を名前の持ち主である私以上に気に入っていた兄さん。
自分のカレー皿には絶対大嫌いなにんじんを乗せなかった兄さん。
飛行機がドラマで墜落する旅に顔をこわばらせて、怖いと言っていた兄さん。
それから、星を見て熱狂的にたくさんの星々の名前を呟き、私に教えてくれた兄さん。(教えたというかただぺちゃくちゃ話してただけだけど)
馬鹿な兄さん。ほんとにほんとに。
でも、馬鹿だけど世界でたった1人の家族である兄さん。
私の兄さん。
父さんと母さんはもういないし、半ば駆け落ちで結婚したって言ってたし。親戚はいない。
私には16歳差の兄さんしか家族はいなかった。なのに、なのに!
…もうちょっと、一緒にいればよかったかな。
「こんな田舎恥ずかしい」って、勢いで飛び出さなければ良かったかな。
確かに東京でいろんな出会いをしたし、色々経験した。実家を出たことが全てマイナスだったわけじゃない。
けど。
それでも。
たまには、戻ればよかったかな。
「自分から喧嘩売っといて自分から帰るなんてカッコ悪い」とか。意地張るべきじゃなかったかな。
もう意味がないや。
ピリリ、というアラームの音で眠い目を擦る。
目元に塩の塊のようなものがある。
ゴシゴシと濡らしたティッシュで拭いて、起き上がった。
もうすぐ地元に着く。
しばらくしてぶいーんとドアが開いた。
私は1人、明け方の空を歩く。
冷え切った夜明け。
もしかしたら、ドッキリかもしれない。地域ぐるみの。
もしかしたら、実は間違い電話かもしれない。
となりのキャベツ農家のおじいちゃんに似た声だったけど。
やっぱり、ダメだった。
あの電話はドッキリなんかじゃない。
ドッキリだったらここに、兄さんが横たわっていることはおかしいから。
いや、もうわかりきってたのに私は逃げたんだ。
そっと花をそばに置いて、私は医者からの話を聞いて、実家に帰った。
もう冬だから5時にはもう暗くなる。
不器用だけど、愛情が今も残る兄さんのマフラーに顔をうずめたくなった。
きっと、ただ寒いだけだ。
きっとそうだ。
「よお戻ってきた」
連絡をくれたキャベツ農家のおじいちゃん。
ぼそっとつぶやかれ、震える手で段ボールを渡された。
誰もいない実家の玄関前。上部につけられたテープをはがす。
目に入る。
「ほしぞらみかん」という兄さんが作ったロゴ。
鮮やかな黄色。
紛れもなくみかん。
兄さんのみかん?
私の肩に手を置いて、おじいちゃんがこう言った。
「これ。今度美月が帰ってきたら渡そうって。おめえの兄さんが。住所知らねぇから、渡せないって言ってたべ。これ食って美月が、もっとこっちに帰ってきてくれればって…」
兄さんはみかん農家であることを誇りに思っている、とよく話していた。
私の父もその父も、さらにさらにその父親たちも、ずっとみかん農家をやっていたらしい。
「僕はね、みかんの木の中にいるのが好きなんだ。日中、中に入ると、木の葉っぱたちが重なって宇宙みたいに見えて。木漏れ日とみかんが星々に見えるから。」
そのままおじいちゃんは帰っていった。
どっと疲れがふき出た。
ぼうっとリビングに段ボールを持って行きまだ兄さんの気配が残っているクッションに転がる。
なんとなくネットニュースを開いた。
最初に目に入った言葉。それは。
「本日ちょうど18年ぶりにあの流星群!!」
あの、流星群?
ぼんやりと記憶がある。
兄さんと、数少ない父さん母さん。
2人が事故で星になる前、数ヶ月前だっただろうか。とにかく、そのころはまだ確かに、ふたつの命がこの地球に存在していた。
この日のために張り切って調べた兄さんと、微笑ましくそれを見つめるふたり。
私はとにかく3人が笑っているのが嬉しかったんだ。
のそりと起き上がって縁側に向かった。
外。そこはもう別世界だった。
ところどころ色がほんのすこし変わっている空。
都会とは比べ物にならないくらいたくさん輝く星々。
持ってきた段ボールから兄さんの|星《みかん》を取り出す。
ゆっくりむいて、ひとつだけ口に入れる。
みかんの薄い皮が弾けて、広がっていく酸味。それから少し後にやってくるほどよい甘味。
兄さんの想いが、心が。
すとん、と胃に落ちていって、指先まで巡っていく。
体中に染み渡っていく。
顔をあげれば、昨日より少し欠けた月が私を見つめている。
これからこの月は、少しずつ欠けていって消えてしまう。私もそうなるかもしれない。
でも、またいつか満ちる。私もきっと。
あっ。
すーっと、紺色のキャンパスに通った白い絵の具。
18年前のあの星々が、また私の前に戻ってきたんだ。きっと。
あの時からふたり、さらにひとり、減ってしまった。
みんなあの中にいるのだろうか。
いつしか私の頬にもすうっと流れていった、液体があった。
唐突に寂しくなった。
家族もいない。彼氏なんていたらとっくに紹介してる。
もう私に家族のような存在は誰もいない。
それでも、私はやっていかないといけない。
まず会社を辞めよう。それからここを受け継ごう。兄さんのみかんも、想いも、木々の宇宙も星々も、全部私が守っていく。
確かに、大学で農業の勉強をしたわけでもないし、ブラック企業に勤めていたからそういう、「果樹を育てる」という経験はしたことがない。
でも、私はやりたい。
兄さんのコメントや私のご先祖様からのアドバイスが載ったノート。
兄さんは持っていたから。
私も、それを借りようかな?
あとは…近所に昔みかんを育てていたおばさんがいたはず。
頼み込んでみようかな。
うん、みよう。
そっと目を閉じて、私は願う。
だからね、見ててほしい。
この|星空《ほしぞら》と。
それから、私の家族である、
|星夜《セーヤ》兄さんにも。
タイトル回収できて満足です。