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第8話:境界線の崩壊
彼らの中に置き去りにしていたはずの感情を呼び覚ました。
仄は、白藍に守られたことで、彼への想いが抑えきれなくなっていた。任務中に白藍が傷つくのを見るたび、動悸が激しくなり、集中力を欠くようになった。
白藍もまた、仄の安否を気遣うあまり、冷静な判断ができなくなりつつあった。かつては効率的だった彼の動きに、躊躇や迷いが生じ始めていた。
雷牙と玲華は、そんな二人の様子を見て、複雑な思いを抱えていた。
「感情は判断を鈍らせる……ファントムの言葉は正しかったのかもな」
雷牙が呟く。
「でも、お互いを守りたいと思う気持ちは、人間として当たり前のものでしょう?」
玲華が反論する
「私たちがまだ、人間だっていう証拠よ」
彼らの中で、暗殺者としての「プロ意識」
と、人間としての「感情」が激しく衝突し始めていた。完璧な仕事をして「楽園」に戻るという目的と、仲間たちとのささやかな日常こそが「本当の幸せ」なのではないかという疑念。その境界線は、すでに崩壊し始めていた。
次の任務は、情報漏洩を防ぐための組織内部の裏切り者の抹殺だった。ターゲットは、彼らと同じくファントムの指示で動いていた下級の工作員だった。
任務は簡単だった。しかし、ターゲットの男が、殺される直前に命乞いを始めた。
「頼む、殺さないでくれ! 俺には家族がいるんだ! 子供が…まだ小さいんだ!」
その言葉が、仄の心臓を鷲掴みにした。
(私にも、家族のような人たちがいる…!)
仄の手が止まる。スティレットを構えたまま、男を見つめる彼女の目には、迷いが浮かんでいた。
「仄! 何をしている! 殺せ!」
雷牙からの無線が入る。
「で、でも…家族がいるって…」
「感情的になるな! プロだろ!」
白藍は、仄の動揺に気づき、慌てて現場へと駆けつけようとする。
その時、玲華が冷静に割り込んだ。
「ターゲットの情報を確認したところ、彼の家族はすでに別居しており、彼自身を家族は顧みない男だったようです。彼は嘘をついています」
玲華の言葉に、仄はハッとした。男の顔を見ると、確かに命乞いをしながらも、その目には狡猾な計算が見え隠れしていた。
「……ッ!」
仄は怒りに震えながら、男の命を奪った。任務は遂行されたが、彼女の心には深い傷が残った。
任務後、隠れ家に戻った4人の間には、重苦しい空気が漂っていた。
「ごめん、私のせいで任務が遅れた」
仄が力なく呟く。
「大丈夫だ。玲華の判断が的確だった」
白藍が仄を優しく抱きしめる。「君は悪くない」
雷牙は、そんな二人を見ながら、ため息をついた。彼らの中に芽生えた感情は、もう抑えきれないものになっていた。
「ファントムの目的は本当に『楽園』を提供することだけなのか?」
玲華が再び疑問を投げかける。
「私たちにこんな非道なことをさせて、得られる利益はそれだけじゃないはず」
彼らは、自分たちが信じてきたものが、偽りである可能性に直面していた。感情を取り戻しつつある彼らにとって、ファントムの支配はもはや耐え難いものになりつつあった。
偽りの楽園に囚われた若者たちは、今、自分たちの人間性を取り戻し、真の自由と希望を求めて、楽園という名の檻からの脱出を試みようとしていた。
🔚