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〖墓穴彫り師〗
毛のない絵筆の握られていない細い手を、ごつごつと男らしく成長した手に重ねた。
普段、何をしているのかなどと話をしてはくれないが、誰かと呑んだのか酒臭さが鼻につくほど纏わせて、おぼつかない口がゆっくりと開いていたことに今更、少しながらの驚きを覚える。
もっさりと顔を覆い隠す前髪をあげて、自分と同じような閉じた瞳を空気に晒す。
「髪、切った方が良いんじゃないかな」と提案することはあるものの、毎度「いらない」やら「必要ない」やら「関係ないだろ」と遅い反抗期のようなものが本人にはあるらしい。
そう言われては勝手に髪を切るなんてことは出来ないし、最も嫌がるような真似はしたくない。
痛い思いも、悲しい思いも、一生背負うことになる深く重苦しい思いも、彼には必要ない。
何せ、生まれてくる前から存在していたのだから。
僕…いや、僕達の両親は生前、非常に仲睦まじい理想的な夫婦だったそうだ。
まるで、出逢うことが運命的だったとも誰かが言っていた。
その夫婦が子を成す時、第一子は無事に出産したものの、第二子のみ相当のトラブルが巻き起こった結果、母体のみが死亡する結果となった。
要するに、母は弟を出産した代わりに引き換えとでも言うのか亡くなったことになる。
そこからは、それなりに荒れ始めていたと思う。
僕が物心ついた頃に既に父は酒に溺れてろくに仕事すらままならない状態だった。
そんな状態の親からここまで育ったのは、遠方の親戚が可哀想に思っての支援だが、父は決してその金で遊び回ったり、酒を購入したりすることはなかった。
しかし、家事をするわけでもなく、稼ぎを入れるわけでもなく、その金を生活費として子供に使って母の仏壇の前で酒を浴びるように飲むだけだった。
その酒がどこから出ていたものなのかはもう、知る由もない。
時折、父は僕を仏壇の部屋から最も遠い部屋に呼んでは呂律の回らない口調で激しく折檻することがあった。
その時に軽く吐いたり、叩いたりすることはあったが、酒が切れると子供のように大きく泣き出して当時の僕には分からない言葉を綴っていた。
僕はその度に怒るでもなく、泣くでもなく、父の背中を擦って襖の向こうで、こちらを見つめる歳の離れた弟を安心させようと笑っていた。
それも長く続かず、父は母の仏壇のある部屋で首を吊って亡くなった。
父の姿を見た当時の弟がそれをどう思っていたのかは分からない。ただ少なくとも僕は、解放されたと薄ら嬉しさが勝ったものだ。
その小さな地獄は今や見る影もなく思い出の一幕に居座ったまま、出ようとしないものの神様に会ってからはそれがゆっくりと抜けていくような感覚がある。
思い出に満たされたコップの中に入ったひび割れは、直されないまま溢し続けるのだろう。
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「ねぇ、大丈夫?」
粉を溶かした水を眺める彼につい、声をかけた。どうしようもなく途方に暮れた、あの時のような顔が胸の中に燻っていて反応せざるを得ないのだ。
彼はすぐに私の声に気づいて心配をかけないと言わんばかりに勢いよく水を飲み干して濡れた唇から言葉を絞り出した。
「あ…ああ、大丈夫。有り難う。今日は何の話?また、泊まっていく?」
「…ううん、流石に帰ることにするわ…十綾君の様子はどう?」
「結構良いよ。タリー兄弟や大川さんとも打ち解けているようだし…それに_」
言葉を続けようとした亨の“タリー兄弟”に反応したのだろうか。廊下から騒がしい足音がしたと思うと、金髪の双子が顔を出した。
その内の兄にあたるアンヴィルがよく通る声で、
「呼びました!?」
そう返事をした。彼を見ると、ほんの少し口角をあげて「呼んだ呼んだ、有り難う」と笑ってついてきた弟の方のスーヴェンにも礼を伝えた。
ただ、なんとなくそれが続けばいいのにと、変わらない運命の中で独りよがりな想像をした。
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どこへ行っても、奇異の目が呪いのように纏わりついている。
誰も彼もが噂話を好み、居場所がないことを明確に現してくる。
時折、自身がひどい夢の主人公などではないかと現実を歪ませたくなるが、どんなに頬をつねってみても痛みだけが現実を叩きつける。
自慢であるはずの羽ももぎ取られたような痛みばかりに似たものが心へ常々襲い来る。
関わりのない村民が噂話に尾ひれをつかせて風船を膨らませるように大きくしていき、“神宮寺が嫌がるほど落ちこぼれ”や“飛べない羽をつけた脂肪鳥”、“人でも天使でもない怪物”と有りもしない噂を立てては、何を言っても聞いてくれないのが非常に悔しい。
それでいて、私と関係のない人までもが悪く言われるのは理不尽極まりない。
奇異の目が更に強くなり、こちらを見ている村民が口を開く。
きっとまた、僕の悪い噂話だ。
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せっせっと箒で庭を掃いている月を見ながら、紅茶を淹れている天気とわたくしめの前にあるクッキーを見た。
クッキーを一つ摘んで、凝視すると豆のようなものが入っていることが分かる。
不意に天気が向き合うような形で口を開いた。
「それ、悠斗様から貰ったの。納豆クッキーらしいですよ」
「へぇ…広竹悠斗様から……味の方は〜…どうです?」
「きな粉とバターの風味があって、納豆の食触もサクサクとして甘い印象を受けましたよ。お先にどうぞ、お好きでしょう?」
「…………」
摘んだクッキーを口の中へ放り込めば、砂糖ときな粉の甘さと焼かれた生地の柔らかさが舌で広がり、バターの香りが鼻を擽る。
美味しいのか、不味いのか、どちらに傾けばいいのか低迷していた思考が珍しくまとまり、床へぶち撒けようとしていた手が注がれた紅茶を口へ呷った。
「…そういえば、前に湊さまのご友人がいらっしゃいましたよねぇ」
「ああ、当主様の…美術大学の人でしたね」
「ええ…お顔がま〜ったく拝見できなかった人です」
「見られるのが嫌なんでしょう」
「そんな方が、わざわざ外に出ますかねぇ?」
「……何が言いたいの?」
「ちらっと見たんですけれど…来客のお顔、湊さまにそっくりだったんですよ」
「…そっくり…?」
クッキーへ伸ばしかけていた手を引っ込めた天気が少し考え込み、また再び口を開いた。
「……当主様に、ご兄弟なんていらっしゃったかしら…」
その言葉に敢えて、何も答えなかった。
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少し肌寒い風が古木の隙間を縫って顔へ吹いた。隣で前を歩く日村と梶谷の当主をじっと見つめた蓮は握られた斧を若干、こちらへ寄せつつある。
明らかな警戒を持ったそれにやんわりと諭すような言葉を投げかけた。
「そんなに警戒しなくても…」
「最近、怪しい団体が多く見られるんです。神宮寺家とは、どう違うんです?」
「…神宮寺家は怪しい団体ではありません」
「じゃあ、それを証明して見てくれますか?」
「……能力でも、良いですか?」
「…能力?」
更に警戒心の強くなった蓮に対して、薄ら笑いを浮かべて僕の能力である“|創造想像《クリエイト》”で柔らかくカラフルな色味のついた小さなお菓子を想像し、出てきたグミを蓮と真広へ差し出した。
「…マジックか何かで?」
「ああ…ええと……そうですね」
すぐに受け取って口へ入れた真広に対し、訝しんだようにグミを観察する蓮。
元々、共に護衛に関する関わりのあった真広からすれば当たり前ではあるが、初対面の人物に物を貰うのは些か抵抗があるのだろうか。
そんな蓮を見つつ、修と湊の会話に耳を傾けた。
「なぁ、前に持って帰った賽子はどうしたんだ?」
「賽子?ああ、あれね…普通に捨てたよ。ちょっと調べたけど特に何もなかったし…ただ、なんていうか……すべすべしてたんだよね」
「すべすべ?…材質が木材とか、石材ってことか?」
「いや…なんか……ちょっと脂があるっていうか…」
「じゃあ、動物か何かの皮だったんだろ」
「ああ…そうかもね。中身も白くて硬かったし、動物の骨なのかも」
「そう考えると変わった賽子だな…」
「…本当に、ね……」
静寂が訪れたその数秒後に修が思い出したように湊へ会話を投げる。
「そういえば、父の様子はどうだ?兄弟の方も」
「…いや、別に普通だね。相変わらず地方で営業しているし、兄弟は……凄く、積極的。酒内村から離れて一緒に暮らそうの一点張りだね」
「離れる気はないのか?」
「今のところはね。そもそも、20年も前から生き別れみたいな形の血縁上は兄弟でも、赤の他人と急に一つ屋根の下で暮らすって怖くない?それに…」
「それに?」
「…重いんだよね、あの人。夜久みたいに」
「ああ…そうか、なるほどな…」
そのまま、再び静寂が流れる。お互いに苦い顔をして、少し夜更けが深まりつつある空を見ていた。
やがて、懐中電灯の光が森の中を射した。視界は光以外真っ暗に染まって、奥からは蛙の鳴く声がする。
「じゃあ、僕は右へ行くから亡忌さんと戌亥さんは修を頼むよ」
僕の腕を掴んで右へ進もうとする湊がそう言った。
威勢よく「分かりました!」と返事をした真広と違って、蓮は黙ったまま頷いて僕から視線を外さなかった。
前で鼻歌を歌いながら歩く湊の先で長身の何かが見えた気がした。
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湊と玖乃が消えた先で、何かを目視した気がしたが、気の所為だと思うことにした。
呑気に修と一緒になって月や星を眺めようとしている真広を引っ掴んで周りを見るように促した。
懐中電灯の光以外は真っ暗な森の中では何かをはっきりと目視することはできないが、微かな音だけが頼りになる。
前を進む修と真広の足音以外に遠くから低い男性のような「おぅい」と呼びかける声がした。
「…修様」
「……人じゃないよ」
俺の呼びかけに遠くからの声に結論から先に話した修へ問いを投げかけた。
「何故ですか。低い、男性のような声ですよ。もしかしたら、山の遭難者かも_」
「絶対に、ないよ」
「…何故?」
「そうだな……なぁ、真広。もし、君が誰かに助けてもらいたい時はどんな言葉を出す?」
そう投げられた真広が背中で驚きを表現して、すぐに答えた。
「…“助けて”…とかですか?」
「そうだろ?地元の猟師の話で“おぅい”や“おーい”などの男性の声は小熊の鳴き声、女性の声は鹿の鳴き声…という話がある。
そもそも、な……救助が必要な人間が呼びかけるような言葉だけなんて、おかしいんだよ。文末に助けてくれ、って言葉がつかなきゃそれはもう人じゃない。こっちを誘う為だけの罠だ」
話しながら懐中電灯の灯りが何かを照らした。それが修の目にも入ったのか勢いよく彼が駆け出して僕や真広がそれを追った。
やがて、修がある地点が腰を屈めた。屈めた地点を少し掘っているようで掘ったところには、少し平たく細切れになった白くも土で汚れた溶けたものがある。
「…これ、なんですかね?」
真広の問いに修は、「なんだろうな」と同じ返しをした。
しばらく視界に存在したそれを忘れるように潮の香りが鼻についた。
香りに誘われるまま耳を傾けると、蛙の声に混じって波が押し寄せる音がした。
「……海、か…」
耳に修の声が響いたと同時に湊と玖乃と思われる懐中電灯の光を瞳が捉えた。
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黒い固定電話の先で中年の女性の声が耳へ届いた。
「その…もう少しだけ、考えさせて下さい」
『もう少し、もう少しって…貴女……こんな簡単な話があると思う?自分自身を殺して、ただ従っていればいいだけじゃない』
「…でも、|大海《おおみ》さんは…」
『遥ちゃん。貴女はもう日村じゃなくなるのよ、お兄ちゃんだって良い迷惑でしょう?もう少し、考えなさい』
「……すみません、失礼します…」
無機質な音を最後に受話器が置かれ、左手に握られた胡蝶蘭の花を模した淡い桃色の簪を壁に突き刺し、ぐっと力を込める。
壁に引っかかっている簪が弧を描くように曲がり、折れそうになった手前で、
「日村さん?」
佐久間の声が力を緩めた。簪を壁から引き抜いて佐久間に返事を返した。
「どうしました?」
「…あ、いえ…修様がそろそろ切り上げるとの言伝で……その簪は?紀井さんからですか?」
「……いいえ…大海|成也《せいや》さんからです。あの、40代の…」
その辺りで言葉が出なくなった。大海の顔よりも修の顔がちらつき、そちらに意識がいく。早めに忘れてしまいたかった。
何かを察したのか代わりに佐久間が話題を更に振った。
「そ、そういえば…最近、浜辺で鳥が異様に集まるところがあるそうですよ」
「…へぇ」
惜しくも会話の波は来なかった。
長い静寂は玄関の扉が開くまで続いていた。
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薄暗い部屋の中で携帯の通知が鳴った。
窓の外は昨日の夜景の暗さよりも明るい太陽が輝いていて、異様に眩しい。
痛みの引かない腰と相変わらず続く頭痛を鬱陶しく思い、気分紛れに携帯を手にする。
真宮の捜索メールと、珍しく湊からのメール。
髪の毛を掻いて、乱れた毛布と裸体の間に携帯の画面を置いて湊のメールに目を通す。
メールの内容は、“朔が失踪した”となんとも不謹慎で夢のように奇妙な内容だった。
小鳥の囀りが醒めて急激に冷えていく頭の中で現実を呼び起こそうとしていた。
**あとがき**
本来なら一人死ぬ予定でしたが、もうちょい足掻いてもらおうかなと思い、優月村八分、朔失踪に走りました。
リーダーで最強なら耐えれるやろ。
Q:本当に優月は死なないのか
今のところ疑似精神崩壊フェーズには走ってる。
“あまり”追い詰めてほしくない、なのでOKということで()
__別に嫌いなわけではない__
Q:各キャラクター身長は?
・日村 修…175cm ・和戸 涼…178cm ・日村 遥…168cm
・桐山 亮…180cm ・鴻ノ池 詩音…170cm ・宮本 亜里沙…170cm
・酒木 楓…176cm ・橘 一護…173cm ・空知 翔…176cm
・柳田 善…180cm ・松林 葵…163cm ・上原 慶一…180cm
・梶谷 湊…185cm ・畠中 秋人‥176cm ・神宮寺 大和‥184cm
・神宮寺 朔…170cm ・八代 亨…179cm ・八代 十綾…184cm
・榊 直樹…180cm ・田中 虹富…185cm
Q:これを執筆していて思うことは?
地獄だなぁって感じ。過去の私は病んでいる。
Q:朔の両親に当たる鬼は悪鬼?
知りません。妖怪と人間のハーフとかいうのはさほど重要じゃないですね。
狐者異だと、従者としての巫女かつ跡継ぎ子生みな女性と跡継ぎ次の巫女を育てる宮司って感じ。
抽象的過ぎて分からんよなぁ。