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諸行無常
未来への不安を煽るような設定なので読みたくない方は逃げてください!
(一応検索除外しています)
ここは日本。荒廃した日本。
足元には海、頭上には赤い空、隣には人ならざるもの。そして手元には何もないような国。
政治家は国民よりも自らの保身を優先し、大企業は倒産もしくはブラック企業へと変貌し、少子化がもう止めようもないほど進行してしまった終わりの国である。
まさしく終焉という言葉に相応しいような有様だ。
今や過去に人間のものであった仕事の49%は、ほとんどがAIに|代替《だいたい》されている。
俺たちよりも優秀で、文句も言わずに365日(故障がなければの話だが)働き続けられるあいつらには、俺たちからしたら勝ち目などない。前までは人間にしかできないと思われていたような芸術や教育すらもあいつらが徐々に侵食していっている。もはや時間の問題だろう。
俺は、深紅の灯りに包まれた部屋の端にある、腐ったベッドの中に潜り込んでいた。
何もしていないときはずっと未来への不安に苛まれて心臓の音が聴覚を支配し、呼吸ができなくなり、手足もろくに動かせなくなる。
夜は不安で眠れないので朝眠ることになるのだが、その度に一日を無駄にしてしまった後悔に襲われる。
思考はといえば、「くだらない」「しょうもない」「生きていても仕方がない」「俺には価値がない」などとないものばかりを考えてしまうのでさらに苦しくなるという負のループだ。
きっとこんな感情を抱いているのは俺だけではないはずだ。そうなんだろう?
俺はひらっべったい掛け布団を顔半分まで引き上げると、古びた天井を見つめながら重いため息をついた。
一体俺はどうしたらいいのか。一人で引きこもって考えていても一向に答えが出ないようなことばかり考えている。今最も自分を|苛《さいな》んでいるのは自分だと自覚しているのに。
すると外から子供達の声が聞こえてきた。声から察するに、まだ年端もいかない元気真っ盛りの幼い子どもらしい。
俺はその声に耳をそばだてた。
その子どもたちはぴちゃぴちゃ…と軽い足音を弾ませて、この静かでコンクリートの壁に覆われた無機質殺風景な場所を駆け回っている。
どうやら鬼ごっこをしているようだ。この時代にそんなアナログで昔馴染みのある遊びをしているとは、と俺は正直驚いたが再び子供達の音に耳を澄ませる。
子どもたちは笑っていた。この国の惨状がまるで目に入っていないかのように。
その声を聞くたびに。俺の心は何かに蝕まれるような感覚に陥っていったが、そのときふと、駆け回っていた少年の声が響いた。
「え?中でゲームしようって?やーだね!おれは走るのが好きなんだもん」
…どうして子供の言葉はこんなにも濁りがないのだろう。
おれは走るのが好きなんだもん、その言葉ひとつで子供の頃のまっすぐな思いが蘇ってきた。俺にも昔はあったはずの気持ちだ。
俺は急にその気持ちを思い出したくなった。でも一体どうすれば?
その時には俺の上にかけられた|萎《しな》びた布団は宙を舞っていた。どうしたことか、起き上がることに成功したらしい。久々にこの腐ったベッドから床に降り立つと、普段とは違った重みが、虚ではなく現実の重みが、俺にのしかかってきた。あまりの重さにふらついたが、なんとか壁をつたって洗面所まで行く。
自分がしようとしてることがなんなのかまるでわからないが、とりあえず洗面所の前の鏡を見てみる。
ひどい有様だ。|無精髭《ぶしょうひげ》、ボサボサの髪、やつれた顔、こけた頬。どれをとってもまともな人間とは思えない。
俺は髭を剃って、髪を|梳《と》かし、顔を洗い、頬を思い切り叩いてみた。…少しはマシになったか。
そして何も持たずに玄関で靴を履く。就活していた頃に使っていた革靴だが、まぁいいだろう。
靴を履き終わると家と外の世界とを隔てた扉のドアノブに手をかける。
しかしそこから俺は動けなくなった。
自分が今まで見ることを避けてきた世界は、実際はどうなっているのだろう。
音と色でしか知らないこの世界は、|余所者《よそもの》の俺を受け入れてくれるのだろうか。
恐れと不安と自己嫌悪に襲われ、すくむ足。指先もドアノブに熱が吸いとられるように、だんだんと冷たくなっていく。
「落ち着け」
俺は、深呼吸をして、ドアノブにかけた手をひねって、扉を開いた。
外は信じられないくらいに眩しかった。
諸行無常_しょぎょうむじょう
→世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。(出典:コトバンク)
仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。(出典:フリー百科事典Wikipedia)