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地縛霊はワンルームにいる。
ここ一年間、わたしは一回も外に出たことがない。
もう、誰かの悪意に晒されるのが嫌になった。
だがこの小部屋は、わたしを外界の悪意から守ってくれるが、
わたしに何も与えてくれない。このままではダメだ。
そう思って玄関のドアノブを掴むと、震えが止まらなくなる。
このままでは、絶対ダメなんだ。
それなのに、わたしの身体はこんな時でさえ言うことを聞いてくれない。
薬を飲まなければ、安心して寝れない。
目を閉じると、辛かったことが濁流のように押し寄せた。
その度に苦しくなって、枕を濡らした。
大勢の前で自己紹介をする時、眼の前が暗転して何も見えなくなる。
ひそひそ囁く声が聞こえないように、耳鳴りで周りの音がかき消された。
自分の心臓の音だけが聞こえて、耳から頬、鼻にかけてがひどい熱を帯びて、
荒くなった呼吸のせいで、言葉の一つも紡げない。
いつから私の身体は、こんな状態になったのだろうか。
考えようとするも、辛くなるとわかっていたから
思考するのをやめた。
毎日、最低限の食事を摂ってシャワーを浴びる以外には、
何も考えず呆然としながら、こじんまりとした狭い部屋の中心で膝を抱えるだけだった。
ネットもゲームもできない。アニメも見れないし、本も読めない。
熱中できる趣味なんて当然無いし、昔楽しかったはずのことも
今は楽しいと思えなかった。
好きだったアニメも大女優も、今は見る気分になれない。
こんなどうしようもない状態のわたしを、ひとり訪ねる者があった。
たったひとりの友人。
そいつはひどくお人好しで、困っている人を放っておけない性格。
加えて誰とでも友達になりたがるようなやつで、わたしはそいつの押しに負けて友達になった。
それからそいつはわたしを気にかけるようになり、
度々煮物を作りすぎたとか言ってお裾分けに来たり、
バイト先で発注ミスした大福を押し付けに来たり...色々な理由でわたしを訪ねに来た。
多分そいつは隠しているだけで、煮物も大福も
わたしのために買ったものなんだと思う。
わたしはそいつに与えられてばっかりで、恩返しすらできない。
それを思うと余計に辛くなり、もういいと伝えたくなった。
だが彼の気遣いを無碍にするようで、それすらも言えなかった。
そいつは...あれ、そういえばなんていう名前だっただろうか。
あれだけ良くしてもらって、名前すら覚えられないとは。
そんな自分に吐き気さえ覚えた。
変に思われるだろうが、名前を聞いたほうがいいのだろうか。
そんな中、今日も彼がわたしを訪ねてきた。
インターホンを押せばいいものを、あいつはいつも扉を叩く。
はいはい、そう思いながら玄関の扉を開けた。
「よっ」
彼はそう言って、右手を軽く振った。
わたしも釣られて振り返す。
...少し線が細いような、華奢な体躯。
自然な金色に染まった髪は、若干癖がついている。
あくまで無彩色であるわたしを嘲るように、彼のピアスが
様々な色彩を帯びながら風に揺れた。
なぜこいつは、わたしと友達になろうとしたんだろうか。
自分と対極的なその姿を瞳に写すたび、そんな疑問が浮かんできた。
人類みな友達だとか、友達100人できるかなだとか、
そういう思考回路で作った友達がわたしなのかもしれない。
だがそれにしても、なぜここまでわたしを気にかけるのか...
彼は玄関口に立ったまま、左手のレジ袋の中身を探り始めた。
中に入っているものを、一つずつ取り出しながら説明する。
「これ、エナドリな。お前見るからにエナジーとか生気とか足りてないから。
これはカレー。冷蔵庫に入れといて、食うときはレンジで温めて。爆発させんなよ。
あとこれ、シュークリーム。少なくとも現実よりは甘い」
余計な一言が多いが、わたしはそこに文句を言える立場ではない。
こうやって、食べ物を届けてもらえるだけでも助かるのだから。
そう思っていると、あいつが更に脇の方からトイレットペーパーを取り出してきた。
「これもな。そのうち家賃催促の紙で尻拭いたりするんじゃないかって思って」
そんなことはしない。そもそも、こんな状態ではあるが
しっかり家賃は払っている。
まだまともな時に真面目にバイトした分、貯金はそこそこあるのだ。
それも、いつ無くなるかは分からないが。
ただ、食べ物の出どころもほぼあいつであるため、
その他の出費は光熱費や水道代、ガス代や携帯電話の料金のみ。
他の人よりは持つだろう、と踏んではいるが...
不安要素であることに代わりはない。
さっさと社会復帰ができるのなら、苦労はしないのだが。
わたしの身体は拒絶反応を起こしてしまう。
この部屋からどう頑張っても出られないなんて、まるで地縛霊みたいだ。
青白い肌も、不健康そうな隈も、部屋の真ん中で膝を抱える姿も、
見る人が見れば幽霊にしか見えないだろう。
そう考えていると、珍しくこいつはすぐに帰らなかった。
いつもなら、渡すもの渡した後はすぐに帰っていくのだ。
すると、彼が口を開いた。
「...あのさ、俺、お前のことほんとに心配なんだよ。
早く元気になってほし...あ、こんなこと言っても
かえってプレッシャーだよな、ごめ...」
「ごめん」
自分でも驚くほど、口が勝手に動いた。
出てきたのは、典型的な謝罪の言葉。自分は何に謝ったのだろう?
こいつに心配をかけてしまったことだろうか。
そんなこと言われたって、すぐに元気にはなれないことへの謝罪だろうか。
彼は一瞬驚いた顔をしてから、少しうつむいて暗い顔をする。
「やっぱダメだよな、急かすようなこと言って。俺ってダメだ」
「...」
自分を責めるように話し始めた彼に、心が痛んだ。
別に、こいつが悪いわけじゃない。
多分悪いのは、あんな昔のことを忘れられずに、
ずっと周りの善意に甘えて、ずるずると部屋を抜け出せなくなっていったわたし。
結局は、他人に心配してもらえるという”幸せ”を知っているのに、
激しいいじめに心が折れた”不幸で可哀想な自分”を演じ続けているだけなのかもしれない。
なら、なんで自分はここから出ることが出来ないのか。
引きこもりなんてただの甘え。
いじめなんてのも、引きこもるための口実。
ただわたしは何もできないだけなんだ、
こいつがいないと餓死してたし、薬を出してくれる先生がいなければ
ひとりで眠ることさえできない。きっと全部わたしが悪い...
「けどさ、全部自分が悪いとか思うなよ」
「...!」
「そんなこと、お前が一番思っちゃダメなことだ。
頑張ってる自分を一番よく知ってるのはお前なんだから。
自分を真に労ってやれるのはお前だけなんだから」
どうやらわたしは、ひどく馬鹿なことを考えていたようだ。
高校3年生の冬、あの日からわたしは子どものままなのかもしれない。
わたしは常に成績上位だった。
だが気弱そうな見た目と性格のせいか、クラス内でも目立つことはなかった。
それが裏目に出たのかもしれない。
まあまあ良さげな大学に行けるであろうわたしを、妬んだ者がいた。
どれだけ勉強しても成績が伸びず、自棄になった者がいた。
評定が足りず、ひとの何倍頭が良くてはならない馬鹿者がいた。
成績がいいわたしの、足を引っ張ろうとした愚者がいた。
大学入試に向けて、わかりやすく書いたノートが燃やされていた。
母に買ってもらったペンケースが、トイレの中に浮かんでいた。
「頭いいんだし、ちょっと汚れたっていいだろ?」
そうやって頭上から降ってきたのは、掃除後の雑巾を洗ったバケツの水。
つまらない人生を淡々と送ってきたからこそ、この時期の出来事は
脳裏に刻み込まれ、忘れることができないものになった。
大学には受かった。
あの馬鹿らは落ちた。
それでいい、それが正解だ。
奴らはきっと、貴重な大学での生活をすべて遊びに使う。
道徳の授業をまともに受けずに、心のノートが白紙の
社会不適合者を、大学に入れてほしくない。まともな職についてほしくない。
つまらない人生...それはあいつらも同じか。
ただし、”最底辺の”という一文を添えられたものだろうが。
わたしはこの出来事から、対人面に問題を抱えてしまった。
だが、きっとそのうち治るだろう。そう思っていた矢先、大事な人が交通事故で死んだ。
居眠り運転の暴走トラックが、歩道に乗り上げてきたんだという。
そのまま轢かれて、ぺしゃんこになって終わりだったらしい。
あ、こんなにあっけなく死んでしまうものなのか、人間って。
そう思ったと同時に、大事な人を失った喪失感が襲った。
何もできなくなった。部屋に籠るようになった。
そういえば、大事な人って誰でしたっけ?
それは多分、精神的に不安定な今知ってしまったら、
取り返しがつかなくなってしまうこと。
あの日死んだのは、母だったか父だったか。
色々参ってしまって忘れてるだけで、姉だったり兄だったり、
弟だったり妹だったりがいたのかもしれない。
もしかしたら、友人...は、無いか。
わたしに家族と同じくらい大切な友人はいなかった気がする。
唯一いる友人だって、生きていたじゃないか。
あいつが帰って、静まり返ってしまった部屋の中でそんなことを思う。
彼が持ってきてくれたシュークリームは、
確かに現実よりも甘くて、もったりとした食感が口内に残った。
:
:
:
あいつは、前までなら週に一回だけ来たはずだ。
だが急に、来る頻度が高くなった。
どれくらいかというと、冗談抜きで毎日。
最初は玄関口だったのが、部屋に上がってくるようになった。
夕方になるとふらりと姿を現し、夜がふけてきて、
一般的に深夜と呼ばれる時間帯になると、いつの間にかいなくなっている。
最近は食料品などを持ってくることも少なくなり、
わたしが餓死しないようにすることとは、また別の目的がありそうだった。
それにしても、あいつが帰るときの静かさときたら。
先祖に忍者でもいるのではないか?と疑うほどだった。
そんなある日、あいつがある提案をしてきた。
それは、少しずつ外に身体を慣らしてみないか?というものだった。
「知ってるか?朝一番に日光を浴びるといいみたいだぞ。
何にどういいのかは知らないけど。まずその年がら年中閉め切ったカーテンを開けるところからだな」
そう言われたものの、わたしはいまいち乗り気ではなかった。
もちろん、将来社会復帰するためには大切なことだ。
だが今の自分に、何ができて何ができないのかが分からない。
カーテンを開ける、そんな初歩的な行為でさえ
自分にできるのかが分からなくて、回答に困った。
「大丈夫だって、できない日はできないでいいんだよ。
一度挑戦することが大事なんだからな...
開けられた日は、自分を思い切り褒めてやればいいさ」
「...ありがと」
「じゃ俺帰るわ、じゃあな」
わたしの言葉が聞こえたか聞こえていないか、彼は
そう言いながら立ち上がり、玄関に向かって歩いていった。
もう一度しっかり、感謝の言葉を伝えたい。
そう思い、わたしもすぐに立ち上がり玄関に向かったが、
すでにそこにあいつの姿は無かった。
「......帰るの、早すぎだろ」
六畳のワンルームの中に、ひとり残されたわたしの声だけが、
妙に部屋の中を木霊した。
その夜、わたしは昔好きだった大女優が出てる映画を見た。
相変わらず綺麗で、その堂々とした立ち振舞に目を奪われる。
昔のように、エンタメとしては見ることができず、
ストーリーもいまいち頭には入ってこなかった。
ただ、美しい彼女が、まるで芸術作品のように見えた。
たまにはこういうのも、悪くないかもしれない。
初恋の大女優を尻目に、わたしはずっと飲んでいなかったエナドリに手を付けた。
...これも、現実より甘い。喉にまとわりついてくる甘さが、若干強烈だ。
その日、わたしは一睡もしなかった。
寝たら言われたことを忘れてしまうような気がして、怖かった。
朝、恐る恐るカーテンに手をかける。
手は震えない。少しだけ、カーテンを開けてみた。
冷や汗は出ない。思い切って全開にした。
眩しい朝日が、わたしの目を刺した。
雲一つない、青空が見えた。
すずめか何かの鳥が、楽しそうにさえずっているのが聞こえた。
「ここら辺に、すずめなんていたのか」
考えてみれば、すずめがいるのなんて至極当然のことだ。
それに気付けないくらい、わたしは周りに目を向けれていなかったということか。
世界がこんなにも澄んでいて、綺麗で、美しくて、
何物にも代えがたいものだということを思い出した。
子どもの笑い声が聞こえた。そういえば、今日は休日か。
近くに公園なんてあっただろうか。
「あるよ公園」
「うわっ...!?」
「はは、ごめん驚かせて。綺麗だろ?久々に見る青空は」
いつの間にか、彼がわたしのすぐ後ろに立っていた。
そういえば、昨日鍵を閉め忘れてしまった気がする。
変なやつが入ってこなくてよかった、と胸を撫で下ろした。
こいつはというと、鍵が開いていたとはいえ
無断で人の家に入ってきた割には、ひどく呑気だった。
わたしの肩の上に顎を乗せ、窓の外を見ている。
なんだか、変な感じだった。
まるでただの大学生の朝。
まあ...同じ部屋に男ふたりというのは、少し異質ではあるが。
仲の良い友達だったら、そういうこともするのかもしれない。
そうだったら毎日楽しいだろうな、と想像してみる。
一人暮らしというのは、たまになんの予兆もなく寂しさが押し寄せてくるものだ。
そんなことも、きっと隣に誰かがいればなくなるはずだから。
「...あのさ、もし、もしわたしが...普通に外に出れるようになったら...
一緒に部屋借りてみないか...?」
「...え?」
「いや、ふたりだったらきっと...寂しくない、だろ?」
小さい声でぼそぼそと告げたわたしの言葉に、
一瞬彼は驚いた表情を見せた。
だがすぐに嬉しそうな顔になり、ばっと顔を上げた。
「いいなそれ!実質家賃半額!」
「金ばっかり...」
そう言って、わたしは笑ってみせた。
笑うのなんていつぶりだろうか、きっと顔は不格好で、
声だって乾いたようだったが、誰よりもわたしが元気になることを願っていたこいつには、
わたしが思っていたよりも、嬉しい出来事だったようだ。
一通りほんと良かったよやら、いい波来てるぞだとか言ってから、
あいつは帰りの挨拶を言って帰っていった。
そうだ、鍵を閉めなければ。そう思い玄関に行って、鍵に手をかける。
「...え?」
...鍵は、閉まっていた。
だがあいつは、さも当然かのように入ってきたではないか。
そこでわたしは、考えるのをやめた。
多分まだ気付いてはいけないこと、気付くのには早すぎること。
そうだ、きっと大家にマスターキーでも借りたのだろう。そうに違いない。
そんなことがあってから、2日後のこと。
あいつは、次は玄関から出てみようと言ってきた。
それは、無理だ。
何回も「せめて玄関から一歩だけでもいいから出てみよう」と思った。
実行に移した。できなかった。
何回もやって、失敗に終わっているんだ。
わたしはそのことを、そっくりそのままあいつに伝えた。
「それはお前が、外を知らなかったからだろ?井の中の蛙くんめ。
大海を知った蛙は、サーフィンだってできるだろうが。
世界が美しいと思い出せたお前は、一歩どころか百歩は踏み出せるね」
なるほど、確かにこいつが言っていることは一理あるかもしれない。
前は外が怖かった。また、他人の悪意に晒されるのが怖かった。
だが、今は違う。
そもそもあいつらは、今社会的に終わってる真っ最中であろう。
何も怯える必要はない。
わたしに対して悪意を浴びせてくる輩が現れたとしても、
きっとこいつがいるのなら...乗り越えれる気がする。
それに、世界はあんなに綺麗だったではないか。
もちろん、腐っている部分もあるだろう。
だがそんなもの、わたしが思っているよりもずっと少ないはずだ。
「...なんか、やれる気がしてきた」
「その意気だ、波乗り遅れないようにな」
そうやって笑ったこいつは、あの日見た朝日くらい眩しい。
また軽く別れの挨拶をして、あいつは帰っていった。
...今日もまた鍵が閉まったままな気がするが、きっと気のせいだ。
次の日、あいつは朝早くからわたしを訪ねに来た。
扉を開けると、いつものように彼がそこにいる。
「さ、前来て」
そう言って、王子が姫をエスコートするときのように手を差し出してくる。
男相手にこんなことするなんて、ふざけてるのだろうか...
そう思いながらも渋々手を取った瞬間、思った。
そういえば、外に出ることを前提として扉を開けたが、
手はまったく震えなかった。
それに気がついたとき、嬉しくなった。
やっとわたしも、普通に外に出れるんだ。
まだ寝るときは薬が必要だが、段々とわたしは普通になっていった。
薬だって、これから少しずつ減らしていけば
いつかは何も飲まなくても眠れる日が来るはず。
そんな未来を夢見ながら、彼に手を引かれわたしは外に出た。
若干暑いが、吹く風は冷たくて心地よい。
空は馬鹿みたいに青くて、見上げるとどこまでも続いているようだった。
こんな大きな空からしたら、わたしの悩みなんてちっぽけで笑えてくるだろう。
その瞬間、すっと心が軽くなった気がする。
「どうだ?久々の外」
「はは...なんか、全部が眩しい」
「だろうな、カーテン閉め切った部屋で1年引きこもりだろ?
そりゃ太陽光にさえ目が焼かれるさ」
ま、少しずーつ慣らせばいい。呑気ながら、今のわたしには
一番嬉しい言葉が付け足された。
本当に、こいつには感謝しかない。
なにか恩返しができるなら、それは前言った理想を実現させることだ。
普通に外に出れるようになって、ふたりで家を借りて一緒に住む。
悔しいが、今のわたしはまだまだだ。
玄関から一歩出ただけ。せめて近くのコンビニまでは、行けるようにならないと。
そう思っていたとき、重要なことを思い出した。
こいつの名前...覚えていないのでは、今後不便だ。
少し不自然だが聞いてみよう。
「あのさ、わたし...ずっと引きこもってたせいで記憶力無くなってるみたいで。
お前の名前...恥ずかしいけど、うろ覚えなんだ」
「はは、いいって。そういうこともあるさ。俺の名前は...」
言いかけたところで、彼の表情から笑顔が消えていった。
どうかしたのだろうか?そう思い、顔を覗き込んでみる。
すると次は苦笑いになり、おかしなことを言い始めた。
「あれ?おかしいな...俺の名前、なんだっけ」
「...は?」
「いや、おかしいよなこれ。おかしい...俺って誰だ」
そう言いながら、彼は自分の両手を頬に当てた。
そのまま顔全体を触っていって、まるで自分のカタチを確認するかのような動きをする。
一体、どうしてしまったのだろうか。
...この発言は、少し早すぎたかもしれない。
慌てて、急がなくてもいいよと話しかけた。
彼は、少し安堵したような、今にも泣き出しそうな、
哀しそうな笑みを浮かべて呟いた。
「...ありがとう。じゃ、また今度」
そのままあいつは歩いて行き、少し歩いたところで見えなくなった。
だが、この日からあいつはわたしを訪ねてこなくなった。
1日、また1日。
日は流れていき、わたしは毎日少しずつ外に出るようにしていたおかげで、
大分外に慣れてきていた。
さらに、医師に相談して睡眠薬の量を減らしてみた。
すると、前までと同じように眠ることができた。
本当にいつか、普通に眠れるんじゃないのか?希望は、現実になっていった。
あの日から、丁度2週間が経ったある日、
またあいつがふらりとやってきた。
「お前、なんで2週間も」
「悪い悪い、寂しかったか?さ、行こう」
「どこに?」
「公園だよ」
急にそう言われて、少し困惑しながらも、
久しぶりにこいつと会えたことが嬉しくて、言われた通り公園に行くことにした。
ふたりで家を出て、公園まで歩いていく。
いつもならこいつが上機嫌になって、たくさん喋るはずだが、
今日は一言も喋らなかった。
「...なぁ」
「ん?」
一応、話しかけたら答えてくれる。
わたしはひとつ、質問してみることにした。
「なんでわたしのこと、こんなに気にかけてくれるんだ」
「あー...なんでだろうな。お前って放っておけなくて、
多分それが心残りだったんだろうなー」
彼は天を仰ぎながら、そんなことを言った。
ずいぶんとおかしな言葉回しをする。
公園に着き、空いているベンチに二人で座った。
今日は休日だ。子どもたちやその母親、
仲睦まじい老夫婦や、犬の散歩をしている若い男性がいた。
そんな中、ひとりの少年がわたしに駆け寄ってきた。
何だろうか?そう思っていると、少年が聞いてきた。
「おにいさん、ひとりでなにしてるの?いっしょにあそぶ?」
「...え?いや、友人と一緒に来てて」
そう思いながら隣を見ると、彼は口に人差し指を当てていた。
何も話すな、それを表すジェスチャーだ。
「...?おともだち、どっかいっちゃったの?」
「ああ、そうみたい」
「じゃ、もどってくるまであそぼ!」
そう言われ、どうしたものかと困っていると、
少年の母親らしき女性が走ってきた。
「あっ...!ごめんなさい!下の子見てる間に...」
「いえ...大丈夫ですよ」
そのまま少年は、母親に手を引かれ帰っていった。
わたしは、隣のこいつに聞かなければならないことがある。
深呼吸をしてから、わたしは話し始めた。
「やっと、受け止めれる気がするんだ。お前は、あの時死んでしまったんだろう」
「...ああ、暴走トラックでぺしゃんこに、な」
「ずっとわたしだけが心残りで...そばにいてくれたのか」
「ああ、多分...お前は幻覚を見てるんだ。しばらく強い薬使ってただろ。きっとそのせいだ。
その幻覚と幽霊である俺が、うまく重なってしまった結果が、恐らくこれだ」
いつも、食料品を持ってきてくれたあいつ。
あれはわたしが、通販で注文したものだった。
置き配にしていたおかげで、まるであいつが持ってきたかのように感じられた。
荷物を玄関に置いている物音が、あいつが扉を叩く音として認識された。
あいつが食料品を持ってこなくなったのは、わたしが注文をしなくなったから。
流石に少し控えなければ、貯金は底をついてしまうから。
あの日肩に乗せられた顎も、あの日取った手も、
全部全部全部、わたしの幻覚が作り出したものだったらしい。
「俺も...忘れてたんだ。自分がもういないんだって。死んでるんだって。
あー、お前と一緒に部屋借りて...そこに住みたかった。きっと楽しかっただろうな。
でもいいんだ、もうお前はひとりでも生きれるだろ。俺がいなくてもいいだろ。
だから...お前の地縛霊でいるのはやめるよ」
「...うん」
地縛霊は、本来死んだ場所や元々住んでいた場所に憑く存在だ。
だがこいつの場合、その対象がわたしという一個人だった。
きっとわたしが幻覚を見ていなくて、こいつの姿を補足できていないときも、
こいつはずっとわたしのそばにいてくれた。
ずっとわたしを支えてくれたのは、こいつだった。
「うん...なんか、寂しいな」
「そんなことないよ」
「はぁ?お前急に自立しすぎだよ!」
「だってどこからでも、お前はわたしを見ててくれるだろ」
そう聞くと、ひとりの地縛霊は目に涙を浮かべながら頷いた。
その姿は、少しずつ薄くなっていった。
きっと、薬の量を減らしたせいだろう。
副作用も弱くなってしまった。
だが、それで良かったんだ。
「そういえば、俺の名前...清水、誠っていうんだ」
「...ああ、なんでこんないい名前、今まで忘れてられたんだろうな」
「俺もお前の名前、聞きたい」
「わたしは、浅井 薫」
もう、あいつの姿は目で捉えることはできない。
ただ確かに、そこにいる。
そこにいる感覚も、段々なくなっていった。
でもわかる。あいつはきっと、どこにいてもわたしを見ていると。
そうして、偽物の地縛霊だったわたしは、本物の地縛霊に別れを告げた。
こんなときでも空は馬鹿みたいに青くて、広い。
清水が教えてくれた世界の美しさを噛み締めながら、
わたしは公園で、いつまでも空を仰いでいた。
---END---
短編カフェなのに1万文字超えました。
すんません調子乗りすぎました。
色々訳アリですので、8月の中旬に非公開にする予定の小説。