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〖第五話〗 封印の間と"白紙の書"
その日、リィナは一人で書庫の整理にあたっていた。
シオンは別の書類調査のため、上層の記録室へ向かっており、「午の鐘が鳴るまでは整理と写本の練習をしていてくれ」と言い残していた。
書庫には、今日も静かな空気が漂っていた。
神殿の地下は入り組んでおり、書庫だけで三層あると聞いている。リィナが許可されているのは、その中でも一番上の"第一階層"のみ。だが、古い地図によればさらに奥に"特別保管区域"と呼ばれる区画が存在しているという。
――そこには何があるのだろう?
ふとした好奇心だった。いや、もしかすると、あの"黒布の本"以来、リィナの心の奥には、ずっと何かがざわついていたのかもしれない。
その感覚に導かれるようにして、彼女は普段使われていない書架の奥へと足を運んだ。
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重い書架を回転させた先、小さな扉があった。
古びた木製で、取っ手は錆びかけている。
「だめ……かな。でも、鍵は……かかってない」
かすかに息を呑み、扉をそっと開けると――そこには、細く狭い通路が続いていた。
苔むした石壁。うっすらと魔石の明かりがついているが、人の気配はない。空気は冷たく、まるで時間そのものが止まっているようだった。
リィナは、おそるおそる足を踏み入れた。
数分歩くと、通路の先に広間があった。
そこはまるで"祭壇"のようだった。
天井の高い石室。中央には六角形の台座。そこに置かれていたのは――一冊の本。
けれど、それは"白紙"だった。
表紙には何の装飾もない。ただ、銀の留め具だけが光を反射していた。
「……これは、何の本……?」
近づこうとした瞬間、部屋の空気が一変した。
ざわ……っと、空間がうねるような気配。魔石の明かりがひとつ、またひとつと輝きを強め、天井の魔法陣が淡く浮かび上がった。
白紙の本の周囲に、光が満ちる。
そして、まるで応えるように――リィナの胸元、あの"紙片"が、ふわりと浮き上がった。
「えっ……?」
ポケットから飛び出したその紙片は、ひとりでに本の上に降り立ち、ゆっくりとページを捲った。
白紙だったはずのページに、光の文字が浮かび上がる。
《問う。汝の名と、言葉を》
「な……に……?」
書かれた文が、リィナの頭の中に直接響いてくる。まるで意識の深い部分に届いてくる声だった。
《汝、語るべき言葉を持つか?》
心が試されている――そう感じた。
リィナは震える手で、本にそっと触れた。声に鳴らない想いが、胸の奥から込み上げてきた。
「私は、リィナ。……まだ何も知らない。けれど……知りたいんです。言葉を。過去を。世界を。」
白紙の書は暫く沈黙していた。
そして、再びページが、風もないのにひとりでに捲れた。
《"|記録者《クロノグラフ》"の素質、確認。選定中……魔素量、基準未達》
《条件不足。仮登録処理を開始》
「え……仮、登録……?」
そのとき――
台座の下から光がほとばしり、リィナの足元に紋章が浮かんだ。
六芒星に似た魔法陣。彼女の影か揺れ、本のページが激しく舞い、書庫中に響き渡るような風が吹き荒れた。
そして、本の表紙に――ひとつの刻印が浮かび上がった。
**『リィナ=フェルナード』**
まるでそれは、"持ち主"の名前のように、書き記された。
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暫くして、すべての光が消えた。
広間には、再び静寂が戻っていた。
ただ、リィナの手の中には――今や"記され始めた白紙の本"があった。
シオンが言っていた。
"知るべきではない言葉もある。だが、君が成長し、力を持ったとき……その扉が再び開くかもしれない"
その"とき"が、もう――始まっていたのかもしれない。