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3話 ボールを追いかけ、君のところへ③
体育館の窓から射し込む午後の光は、
埃を照らして、まるで細かな粒子が空を漂っているようだった。
その光の中で、戸柱恭孝の動きは驚くほど滑らかだった。
ボールを扱う手、汗に濡れた腕、わずかに乱れる呼吸――
そのすべてが、千隼の目にはどこか“美しかった”。
入部してまだ二週間。
けれど、千隼はもう知っていた。
この人は、ただ強いだけのキャプテンじゃない。
沈黙の中に、誰よりも仲間を見ている人だと。
「佐々木、もう少し左だ。中川が上がってる。」
「了解っす。」
短い言葉のやり取りなのに、不思議と息が合う。
その瞬間、目が合った。
恭孝は何も言わず、ほんの少しだけ口角を上げる。
それだけで胸の奥がきゅっと締めつけられる。
――ああ、俺、たぶんもう気づいてる。
この人に惹かれてるって。
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練習後、コートの片隅で中川颯がストレッチをしていた。
その表情は、どこか険しい。
明るい印象の彼にしては珍しい静けさだった。
「颯、まだ残ってんの?」
「……ああ。千隼こそ、早く帰れば?」
「んー、キャプテンにフォーム見てもらいたくてさ。」
その言葉に、颯の動きが一瞬止まった。
ほんの一拍の沈黙が、空気を少し冷たくする。
「……マジで、キャプテンのこと好きだよな、お前。」
「え?」
「いや、プレイの話な。」
颯はそう言いながら笑う――けど、その笑顔の奥に、
何か張り詰めたものが見えた。
千隼は軽く肩をすくめた。
「まぁ、好きかもな。……バスケも、キャプテンも。」
冗談のように言った。
でも自分の中では、もう冗談にならなかった。
颯がその意味を察したのか、ほんの一瞬だけ視線が鋭くなる。
「……キャプテン、そんな簡単じゃねぇよ。」
「分かってる。」
「本気なら、たぶん、傷つく。」
颯の声は静かだった。
その言葉に、なぜか冷たい風が頬を撫でた気がした。
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夜、千隼は一人でノートを開いていた。
バスケの戦術メモの隅に、何気なく“恭孝”の名前を書いてしまう。
その筆跡を見て、思わず苦笑した。
「……まるで、中学生みたいだな。」
けれど、どうしても止められなかった。
試合中の冷静な眼差しも、笑ったときの柔らかい声も、
気づけば全部、頭の中に残っている。
自分はいつも“明るくて誰とでも話せるやつ”でいようとしてきた。
けれど、恭孝の前では、言葉がうまく出てこない。
冗談も笑いも、どこか空回りする。
――たぶん、怖いんだ。
この想いが、誰かを壊してしまうのが。
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翌日、練習試合。
相手チームのセンターに押されながらも、千隼はなんとかボールをキープした。
その瞬間、背後から強い声が飛ぶ。
「千隼、パスだ!」
恭孝の声。反射的にボールを託す。
恭孝はそれを受け取り、颯へと素早くパスを回す。
颯のシュートが綺麗に決まり、体育館が歓声に包まれた。
勝利の瞬間、チームが喜び合う中で、
恭孝は颯の肩を軽く叩いた。
「ナイスシュート。」
「……キャプテンのおかげっす。」
その光景を見て、千隼は笑った。
けれど、その笑顔の奥で、何かが静かに軋んだ。
自分のパスが、
誰かの想いを繋いでしまったような気がした。
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試合後の帰り道。
薄暗い夕焼けの中、三人が並んで歩く。
恭孝が前を歩き、颯と千隼が少し後ろ。
誰も言葉を発さない。
ふと、千隼は颯の横顔を見る。
その瞳はまっすぐ前を向いていた。
まるで、何かを守るように。
「なぁ、中川。」
「ん?」
「……お前、キャプテンのこと、どんな風に見てんの?」
颯は少しだけ考えてから答えた。
「俺にとっては――届かない人。」
その言葉が、胸の奥に重く沈んだ。
その“届かない”という距離を、
自分もまた、同じように感じていることを、
千隼はまだ認められなかった。
夜の空は澄んでいて、星が滲んで見えた。
三人の想いが、少しずつ重なり、すれ違っていく。
まだ誰も知らない。
この交差が、やがてどんな結末を呼ぶのかを。