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四分咲き
『好きでした。大好きでした。』
それだけ書いた手紙を、封筒に入れる。四葉のクローバーのシールで封をした。クローバーを選んだことに意味はない。ただ、なんか良さそうだったから。明日、この手紙を先輩に渡す。読んでもらえなくてもいい。彼の心に届かなくてもいい。自分の中でこの気持ちにけじめをつけたいだけなのだ。
手紙を丁寧にカバンに入れる。明日は先輩の卒業式だ。卒業式が終わったあと、それとなく渡そうと静かに決めた。
次の日、ちゅんちゅんという鳥の鳴き声で目が覚めた。時間を見た。目覚まし時計がなる10分前だった。窓を開けると、冷たい空気が頬を撫でる。それに乗った春の匂いに、私の鼻がくすぐられた。支度を終えて、カバンを肩にかけ家を出た。カバンの中の手紙が曲がっていないか、シールが剥がれていないか、そんなことを何度も確認した。そうしているうちに、やけに長く感じた通学路も歩き切って、学校の校門をくぐっていた。先輩のことばかり頭に浮かんできて、朝のHRのことはあまり覚えていない。気づけば、体育館の遠い天井を見上げていた。卒業生、入場、という先生の声と同時に体育館のドアが開き、卒業生たちが入場してくる。私は拍手をしながら先輩の姿を探していた。先輩は少し緊張した表情で歩いていた。でも堂々としていた。
そのあと、卒業証書授与や卒業生からの答辞などを終え、拍手に包まれながら卒業生が退場する頃には、あちこちから鼻を啜る音や嗚咽が聞こえてきていた。私もいつの間にか鼻頭が熱くなっていた。
在校生である私たちも教室に戻り終礼が始まる。私たちを見つめる先生の瞳は少しだけ遠くを見ていた。終礼が終わってすぐ教室を出ようと思ったが、友達が話しかけてきたので少し遅れてしまった。それでもなるべく早く会話を切り上げ廊下に出た。先輩に会いたくて、走ろかという考えが脳裏に浮かんだけれど、カバンの中の手紙がそれでよれよれになってしまったら大変だ。
先輩は、校門にいた。写真撮影や見送りでごった返していたが、私は彼をすぐに見つけることができた。後輩女子に囲まれていた。彼の制服の第二ボタンは、もうなくなっていた。改めて先輩の人気を目の当たりにし、開きかけた口から声が出なかった。カバンの持ち手をぎゅっと握りしめ、大丈夫、渡すだけだ、と自分に言い聞かせながら、ほんのりと暖かい手紙を、カバンから取り出す。幸い曲がってもおらずシールもそのままだ。それを見て、少しだけ胸が締め付けられた。
「先輩。」女子生徒らの隙間を抜け先輩の近くに行った。緊張でくちびるがわずかに震えていた。「見なくてもいいです。受け取っていただけますか。」彼の目を真っ直ぐに見て言った。聞こえるか聞こえないか、伝わるか伝わらないか、ギリギリの声量だった。でもそれが今の私の限界だった。先輩の顔が変わるまでの一瞬が、永遠のように思えた。その一瞬、私の世界からは音が消えた。先輩と私以外のすべての人間が消えた。なのに、手の震えだけは消えてくれなかった。彼はにこりと笑い、ありがとうという言いながら手紙を受け取ってくれた。きっと手紙の中身も大体の予想はついているのだろう。彼にとっては、よくある手紙のひとつかもしれない。けれど、私にとっては、今までの人生で1番特別な手紙だった。いつか後悔するかもしれない。でもきっとしない。
頬が熱い。自分でもわかった。そっと背を向けて彼の元を離れた。数秒だけでも、彼の瞳に私が写っていた。風がやわらかい。桜の花びらが、光に滑るように舞った。