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蝶の告白
短編小説『蝶の告白』
僕は、仮面をつけて生きている。
目を合わせれば、相手の“本音”が流れ込んでくるからだ。
優しい言葉の裏にある苛立ち。
笑顔の奥にある孤独。
それを知るたびに、僕は人が怖くなった。
だから、仮面をつけるようになった。
誰とも目を合わせず、誰の心にも触れずに過ごす日々。
それが、僕の“安全な世界”だった。
そんなある日、彼女は現れた。
転校生。
明るくて、よく笑う子。
教室の空気が、彼女の声で少しだけ柔らかくなる。
彼女の髪には、蝶のヘアピンがついていた。
青くて、透き通るような翅。
まるで、本物みたいだった。
僕は、彼女と目が合った。
でも――何も聞こえなかった。
「君の心が、読めない」
それは、僕にとって初めての感覚だった。
彼女は僕に話しかけてきた。
「その仮面、なんでつけてるん?」
僕は答えなかった。
でも、彼女は笑って言った。
「なんか、もったいないな。君の目、きれいやのに。」
その言葉が、僕の中に残った。
“きれい”なんて、言われたことがなかった。
僕の目は、誰かの心を暴く道具でしかなかったから。
それから、僕は少しずつ仮面を外すようになった。
彼女と話すときだけ。
彼女の心は読めない。
だからこそ、僕は彼女の言葉を信じるしかなかった。
ある日、彼女が言った。
「うち、転校するんや。来週には、ここおらへん。」
僕は、初めて心が読めないことを怖いと思った。
彼女が本当に笑っているのか、悲しんでいるのか、わからなかった。
その日、彼女の蝶のヘアピンが落ちた。
僕はそれを拾って、そっと手渡した。
「君の心は読めない。でも、君の言葉は信じたい。」
彼女は、少し驚いた顔をして、
それから、ゆっくりと笑った。
「うちの心、読めへんやろ?
せやから、ちゃんと言葉にしてくれて、嬉しかった。」
転校の日、彼女は僕の机に手紙を残していた。
中には、青い蝶のヘアピンと、短い言葉。
「君の目が、うちを見つけてくれてよかった。
また、どこかで。」
僕はそのヘアピンを手に、空を見上げた。
一匹の蝶が、風に乗って舞っていた。
彼女の心は読めなかった。
でも、僕の心は、確かに動いた。
それで、十分だった。