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2 その左手に触れてみたい
「朝……」
カーテンの隙間から漏れる朝の日が少し眩しい。こんなに気持ちよく寝られたのは久し振りな気がする。
「いま、なんじっ……!」
寝坊だ……怒られる。
そう思って飛び起きて、気付いた。
「そっか……」
見慣れない天井、全てが大きくて豪華なお部屋。ふわふわの柔らかいベッド。肌触りの良いパジャマ。
ここは、シェナル伯爵家ではなくフォルジェ公爵家。そして私は、公爵夫人だ。
「アシュリー様、起きておられますか」
「おはよう、ミース。起きてるわ」
侍女のミースは、優しくてしっかり者。真剣にお仕事をしている姿もかっこいいけれど、たまに見せてくれる温かい笑顔も、私は大好き。
「食堂でジェス様がお待ちです」
少し髪を整えて、ミースと一緒に食堂へ向かう。
ジェス様と一緒にお食事できるのね……
「ジェス様、おはようございます」
「あぁ、アシュリー。おはよう、よく眠れたか?」
挨拶をすると、ジェス様はそれまで真剣なお顔で見ていたたくさんの書類をすぐに片付け、私の元に駆け寄ってきてくれた。
「はい、おかげさまでぐっすりでしたっ」
「そうか。それはよかった。食欲はあるか?」
ジェス様は安心した様子で席に座った。
私も向かいに座ると、温かそうなスープとパンが運ばれてきた。
「これなら、食べられるだろうか」
ジェス様は、私のことをすごく考えて、心配してくださっている。
「……ありがとうございます、とっても美味しそうです」
二人で手を合わせて、スープを口に運ぶ。優しい、温かい味が心にまで染み渡る。
「君は、とても美味しそうに食べるな」
ジェス様はふっと笑みを溢して、私の口元に触れた。美味しくて夢中で飲んでいたスープが付いていたらしい。
「ありがとう、ございます…………」
お砂糖みたいに笑う。
目を細めて、口角が綺麗に上がって、とびきり甘い笑顔になる。
その一瞬の動き一つ一つに見惚れてしまう。
「アシュリー、今日は出掛けないか」
「お出掛け、ですか……?」
私の問いかけにジェス様はあぁ、と頷いた。
「今日は休みなんだ。アシュリーが嫌でなければ……」
ジェス様はお仕事がお忙しくて、お休みなんて珍しいはずなのに。その貴重な日を私に頂けるなんて。
「一緒に……お出掛けしたいです!」
「何を着ようかしら……」
私のために用意してくださったドレスはたくさんあるけれど、ジェス様の好みが分からない。
それに、お隣を歩くなら同じような色味の方が良いはず。
歩くだろうし、動きにくい服は向いてないわ。でも可愛いのを着たいし…………。
「このドレス、とっても可愛い……」
チューリップの刺繍があしらわれた、ピンク色のドレス。フリルやリボンがたくさん付いていてとっても可愛らしい。
でも、ジェス様はいつも落ち着いた色味のお洋服を着ていらっしゃるから、こういうのは合わないかしら。
それに、私には可愛すぎるわ。
そう思って、ドレスを戻そうとすると、ミースが言った。
「ジェス様は、アシュリー様の好きなものがお好きですよ」
「ジェス様はまだ準備中でしょうか」
「もうすぐ来られるかと」
侍従の方がそうおっしゃったので、もう一度鏡で髪型やお化粧が崩れていないかを見る。
ドレスは、結局チューリップの刺繍のドレスを選んだ。
一度魅力的だと思うと、あれ以外が考えられなくなってしまった。
それに、ミースの言うことが本当なら……
「すまない、アシュリー。待たせたな」
ジェス様が慌てた様子で私の方へ走ってきてくれた。
白いシャツに、紺色のジャケット、金色の刺繍のアクセントがとっても素敵。よくお似合いだわ。
「そのドレス、よく似合っているな。綺麗だ」
私の髪に触れ、優しい眼差しでジェス様は言った。
「っ……ジェス様も、かっこいいです」
少し勇気が必要だったけど、このドレスを着て良かった。
「さぁ、行こうか。アシュリー」
ジェス様のエスコートで、馬車まで向かう。
楽しみだけれど、同時に緊張もする。心臓の音が大きくて、ジェス様にも聞こえてしまいそうだ。
何故か馬車の席の向かいではなく、すぐお隣にジェス様がいる。馬車が揺れると、私の頭がジェス様の肩に当たる。
平然としているジェス様を見ると、こんなに意識しているのがもっと恥ずかしくなってしまう。
「ところで、お出掛け……というのは、どこへ行くのですか?」
「そうか、まだ言っていなかったな。今日は王都へ買い物に行こうと思っているんだ」
「お買い物……いつぶりでしょう……」
お母様と昔行ったっきりだった気がする。朧げだけど、微かに記憶に残っている。
すごく、はしゃいでいた気がする。
その楽しい思い出を、更にジェス様との思い出で塗り重ねられるなんて。こんなに幸せで良いのかしら。
「アシュリー、着いたぞ」
ジェス様の手を取り、馬車から降りると、たくさんの屋台やお店。大人も子供も笑顔で賑やかな空間が広がっていた。
「気になる場所があったら言ってくれ」
「はいっ」
こうやってジェス様のお隣を歩けるだけで、こんなに幸せになれる。この方は、凄い人だわ。
でも……手袋越しの左手を、少し寂しく感じるときもある。
「アシュリー、あそこに行ってみないか」
考え事をしていたら、ジェス様があるお店を指差した。
「似合うな、流石アシュリーだ」
「おぉ、この系統もいけるのか。可愛いな」
「こっちはどうだ? これも似合いそうだ……」
私は言われるがまま、ジェス様に似合いそうだと言われたドレスを試着して、ジェス様のお褒めの言葉に顔を赤くしていた。
ジェス様、すごく楽しそう。
試着したのは、ピンク色のふわりとした可愛いドレスや、ジェス様のお洋服と似たような紺色の上品なドレス。他にも、たくさん。
「よし、全て買おう」
試着が終わって、元のドレスに着替えたあと。満足した様子のジェス様は頷いて言った。
「えぇっ、こんなに……!」
お城にもたくさんドレスはあるし、私、体はひとつしかないわ。
「私が、色んなアシュリーを見たいだけだ」
こうやって優しく見つめられて、頭を撫でられたら……もう何も言えなくなる。
「会計に少し時間がかかるから待っていてくれ」
ジェス様がそう言ってくれて、私は二階にあるアクセサリー店を見ることにした。
「私も、ジェス様に何か……」
たくさんのアクセサリーが並ぶ中で、カフスボタンが目に入った。
これくらいなら、私でも買えるわ。
「すみません、これをくださいっ」
喜んで、くれるかしら……
「良い買い物をしたな」
帰りの馬車、ジェス様は大満足という様子で言った。
「今日、とっても楽しかったです。お出掛けも、お買い物も、ジェス様と過ごすのも、大好きです。だからその、感謝というか…………えぇっと……これを……」
さっきまで言葉はたくさんあったのに、いざ話すとなると上手く出てこなくて、糸が絡まるみたいに喉に詰まる。
私のぐちゃぐちゃな言葉とプレゼントを、ジェス様は受け取ってくれた。
「開けても、いいか?」
「はいっ」
喜んでもらえるかが不安で、下を俯いてしまう。ジェス様は、さっきから何も言わない。
お気に召さなかったかしら。安物だし、付けられないと言われるかしら。どうしよう、何か……。
「アシュリー、私も今日楽しかった。ありがとう」
顔が赤いのは、夕日のせいかな。ジェス様の瞳に吸い込まれるように、目が離せない。
「付けてもいいか」
「もちろんですっ」
すぐに付けてくれるんだ……嬉しいな。贈り物って、貰う側だけじゃなくて、贈る側も嬉しいのね。
今日、私のドレスを選んでくれたジェス様もこんな気持ちだったのかしら。
「すまない、アシュリー。上手く付けられなくて……かっこ悪いな」
ジェス様は左利き、手袋をしているのも左手。だから、細かい作業が苦手なんだ。
「手袋、外して欲しい……」
用意していなかった言葉が、すぐに出た。
それはきっと、ずっと奥で持っていた本心だったから。
「…………アシュリーは、会ったとき言ってくれたな。私も、私の左手も怖くないと。凄く嬉しかった。その言葉に、救われた。……でも、どうしても怖いんだ。君を傷付けたくない。この壁は、壊せない」
やっぱり臆病だな、とジェス様は無理に笑った。
「じゃあっ、これは私の我儘です…………私は、その左手に触れたい。震えるその手を、温かいその手を、優しいその手を、大好きなその手を、握れないのは………………寂しい」
本当に、我儘だ。
ジェス様は私のためを思って言ってくださっているのに。
やっぱり、無理だと言われるかな。
ずっとある壁をいきなり壊すなんて、怖いもの。
私じゃ、壊せないかなぁ。
「……アシュリー、どうだ。似合うか?」
壁が、壊れた。
照れくさそうに笑ったジェス様の袖には、夕日に照らされて輝くカフスボタンがあった。
「はいっ、とっても……お似合いですっ!」
〜〜〜
疲れているのだろう、アシュリーはあの後眠ってしまった。
「アシュリー、私は君を……」
続きは、君が起きている時に。
幸せそうな顔で眠るアシュリーの頭が、私の肩に触れた。
「アシュリー、着いたぞ」
城に着いたので声をかけると、ん……と眠い目を擦りながら、アシュリーは起きた。
「ごめんなさいっ、私ずっと寝てっ……」
どうしてか、起きたばかりのアシュリーはすぐに謝ってくる。
私は、気持ちよさそうに眠るアシュリーの可愛い顔が見られて幸せだったが。
「大丈夫だ、今日はたくさん歩いて疲れただろう」
そう言うと、彼女は安心したように笑った。
馬車から降りる時、手に触れる前に無意識に手袋をしようとすると、その前にアシュリーが私の手を握った。
「帰りましょう」
「……あぁ」
暖かい、小さな手。私はこの先、君の手に何度救われるのだろうか。
『今日は、楽しかったなぁ。プレゼントも喜んでもらえて良かった』
アシュリーの心の声が、聴こえた。
今まで聴いてきた人の心の内側は、冷たくて、黒かった。
いつも隣で微笑む人の「そういう」部分を知るのが怖かった。
誰にだって、外に出していない思いや言葉はいくらでもある。それが聴こえてしまうと、それまで見ていた良い部分を忘れてしまう。
でも、アシュリーには外側も内側もなかった。
声に出す言葉は、暖かくて、優しくて。出さない思いは、その日の出来事を噛み締め、安心や喜びを反芻するもの。
照れくさくて言わないこと、途中で言うことやめてしまったこと、人のためを思って言えないこと、自信がなくて言えないこと。
君のぜんぶを、聴くことができるんだ。
この左手を良く思ったのは、初めてだった。
『また2人で過ごしたいなぁ』
「ジェス様、またお出掛けしましょうねっ」
「……あぁ、そうだな。また行こう」
この手を、ずっと繋いでいたい。
2話更新、お待たせしました…!!
読んでいただきありがとうございます!
「その左手は恋を聴く。」2話、如何だったでしょうか…
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また、何か間違いや疑問などあれば優しくご指摘くださると助かります!
3話もお楽しみに!
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帰りの馬車で、アシュリーはジェスと手を繋いで色んな所へ出掛ける夢を見ていました。