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君と地獄でランデヴー
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「「あ」」
ぱた、と白い陶器に薔薇の花びらが散る。否、正確には陶器は美しい肌であり、薔薇の花びらは返り血だった。
まるで血液の方から彼に飛びかかったかのように、血は彼の頬と薄汚れたマントを赤く染める。僕も、似合わない赤を身につけた彼も、驚いてしまって言葉が出ない。小さな喧騒に取り囲まれた路地裏が、静寂に包まれた。
昼と夕方の境目で、子供達が別れを惜しむ頃。本日3件目だった単発の|仕事《殺害》も終わりに差し掛かった時、路地裏の角からRさんが突然現れた。
彼の気配を消す癖と、僕の集中したら周りが見えなくなる欠点のせいで、気がついた時にはもうRさんにマル対の返り血がかかってしまったのだ。
なんでこんな時に限って血が大量に吹き出してしまうタイプの刀を持ってきたんだろう。後悔してももう遅く、後の祭りだが…それでも、今日の自分の選択を恨まざるを得なかった。
本来なら、血がかかるとかそれ以前に、まず目撃されたのでこの場で彼を殺す必要がある。しかし、彼は曰く不老不死らしい。
この場合、マニュアル通り一応切っておいた方が良いのかが悩みどころだ。……などと、僕は気まずさでどうでも良いことに脳のリソースを使ってしまっている。
ぱた、と刀の切っ先から血が滴り落ちた。足元に転がった女の紅が、血が触れたところから鮮やかになっていく。
「…お仕事中でしたか」
「その、すいませんRさん。まさかいらっしゃるとは、思わなくって……」
驚きから穏やかな笑みへと移ろう|彼《Rさん》は、慣れた仕草で頬の血を拭う。彼の指先は美しく赤に濡れたのに、案外爪の周りは荒れていて、僕の生唾を飲む音がひどく大きく聞こえた。
Rさんは、靴が血で濡れないように踏み分けてこちらへと寄る。僕はただ、ゆらり、ゆらりとした足取りをぼおっと見つめることしかできない。
見つめているうちに、僕と少し離れたところで彼の足が止まる。
「ここ、普段来ないところなんです。近くの体が洗えるところを知りませんか?」
「あ…えっと、ここの近くにはあまり…」
首をゆるりと傾げて、Rさんはこちらを見下ろす。その顔は少し困ったように眉が下がっていて、どうしようもなく魅力的に映った。
どうにかして彼のために代案を見つけてあげたい、何か良いところは無かっただろうか?と頭を必死に働かせる。ああでも、この近くは軍の寮がほとんどで、ホームレス用のシャワールームなんかはもっと外側にあるのだ。
「おや、世界が違くっても同じだと思ったのですけれど…」
「?…ええと、何がでしょうか?」
僕がそう言うと、Rさんは血で靴が濡れてしまうのも構わずにこちらへと近づく。え、と声をあげるだけで精一杯だった僕は、あっという間にRさんの顔にすぐ近くまで迫られてしまった。
慌てて後ろに下がる。が、壁が後ろにあったからかRさんの色香からは逃れられない。する、と柑橘のような、花のような不思議で良い香りが眼前まで迫ってきてしまう。
この人、本当に異世界の僕なのだろうか?それにしては、あまりにも教育というか……その、諸々に宜しくない。非常に、だ。
「…貴方の家、ここから近いでしょう?もし良ければシャワーを貸してほしいのですが」
「は…はひ…」
(嗚呼…どうして、この人の前ではこうも格好つかないんだろう…)
壁に追いやられて、というかほぼ壁ドンのガチ恋不可避な距離に迫られた僕は、情けなく頷くことしかできなかった。
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布ずれ、そして布が落ちる音が静かに響く。あんまりにも静かなものだから、僕の心臓の音がいちばんに大きいんじゃないかと心配になってしまう。
今日はちょうど、シイさんとフーゾさんがメーラサルペで合同訓練をしている日だった。だからこそRさんを誰にも気づかれずに家にあげることができて、内心ホッとしている。
「……素敵なおうちですね」
「ありがとうございます。殆んどは、シイさんとフーゾさんのセンスが良いからですよ」
「掃除はあなたが?」
「いえ、殆んどシイさんが行っています」
「…へぇ」
内心それどころじゃないけれど、なんとか冷静に見えるように返答した。RさんはRさんで何か思うところがあるのか、これ以上話を聞かれることが無かったのが救いである。
本当なら、Rさんだけで入って貰うつもりだった。なのに、Rさんが突然「二人で入った方が水道代も安くなりますよ」と言い出すものだから、あれよあれよと流されて一緒に入ることになってしまったのである。本当に、情けない自分が嫌になる。
「…えい」
「ひゃっ、な、なんですか急に」
ため息をついたとき、突然Rさんに背中をつつかれて変な声が出てしまう。振り返ろうとしたが、今のRさんは裸だったと気がついてしまった。これじゃあ振り向くに振り向けないではないか。
僕がそんな様子なのを良いことに、Rさんはすうっと背骨のあるあたりをなぞる。乾燥した指先が背中をなぞるのが、どうにもくすぐったくて仕方がない。
「一応僕も元殺し屋ですけれど、そんな風に背中を見せていて良いんですか?ほら、つつかれちゃいますよ」
「あう、う~…もう、やめてくださいよ。暇なら先に入っててください!」
「ふふ、はぁい」
(うわあああああビックリしたビックリしたビックリした!!!)
バクバクと落ち着かない心臓と、まだシャワーを浴びていないのに熱くてしょうがない顔に思わずうずくまる。Rさんは僕が入るまでシャワーを使わないつもりなのか、扉の音の後に水の音は続かない。
自暴自棄になって、ズボンを脱いでガータークリップを外す。一度脱ぎ出してしまえば案外思いきりは良いもので、そのまま脱衣所から風呂場へと続くドアを開けた。
シャワーの雨が床に叩きつけられる音だけに耳を澄ませ、目をつぶりながら体を洗う。もう25になると言うのに同姓の裸ですら直視できず、情けない気持ちで血が落ちることを願っていた。
よくよく考えてみれば、二人でシャワーを浴びるだなんてとてもじゃないが効率的とは言えない。そんなことすら分からないほどに僕はRさんに見惚れていたし、Rさんはそんな僕をからかっていたのだろう。
そっと目を開く。Rさんを視界にいれないように体を見れば、ちゃんと血は落ちていた。血が付着したところを記憶さえすれば、目を瞑っていても案外落とせるらしい。
こんなところで、そんな意味の分からない学びを得たくなかった…。
「……血、上手く落ちませんね」
「えっ、そうなんですか」
「昔から、血を被らないようにしていたので…落とすのはそこまで上手くないんです」
Rさんの方を見れば、確かに頬から伝ったのであろう胸の位置に血が残っている。この程度なら拭えば落ちるだろうに、どうして?と不思議に思いながら指先で血を拭った。
やはり血はすぐに消えて、また綺麗な肌へと戻る。落ちましたよ、と彼の顔を見上げて伝えようとして、喉から変な息が漏れ出た。
ふ、と唇に温もりが宿る。慌てて背中を反らして、転ばないように足で体を支えた。心音がひどく煩くて、シャワーの音すらまともに聞こえやしない。
「…す、っすいません!あの、ええっと」
「いえ、構いませんよ。僕の方こそ、少し意地悪でしたね……あんまりにも、貴方が僕を避けるんですから。気になってしまって」
シャワーで清められた彼の指が、形の良い唇を滑る。いやに扇情的な光景に目をそらして、必死に先程の感触を忘れようと考え事ばかりをしていた。赤い顔が、シャワーのせいだけではないと気づかれなければ良いのだけど。
僕は血を落とし終えたので、シャワーを止めようと腕を伸ばす。一刻も早く、この気まずすぎる状態をどうにかしたかった。
「Rさん、血落とし終えました?」
「恐らく。…ああでも、見落としがあるかも。見てくれませんか?」
「っっっえ、あ…」
「不安なので」
す、とシャワーを止めようとした手を掴まれて、そのまま彼の体へと持っていかれる。見てはいけないのに、渦巻く抗えない欲望に飲み込まれて、僕はRさんの方を向いてしまった。
(…きれい、だ)
すらりと均整のとれた細身の体も、傷一つ見えない白い陶器のような肌も、血の色を透かしている狭い肩も、全てがこれ以上ないほど美しい芸術品のように見える。
極めつけは、Rさんの聖母マリアも感涙しそうなほどの完璧な笑みだった。中性的なようで女性的なような、曖昧な美がそこにいる。
捕まれた手が彼の腹部へと触れた。誘われるままに腹をなぞれば、何となくでこぼことした感覚を指が覚える。
「…修復跡です。見た目はきれいですが、それもあくまで魔法のお陰ですよ」
「しゅうふく、あと」
「そう。…ここは刀、ここはナイフ、ここは…確か、打撲で骨が折れたとき」
「…」
産毛の一つも生えていない、少し起伏のある肌を撫でた。彼の生きてきた証が、死に至った証が、今この手に触れているのだ。
異世界の自分の体を触って、きっと今僕はどうしようもなく興奮している。醜い昂りこそないものの、これでは時間の問題だった。脊髄を駆け巡る退廃的な背徳感に、小さくため息が溢れて、消えていく。
こんなのってない、彼は異世界の自分だ。そんなのに欲情するだなんて《《可笑しい》》じゃないか。そう自分に言い聞かせるが、頭の中に生憎耳を傾ける僕はいない。
ぐるぐる地獄のように熱が渦巻き、茹って、そうして脳みそが全て蕩けてしまいそうだった。
「…なんか、地獄みたいですね」
「へ?」
「足元。赤くなってる…」
どうやら流れ出した血がお湯を赤く染めて、足元に溜まっていたらしい。Rさんが僕の惨状に気がついたのかと思って少し焦ってしまった。
しかし、何か妙だ。なぜこんなにも音が曇るのだろう?Rさんのせいで、頭の中がクラクラして、耳なりまでして……
「「あっ」」
ぱた、と水面に新鮮な朱が広がる。生ぬるくて少しとろっとしたそれは、僕の唇を伝って顎から滑り落ちていた。
口の中に鉄の味が広がると共に、瞬きもしていないのに暗闇が目の前に広がっていく。足は力を失って、体がはしと誰かに抱き止められた。
そうして耳鳴りの奥でRさんの声が聞こえたのを最後に、僕は逆上せて気絶したのだ。
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ひんやりとした心地よい感覚があることに気がつく。どうやら眠っていたらしく、僕は自室のベッドの上で目を覚ました。
バスローブの柔らかい心地から来る微睡みを保ちつつ、むくりと起きあがる。辺りを見回したが、Rさんの姿はない。
「…ゆめ?」
いや、夢なはずはないのだ。僕はバスローブで寝ることはないし、髪の毛は乾かしたての暖かさを保っている。まだ近くに、Rさんはいるだろうか?
お礼を言いたいという純粋な気持ちだけで部屋を出て、彼の名前を呼ぶ。が、ただ虚しく声は部屋に響くばかりでRさんの返事はない。
冷たいため息をついて、またその場にへたりこむ。体の外側はとっくに冷えきっていたのに、体の内側に渦巻く熱だけがどうしても引かない。
時計を見れば、針は12時ぴったりを指していた。頭の中には昔読んだ、シンデレラと置いていかれた王子の絵が浮かんでいる。
覚束ない足取りで部屋へと戻り、またベッドに逆戻りした。とはいえ、こんな昂りがある状態で眠れるわけでもなくただ横になるだけだったが。
また大きくため息をつく。今度の吐息は随分と熱く、冷えた体とは対照的だ。
「……もしかして」
寒さで震える手で体温計を探し、脇にはさんで少し待つ。少し待てば聞きなれない電子音が鳴り、結果が表示された。そこにある数字は38.7℃。誰がどうみても熱である。
あまりの寒気に耐えかねて、しっかり着込まんと僕はまたベッドから身を起こした。
そうしているうちにいつの間にか、体の内の熱は消えていて。シイさんとフーゾさんが早めに帰ってくることを祈りながら、僕は眠りについたのだった。
そんなわけで、逆上せたか体が冷えたかで免疫力が下がった僕は一週間の間療養することになってしまった。結局、治ってからもRさんにあの行動の真意を聞くことはできていない。
再開したRさんはケロっとしていて、あの日の妖艶さも香りも失せていた。そんなわけだから、再開した時には僕をおかしくした熱は夢のような心地を残して消えていたのだ。
Fin.