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第1話:その姫、おてんばにつき
……目の前に、おはぎがたくさん積まれている。
たくさんなんてもんじゃない。これはもう丘、いや山だ!おはぎの山だ!
(す、すごい!すごすぎる!!)
あんこ味ときな粉味にきちんと積み分けられたおはぎの山、甘くておいしそうな匂い、ちらりと見えるもち米のツヤツヤ……あれ、ここって天国だったっけ?
据え膳食わぬは男の恥!いや、わたしは女だけど!
それでもこんなにおはぎがあるのに食べないなんて犯罪でしょ!!
というわけでわたしは、さっそくおはぎに手を伸ばした。
(まずはあんこから……!)
ところが。
もちっ、とおはぎをつかむはずだった手が空を切る。
おはぎの山がまるまる跳ねあがって向こうへ飛んでいった!
(えっ!?)
ぽかんとしているとおはぎたちは動き始め、膨張し、だんだん顔の形になっていく……
おはぎの顔から何かが伸びて、わたしのほうに向かってきて、
「キャーーーッ!!!」
思わずわたしは叫びながら後ろに飛びのき、その拍子にしたたかに頭を打って横に転がった。
「……突然キャーーーッとはなんですか、|志乃《しの》様」
「んぇ?」
痛い。痛すぎる。
涙目になって見上げると……わたしを冷たく見下ろしていたのは、おはぎの怪物ではなく。
ーー教本を片手に仁王立ちになった、|橙《だいだい》色の|打掛《うちかけ》姿の|山吹《やまぶき》先生だった。
山吹先生、わたしの教育係。
漢詩や和歌に詳しくて、礼儀に口うるさ……ゴホンゴホン、礼儀を細かく知っていて、怒ると死ぬほどこわい。
「え、え、山吹先生?おはぎは?」
「おはぎ?そんなものどこにもありませんが」
そんな馬鹿な!さっきまで確かにおはぎがあったはずなのに!
わたしは呆然として畳の床に転がったまま両手を見つめた。
「夢でも見ていたのではありませんか」
氷のような先生のまなざしがズキズキする頭に降り注ぐ。
あ、言われてみれば、頭がぼんやりするし、まぶたが重い気がする。わたしはハッとして、頬をひっぱってみた。
「いてっ!……こっちが現実かぁ……」
あのとき、あのときおはぎをつかんでいれば、まだ夢の中でおはぎを食べられていたかもしれないのに!
おはぎが動いたからって逃げるようじゃダメだ。動こうが顔の形だろうが、甘いものは甘いものだもんね!食べられるもんね!
(あんなにおいしそうだったのに!あんなにいい匂いだったのに!!)
後悔のあまりため息をついたわたしは、山吹先生の顔がどんどん怖くなっていっていることに気付いていなかったのだった。
「まったく……このわたくしの話の途中に寝るとは、いい度胸をなさっているではありませんか、ええ!?」
あ。
やらかした。
そう悟った時にはすでに遅くーー
|般若面《はんにゃめん》もこんな凶悪じゃないよってぐらいおっそろしい顔をした山吹先生が、こちらを睨みながらパタン、と教本を閉じる。
生存本能が音量最大で警報を鳴らしまくり、わたしは寝ぼけまなこをこする暇もなくとびあがった。
「ごめんなさあああああああああい!!!!!!!」
鮮やかな土下座を披露したわたしだったが、山吹先生のお怒りがそれでおさまるわけもなく……
「将軍家の姫たるお方が、そのように簡単に頭を下げてはなりませぬ!!」
……わたしが怒涛のお説教から解放されたのは、結局それから|一刻《二時間》もあとのことだった。
❀ ❀ ❀
「無理。もう無理。あんなに怒られたうえで夕餉抜きとか生きていけない」
「まあまあ、姫様、そんなに落ち込まないでください。この前、母が仕送りでいろいろ送ってきてくれたんです。一緒に食べましょう」
山吹先生のお説教が終わり、床に伸びたわたしをそう慰めるのはお|千代《ちよ》。
わたしと同い年の15歳で、わたしの身の回りの世話をしてくれる|御中臈《おちゅうろう》だ。
「お千代~~!」
がばっと身を起こしてお千代に抱きついた。
お千代は優しくて、可愛くて、わたしの唯一の理解者だ……!
「姫様ったら食い意地が張ってますねえ」
あ、嘘。敵かも。
「お千代……!」
「名前だけでそんなに感情を伝えられるのは天下どこを探しても姫様だけだと思いますよ」
「お千代♡」
「褒めてないですよ、はしたないですから」
「お千代ッッッッッ」
「やめてください返事に困ります、疲れます」
「ごめんって」
そんなこと言いながらもごはんの用意をしてくれるので、うん、優しいは優しいのだ。
毒舌塩対応だけど。
「でも、これを出したらお千代まで先生に怒られちゃう……」
「いいんですよ。そのときは姫様に全責任をなすりつけますし」
「ひどっ!」
「冗談ですよ。山吹様は姫様の|御殿《ごてん》まではいらっしゃいませんから安心なさってください」
お千代はちょっといたずらっぽく笑ってみせた。
えくぼができてかわいい。
わたしはえくぼがないので、羨ましいと思う。
「さ、では食べましょうか」
「うん!」
お膳に向かって手を合わせる。
「「いただきます」」
まさかこれが、この御殿で最後に食べる食事だなんて考えもせずに。
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