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青いサイダーと、待っていた三秒 陽葵編
いちごりら
放課後の廊下を、私はわざと大きな足音を立てて歩いていた。
行き先は分かっている。あいつが「思考の整理」なんて気取って逃げ込む、理科準備室だ。
陽葵「ちょっと悠介! 掃除サボってこんなとこにいたの?」
あえてガサツな声を出すのは、私の心臓の音を隠すため。
悠介は、フラスコ越しに窓の外を眺めて、少しだけバツが悪そうに振り向いた。
悠介「サボりじゃない。……思考の整理だ」
陽葵「はいはい、カッコつけない。ほら、これ。差し入れ」
私は、手に持っていたラムネの瓶を一つ、あいつに押し付けた。
本当は、手が震えて落としそうだった。
窓際に座って、二人でラムネを開ける。
悠介の横顔は、教室で見るときよりもずっと大人びて見えて、私は急に喉が渇いた。
陽葵「ねえ、私たちもさ、もうすぐ引退だね」
悠介「……ああ。この夏が終わったら、受験モードか」
陽葵「悠介は東京の大学、行くんでしょ? 先生が言ってたよ。……遠いね」
「遠いね」と言ったのは、距離のことだけじゃない。
あいつの目が、もうここにはない未来を見ているのが分かったから。
私は冷えた瓶を頬に当てて、無理やり熱を冷まそうとした。
陽葵「私は、この町が好きだし。……でも、誰かさんがいなくなったら、ちょっと退屈かもね」
(今のは、かなり攻めたはず) 私の精一杯の告白だった。
冗談のふりをして、心の中でカウントダウンを始める。 1、2……。
悠介の喉が動いた。何かを言おうとして、迷って、そして。
悠介「退屈なら、たまには東京まで遊びに来ればいいだろ」
……バカ。 私が欲しいのは、そんな「招待状」じゃない。
陽葵「……それ、本気で言ってる?」
私は、逃げ場を失くすつもりで悠介の目を覗き込んだ。
三秒。 たった三秒の沈黙が、永遠みたいに長く感じられた。
悠介の瞳が揺れて、何かを言いかけて……結局、彼は視線を逸らした。
(ああ、言わないんだ。この人は)
陽葵「……なーんてね! 交通費高いんだから、悠介が稼いで呼びなさいよ」
胸の奥がギュッと縮まったけれど、私は最高の笑顔で、あいつの肩を叩いた。
これが、私たちが今日まで築いてきた「親友」という名の防波堤だ。
ラムネはもう、空っぽになっていた。 炭酸の抜けた甘い液体の味が、口の中に残っている。
陽葵「行こ。部活、最後のアイス買い出しに行かなきゃ」
悠介「……陽葵」
心臓が跳ねた。振り向くと、悠介がまだ何かを言いたそうに私を見ていた。
陽葵「ん?」
悠介「……いや、なんでもない。行こうぜ」
陽葵「なによそれ。変なの!」
私は先に立って歩き出した。 振り返ったら、泣きそうな顔をしているのがバレてしまうから。
夕暮れの廊下。伸びた二人の影が、一瞬だけ重なって、また離れていく。
「好き」の一言を飲み込んでしまったあいつを、嫌いになれたら楽だったのに。
私は、カランと鳴った瓶の中のビー玉みたいに、
一生取り出せない思いを胸に閉じ込めて、夏の出口へと足を進めた。