公開中
be happy
“In response to the ever-increasing number of prisoner escapes, the military has stationed guards in the forests along the border.”
《増え続ける捕虜の脱走数に対し、軍は国境の森に監視兵を配置》
“Anyone who crosses the border without authorisation will, without exception, be shot.”
《許可なく国境を超えた者は例外なく、射殺対象とする》
壁に掛けたコルクボードには、国境を赤い線で示した大きな地図、脱走した捕虜の顔写真、俺と息子の写真、一部を切り抜いた新聞記事が貼られている。木製の壁には昨日買ったばかりの水平二連銃。山にこもってもう十年が経つ。戦争で息子を失くし、軍を抜け、必要最低限だけ動物を狩る生活をしている。雪は膝下まで積もっていた。
最初に見つけたのは足跡だった。靴底の浅い跡。軍用ではない。歩幅が狭い。小柄だ。女か、子供のどちらかだろう。風向きを確認し、銃を背負い直す。この森は国境に近い。脱走兵が入り込むことは珍しくない。
足跡は蛇行していた。方向を定められない者の歩き方だ。やがて、倒木の陰に何かがいる。咄嗟に猟銃を構えたが、直ぐにおろした。動物ではなく、そこにいたのは人間。
薄い服。凍傷しかけた指。唇は紫色に近い。顔は幼い。まだ声変わりも終えていないような輪郭。敵国の捕虜だとすぐに分かった。胸元の縫い目。番号。布の質。
俺はしばらくの間立ち尽くした。
撃たなければならない。ここは国境付近だ。通報すれば監視兵が来る。少年は目を開けた。黒い瞳だった。狼の子どものようだ、と思った。銃をおろしたまま、動けなかった。
「だれ、?」
かすれた声で、俺の知らない言葉で吐いた。だが意味は分かった。俺は銃を完全に、下ろした。降参の合図のように。それだけのことだった。
小屋に連れ帰ると、少年は二日間ほとんど眠り続けた。熱があった。凍傷も軽度だが進みかけていた。火を絶やさず、水を飲ませ、粥を口に運ぶ。
三日目の朝、少年は起き上がった。警戒していない。隅に座り、俺を見ている。
「ここは俺の小屋だ」
通じないことを承知で言う。
少年はしばらく黙っていたが、やがて片言で答えた。
「……ありがとう」
驚いた。敵国の言葉を、少し話せるらしい。
「逃げないのか?」
俺は薪をくべながら、少年に訊ねた。
「助けてくれた、いい人」
---
その夜、遠くで銃声がした。監視兵だろう。少年は体を強張らせた。その反応が、昔の息子に似ていた。雷の音を怖がっていた。強がりながら、布団の端を握っていた。
俺は目を閉じる。これは違う。別人だ。
分かっている。