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ほうきと熱
2026/01/10 ほうきと熱
あ、と思った時には、遅かった。私たち以外誰もいない音楽室の空気は、ひどく凍りついていた。目の前に立つマドノさんの顔からは、先ほどまでの薄い笑顔は消え、代わりに驚いたような焦ったような表情が浮かんでいた。
「何、怒ってんの。」マドノさんは眉を歪め口角を上げた。私の先ほどの大声を中途半端な笑いに変えることで取り繕い、表面だけでも整えたがっているのがわかった。首に熱が集中しているのがわかった。私はほうきの柄を握りしめた。手のひらの汗のせいで少し滑った。「私、そのキャラ、好き。」先ほどの雑談でマドノさんに子供っぽいし可愛くないと笑われていたキャラクター。私の通学カバンにもそのキャラのキーホルダーが揺れていて、マドノさんは多分、続けて「でもゆうかはカバンにつけてるよねー、謎すぎ!」とか言うつもりだったんだろうと想像する。
私は俯いてほうきを動かした。首の熱さが顔にまで上ってくる。心臓が、耳の奥でどくどくと鳴っている。私の顔は真っ赤だろう、いつもだったらそれが面白いなんて笑われてたはずだ。けど今は笑われない。廊下から別のクラスの子達の笑い声が聞こえてくる。
マドノさんが大きく息を吸った。私は顔は上げないまま、視線だけをそちらに動かしたが、制服の襟までしか見えなかった。「ば、…は?…急にこわ…きもいし。」マドノさんは変に震えた声で言って、私と同じようにほうきを動かした。せっかく吸った息を、怒声ではなく細く長いため息として外に出していた。ぶつぶつと何か呟いているけど、私が聞き取れるような声量ではなかった。私の悪口か、文句か、内容がほんの少し気になったけど、知らなくても良いはずと思い直す。
音楽室にゴミはほとんど落ちていなかった。私たちは今までにないくらい、静かにひたすらほうきを掃いたけど、ちりとりに集まったのはゴミとも言えないゴミだった。マドノさんはゴミ箱にそれを捨てた。掃除の時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り響き、私たちはロッカーにほうきとちりとりを片付けて、音楽室をでた。教室に戻っている時、マドノさんは私の三歩分ほど前を歩いていた。