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部誌33:萌え出た芽はいずれ
入れたいものを入れた結果闇鍋になった気がしますが、修正は今のところ思いつきませんでした……申し訳なし。
ついに終わった。
安堵で体の力が抜け切ってしまう。回る椅子にもたれかかれば、くるりと一回転して、緩やかに脚本の前へと戻ってきた。
それと同時に、声がかけられる。
「カーテンコールの準備を!」
そうだった。まだ完全には終わっていないのだった。私はもう一度インカムを手に取り、映写室側に連絡する。
閉まったはずの緞帳。向こう側から聞こえる拍手は、幕で隔たれていても、しっかりとこちら側へと少しずつ影響力を強めていく。舞台の上に立った私は熱暴走寸前で、今にも茹で上がりそうで、やっぱり袖で控えていればよかったかな、とまた不安になる。
それでも、立たなければいけない。部員としての責任だけではなくて、立てば何かが変わるかもしれないという小さな期待でもある。役者をやってみたいのだから、ここで何か、経験を得られたらいいな。
縦に一閃、眩しいくらいの光が差し込んできた。緞帳が上がって、ホールはもう一度拍手に包まれた。
暗闇ではない。煌々と光る照明で視界が遮られるわけでもない。正真正銘、舞台の上で姿を晒している。それが今の状態だ。視線が私たちに向いている。
分かってはいたけれど、意識した途端、呼吸が止まりそうになった。
「本日は、公演にお越しいただき、誠にありがとうございました!」
瞬きをするフリで瞼を閉じれば、また拍手が訪れたのをきっかけにしてまた客席を見つめる。
「ありがとうございました!」
精一杯お礼を復唱しながら、舞台を直視しようとする。
「好奇の視線が向いてる」
「初めはあんなに楽しかったのに」
「私はどこにも行けない」
「ここに逃げ場はない」
「もう二度と、私を見ないでね」
ぶわっ、と冷や汗が流れ出す。悪寒。内臓の疼き。頭痛。不安定な鼓動。震え。全てが襲ってきているような、そうでないような。緊張からはかけ離れた痛み。幕に隠れれば、おそらく全てなくなる。そう思うものの、立ち去ることはできない。
ああ、やっぱり。役者なんて無理かも。
最後列、その端っこ。つまり、よほどのことがなければ私の様子が部員からバレてしまうことはない。せっかくの全員で作った、大事な劇の締めくくりなのに、どうして今ここで。
自分の体と心が恨めしくなる。冷たい恐怖を会場のボルテージで蓋をして、なんとか口角を上げる。
部長が口上を述べ、部員が挨拶をし、鮮やかに照明が彩る。
「映写室のメンバーを紹介します!」
観客の目が頭上へ動いた。薄暗い窓に明かりがついて、座っていた3人の顔が見えるようになった。
「音響は2年生、今垣緒李。」
この3人なら、観客から好ましい反応がもらえる。はっきりと名前を伝える部長の声は、きっと大事な人にも伝わるはずだ。
「照明は1年生、桑垣蛍。」
その一瞬が、私には、おそらく彼らも、永遠のように感じられたことだろう。
「スポットライトは1年生、伊勢谷慶が担当しました!」
先輩がしたように、蛍くんも伊勢谷くんも手を振ると、割れんばかりの手を叩く音が映写室にも届いたようだ。
その瞬間、私をほんの数分間縛っていた幻肢痛は消え去った。何だったのだろうか、と額に浮かんだ汗を拭って、私はもう一度大きく客席に向かって頭を下げる。
緞帳は再び、舞台を包み込む。
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「お疲れ様!」
舞台袖で部長が駆け寄ってきた。今までで1番嬉しそうにしている。
「本当に良かった、何も大きなミスもなく終えられたし、本当に良い舞台だったよ……!」
「先輩の指導のおかげですよ!」
盛り上がる朱鳥ちゃんと部長は、ホールの裏口へと歩いて行く。撤収、後片付けは文化祭が完全終了してからだ。
「ここからはお客様へファンサービスの時間だからね!」
とのことらしい。部長として、先生たちといろいろ話さなくてはいけないので、こう言っている部長自身が長い時間お客様と話せるわけではない。
裏口からホール前までの移動が終われば、出迎えが1人。
「美也ちゃん、お疲れ様。」
「未知先輩!」
気づけば下の名前で呼んでくれるような仲になった、司書の3年生。相変わらず演技や演出の資料を借りているので、お世話になり続けている。
「見に来てくださったんですね!」
「もちろん。ちゃんと資料たちも役に立ったみたいで良かった。」
そう言って笑う彼女は、壁のちょっとした窪みに寄りかかっている。私の陰で、誰かから隠れているような姿勢だ。にこやかに私と話を続けるものの、その目はたまに私の向こう側に向いている。他の部員たちが談笑している、そこへと。
「ところで美也ちゃん、大丈夫だった?」
「……何がですか?」
「ほら、体調悪そうにしてたから。」
「き、気のせいじゃないですか?」
「本当に?」
見られていたのか。うまい言い訳が出てこなくて、視線を逸らしてしまう。しばらくして、彼女は回り込むと、やわらかな瞳で私を見据えた。
「無理はしちゃだめだよ。取り繕っていても辛いだけだよ。それに……。」
より彼女の声は小さくなり、陰りが顔を出した。
「逃げたら後悔しちゃうから。」
どういう意味ですか、と私が問いかける前に、向こうから朱鳥ちゃんが歩いてくるのが見えた。
「あ、ごめんね。そろそろ図書委員のブースに戻らないと、担当の先生に怒られちゃう。」
じゃあね、と去って行く後ろ姿を、私は呆然と見送っていた。陸上部に所属しているらしい彼女の姿はあっという間に遠ざかって行く。
私のことを何もかも見透かしているようで、少し寂しげなその表情の真意を知ることは到底出来なさそうだ。雲を掴んでいるような気分になる。
「美也ちゃん、そっちで誰かと話してたけど、誰だったの?」
「私の知り合いだよ。部活のことで、たまに相談に乗ってもらってるから……。」
近寄ってきた朱鳥ちゃんの元に私も歩み寄った。そこで気づく。
「あれ?2人はどこ?」
2人、とは伊勢谷くんと蛍くんのことである。先輩たちが向かって行く方向とは反対を朱鳥ちゃんが指差すので、私も振り返る。
「今日は、来てくれてありがとう……ございます。」
伊勢谷くんが、お母さんらしき女性と話している姿が目に入った。少し離れているので話の内容が全て聞こえるわけではないが、彼の顔は今まで見たこともないくらいに真剣だ。仕事帰り、もしくは前なのか、彼のお母さんはスーツを着ている。
「邪魔しちゃ良くないね。」
盗み聞きをしているような気分になったので、私はその場から止めていた足をまた動かし始める。
「あ!蛍くん!」
「勝手に移動してた。ごめん。」
体育祭以来に見たような、彼のとびきりの晴れやかな笑み。どこで誰と何をしていたのかは、それだけで予想がつく。
「終わったよ。あいつらとの話。」
「……そっか。」
「おれ、本当に上手くいくかなって不安だった。この向き合い方で良かったのかな、ってずっと心のどこかで思ってたけど。」
たぶん、きっと、もう。蛍くんはこの先、真っ直ぐ演劇と付き合っていけるだろう。
「先輩たちを疑ってたおれが恥ずかしくなってきた。うだうだ言ってないで、とっととやりたいことやれ!こう、今は前のおれに言いたい。」
「…………うん、うん。」
「なんで天音さんが泣きそうになってるの!?」
「だって、だってさ!」
自分でも上手く言葉にできないけれど、今こうして見る世界が思いっきり歪んでいるのは事実だ。
「蛍くんも伊勢谷くんも、もちろん朱鳥ちゃんもだけどさ。出会った時よりもずーっと、カッコよくなったな、って!」
一回りも二回りも、ぐんと強くなっていて頼りになる。成長を確かに感じられる2人の背が、なんだか近くにいるのに遠いような気がしてしまう。
私だって変わりたい。どうしてカーテンコールで怖くなっちゃったのか知りたい。3人に追いつきたいのに。どうやったらいいのか分からない。自分の性格って、どうやったら変えられるんだろう?
「だからって涙目になることないでしょ。」
「あたしまでもらい泣きしそうになってきちゃったし……。」
と、その時。後ろからまた泣きそうな声が追加されたのだった。
「蛍さーん!俺、部活続けられることになりましたー!母さん、また公演あったら見に来るって!素敵な友達が出来て良かっ、た、ね、って……!バイ、いや手伝いも、今まで無理させててごめんって母さん……!」
「これ以上泣かれるとおれ、本当にどうしたらいいか分からないなるからやめて!?あー、あととりあえずティッシュ使って!」
騒がしくも軽やかに、4人で歩いて行く廊下。まだほんの少し湿っている視界を乾かすように吹く風は冷たく、冬が近づいていることを私に感じさせた。
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先生方からの事務連絡もスケジュール調整も終わり、私がホール前に戻ってくると、もうそこには誰もいなかった。
文化祭だ。公演が終わった後のホールに用事がある人なんていない。予想が当たったはずなのに、ひとかけらも嬉しい気持ちなんて湧いてこない。それはそうか。
「さて、この後どうしますか。」
こつ、こつと。私の足音だけが反響する廊下は寒々しく、夕陽に照らされている。鼻が痒くなり、思わずくしゃみをしてしまった私を気遣う人も、誰もいない。
ここから先はもう冬だ。戻ってきた彼らと、新しくやってきた彼らを、私は引っ張れるのか。本当にあの時あったことを振り解けるのか。
「私、本当に部長になっても良かったんですかね。|先代部長《・・・・》。」
問は未だ、答え出ず。問答無用、冬来たる。
次回からは寒ーい冬が来ます。
寒いダジャレは私、大得意ですよ!いつも凍らせてますから!