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すくわれて
夏ですね。お祭り行きたいです。
約3000文字です。
気づいたら、僕は謎の青い水槽の中にいた。
ぶくぶくと泡を吐き出し続ける大きな物体のそばで僕は目覚めた。たくさんの仲間たちが、この謎の水槽の中を右往左往している。
いつもの大きな池ではなかった。どこだ、ここ。
いつもの池には緑の藻が生えて、もっともっと水の流れが穏やかで、静かで……。
本当にどこだ、ここ。
「あっ、お前起きたんだな!」
「ベニ!どこなんだろう、ここ。」
顔見知りであるベニが話しかけてくれた。発色の良い、綺麗な真紅の体が特徴的なベニ。
「俺にも分からないが、なんだか騒がしくて過ごしづらいな、ここ。」
「そうだね。それに、すごく明るい。」
柔らかで暖かい太陽光とは違う、眩しいオレンジの光。空は薄暗くて、ところどころ星が煌めいている。
そして、騒がしい。
人間の声が響いている。僕たちにご飯をくれるいつもの人はいなさそうだ。
とにかく、居心地が悪かった。
「あ、お前の癖が出てる。」
「しょうがないじゃないか、僕は不安なんだよ。こんなところに突然連れてこられて。」
僕はベニの周りをふらふら泳ぐ。それがうざったかったのか、ベニはしっしっ、とヒレを動かした。
「落ち着けよ、こうやってどっしり構えて……。」
その時、ベニの体は舞った。
白い、薄い膜のようなものが見えた。つるつるした青い縁取りの何かに囲われていた。
そのまま、水上へとベニの体は運ばれる。
「ちょっと、どうなってるんだよ!?ベニ、ベニ!」
とうとうベニの姿は見えなくなってしまった。
あの膜に捕まると、どうなってしまうのか。ベニは生きているのか。だって、水の外に僕らが出ると、息ができなくてそのまま……。
水温が一気に下がった気がした。
「わーい、綺麗な赤いお魚!」
「良かったわね、まだこのポイも使えそうだし。」
「そうだな。この調子で、頑張れ。」
「うん!パパ、ママ、見ててねー!」
どうやらまだ終わらないらしい。僕は叫び出したくなった。
あの大きな白い膜がついたものは「ポイ」というらしい。
突然誘拐されたと思ったら、捕まったらどうなるか分からない鬼ごっこだなんて。僕は一体、人間たちに何をしたというのか!最悪だ!
そして、僕の方にポイが水を切って向かってくる。
ああ、僕はここでおしまいなのか……。あの可愛い黒い鱗の女の子に話しかけたり、美味しい藻を独り占めしておけばよかった。
「でもいいや。この金魚、そんなに綺麗な色じゃないし。あっ、あっちの黒い子にしよう!」
「そうね。ポイが破れないように、そっとすくうのよ。」
誰がそんなに綺麗な色じゃないんだよ。悪かったな、ベニみたいな紅色じゃなくて!
何だよ、こっちだって必死に生きてるのに。くすんだ赤色で、さして大きくない自分のルックスに少し嫌気がさしていたのに。ひどいじゃないか。
こんなことなら、すくわれた方が幸せなのか?もしかしたら無惨に殺されるかもしれないのに、僕は何馬鹿なこと考えてるんだ。
そんなひねくれた気持ちであの黒い可愛い子を見ていた。
ふふふ、と得意げな声が聞こえてきそうだった。目を逸らしたかったのに、逸らせなかった。
夜の空と同化して、やがて見えなくなった。
そうこうしているうちにどんどん水槽はスカスカになって、僕はぼうっと泡の出る大きな物体の方にいた。
「大きいね、この金魚。」
「よく取れたじゃない、さすがね。」
やってくる人間たちに次々と仲間たちがすくわれていく。
その度に僕の心は水槽の深くへと沈んでいくようだった。実際に体も沈んでいった。
「あの金魚、なんか動かないね。死んでるのかな?」
「そんなことないわよ、ヒレは動いてるし。弱ってるんじゃない?」
病は気からというが、あの人間の言うこともあながち間違っていないように思えてきた。僕の視界はぼやけているし、体もだるい。
どうせ死ぬならすくわれたい。僕だって選ばれたい。
水をかき分けて進むポイたち。その中に、1つ変なポイがあった。
やけに乱暴だし、すぐ破れる。
「ダメだ、全然取れない。」
今まで見てきた人間の中でも、特にこのポイの扱い方が下手くそな人間。それが僕の、率直な感想。
「もう一回!おじさん、もう一回お願いします!」
「はいよ、新しいポイだ。」
なかなかすくわれない僕に、なかなかすくえないあの人間。
かわいそうだったので、僕は水槽のど真ん中に陣取った。そして、そのポイが近づいてくると急いでその方向に泳いだ。
体がポイに触れた。縁に乗って、そのまま人間が水上にすくってくれるのを待つ。
しかし、そう簡単には行かなかった。何せこの人間は、ポイの扱いが特に下手なのだから。
「あっ!破れちゃった……おじさん!」
勢いよく動くポイから、体が落ちる。白い膜は破けた。
「別に、金魚をすくえなくても一回につき一匹はサービスするのに。」
「自分で捕まえるんだ。だから、捕まえるまでは絶対やめない!」
新品のピンと張った膜の方へ。これは僕が乗る前に破けた。
「もう一回!」
次、僕はうまく真ん中のあたりに乗れた。しかし、もう一匹金魚がいたせいで人間がうまくポイを動かせず、これも失敗した。
「まだまだ。」
今度は僕がかなりフチ寄りにいたので、持ち上げられたが途中で落ちた。
初めての空中は息が思ったよりも苦しくて、僕は水の中でも呼吸が出来なくなる。
次も、さらにその次も、その人間は失敗した。
「もうそろそろこの屋台も、終わりなんだけどなぁ。少年、最後に持ち帰りたい金魚を言ってくれればおれがすくうけど、どうだ?」
「……もう一回だけ。あともう一回だけ、お願いします!」
人間たちの会話から推測するに、これが最後らしい。
水の中に滑り込んできたポイは、もうすでに破れそうで、膜は揺らいでいる。
それでも、僕はすくいたい。あの人間の気持ちを。そして、僕もすくわれたい。
ポイの縁に上って、力を抜く。膜に負荷をかけないようにする。あとは人間次第だ。
今までの動きよりもずっと上手い。そのまま、ゆっくりと空中へと運んでくれ。
ようやく、じっくりと水槽の外を見られた。
ひらひらした、色とりどりの服で着飾った人間たちがいた。眩しい照明にくらりとした。
瞬間、僕は風を感じた。膜は破れていた。ポイを持っている人間は、目を大きく見開いて、口を半開きにしていて……。
僕は体を伸ばした。黒と赤のその器に、いちかばちか飛び込んだ。
体がその黒い器に叩きつけられて、頭ががんがんとうるさく喚く。でも、届いたんだ。
ひんやりと冷えた水を僕は感じた。意識はそこで途絶える。
少年の嬉しそうな無邪気な声を、子守唄にした。
こうして、僕は観賞魚デビューを果たしたのだった。
ご飯は少年の母親が言うに「百均」なるグレードの低いもののようで、たまに美味しくない粒が混じっている。
水槽の中には僕だけ。申し訳程度に人工物の水草のようなものが置かれているばかりだ。
人間に連れて行かれたら、殺されるんじゃないか。そう戦々恐々としていた、見知らぬ水槽の中で怯えていた過去の僕に教えたい。
案外住みやすいぞ、と。
少年はたまに忘れるが、ご飯を水槽の中に入れてくれるし、掃除もしてくれる。
何より、少年は母親にお願いして「発色が良くなる」ご飯を用意してくれたらしい。味はこの水槽に来てすぐ渡されたものより少し不味いが、なんとなく赤色が濃くなったように思えるので気に入ってつい食べ過ぎてしまうのだ。
そのせいでご飯を「金魚のダイエット」が出来るものに置き換えられてしまった、と少年が瞳を潤ませて教えてくれた。発色が良くなるご飯もそこそこ渡されるので、そんなに不満ではないが。
まあ、大した不満もなく暮らせている。
この少年に|掬《すく》われた。その事実に僕は|救《すく》われたんだ。