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藤夢 其の陸
「貴様が……!」
そう云って羅生門をゆらめかせた芥川くんを、宥めるように肩に軽く触れる。
煙のように黒獣が消えると同時に芥川くんもハッと我に帰った。
「太宰さん……」
「大丈夫。予想してたからね──それより、蝶壺さん。私の考察は正解ですか?」
そう云い乍ら蝶壺に流し目をくれる。
今の私は絶対零度を下回るほどの冷たい目をしているだろう。
マフィア時代を思い出すような殺気に、隣で芥川くんがぴくりと反応したのが見えた。
蝶壺も体を震わせて此方を見たものの、負けじと言い返してきた。
「……何のことでしょう」
其れを聞いた私はスッと目を細める。
「何のこと? 貴女が一番解っているのではないですか?」
「……」
蝶壺はキッと此方を睨んできた。
私は口元に笑みを浮かべた。目は変わらず絶対零度の冷たさだ。
「実は、貴女に占いの客としてやってきた方々が今厄介な事件に巻き込まれていまして。貴女が何か知っているのではと──」
「知らない! あの人たちも、めざめさせる方法も!」
それを聞いて私は眉をぴくりと動かした。芥川くんも僅かに殺気を放った。
「目醒めさせる……何からですか?」
「ッ! ……ぁ」
失言に気がついたように蝶壺は口元を袖で抑えたがもう遅い。
「それに“あの人たち”ですか。会ったことがあるんですね」
「……」
私は笑みを消すと蝶壺の方に一歩踏み出した。芥川くんが静止するように手を伸ばしたが気づかないふりをする。
「彼等をどうした」
口からは思いの外冷たく低い声が出た。私は、私の想像以上にこの事件に対して苛立ちを抱えているようだった。
もう一歩と詰め寄ろうとした私の足を止めたのは、一人の人物の声だった。
「太宰」
特徴的なボーイソプラノ。
「其処までだ。落ち着け。蝶壺さんが怖がっている」
探偵社を支える要の名探偵、江戸川乱歩だった。
後ろには与謝野女医が控えている。
「乱歩さん……」
「全く、鏡花に伝令を任せるだけなんて報告が簡易過ぎるよ! おかげで僕の推理力を使わなきゃならなかった! 無茶するなって言ったろ」
やれやれ、と大きめの身振り手振りで乱歩さんが話す。
鏡花ちゃんに探偵社への伝令を任せれば、賢い彼女は知らせるべき人に知らせることができる。
鏡花ちゃんに知らせたのは正しい判断だった、というわけだ。
「あなたなら分かると思いまして」
「まあ、人に頼ることを覚えたのは成長した点だとは思うけどね!」
むすっとした顔で此方を見ていた乱歩さんだったが、徐に蝶壺に顔を向けた。
「それで、君が犯人? へぇ……」
しげしげと見てくる彼に、蝶壺が警戒したように「な、何ですか」と云った。
「君、|煙草《たばこ》は吸う? 長い話になりそうだから吸うならどうぞ?」
名探偵の質問を一瞬疑問に思ったが、其の疑問はすぐに晴れた。それと同時に、この事件の不可解な部分も。
──嗚呼、そういうことか。
「え? いえ、吸わないので遠慮しておきますわ」
困惑したように答えた蝶壺に、乱歩さんは笑みを深くした。
僅かな風が一同の髪を揺らす。
その風の香りに、私はこの仮説の確信を得た。
そんな私達を他所に乱歩さんは続けた。
「吸わない? 良かった、僕好きじゃないんだよね──
で、矢っ張り云うけれど、この“夢浮橋事件”の犯人は君だよ。蝶壺さん。
それは、被害者たちの共通点が君という占い師にあること、そして全員が悩みを抱えていたことからも明白だ。人は悩みを占いに頼る節があるからね……
質問があれば訊いてくれ給え! 僕が無知な君のために教えてあげるから!
え? 自分じゃない占い師かも知れない? 全く。忠告してあげるけれど、君の占い場の場所は利と害が半々だってこと、覚えておいた方が良い。素性が判りにくい代わりに、其処に行った人の足取りは驚くほど掴みやすい……真っ当な昼の世界に生きる者がホイホイ行く場所じゃアないからね。
少なくとも、君の周辺には他に占い師はいなかった。もう少しマシな質問を考えておくれよ。
悩みがなかったかも知れないじゃない、だって? まあ其の可能性があるのは認めよう。けれど、人から聞いた、生活と性格からの逆算は可能だ。しかも、全員の悩みが個人の根幹に関わるものばかりなのだから、推測するのは容易いよ。
ああ、それから。何故君が此処に来ることがわかったのか、と言えば簡単なことだよ。
君が占いをしていたという場所には寝食を行うには適していない場所だ。
そして街中の喫茶にも頻繁に通え、かつ寝泊まりのできる秘匿性の高い場所……といったら、此処のような街の片隅の広い敷地ぐらいしかないのだよ。
此処には偶然にも放置されていた小屋もあるしね。
他にも何個か場所自体は候補はあったけれど、それはどれもマフィアが良く出入りするような、裏の香りの濃いところだ。君がそんなところを好んで寝ぐらにするとは考えにくい。
却説、まだ反論があるなら聞くよ?
抑もね、反論を全て仮定形で行っている時点で認めているようなものだよ。
ま、それが無くたって、全部論破できる自信があるけれど」
──見事だった。
蝶壺は、もう何も言い逃れができないというように蒼白な顔をして乱歩さんを見ていた。
彼女は震える唇をゆっくりと開くと話し出した。
「いえ、もう何もございません。確かに。私が行いまし──」
其の時、異変が起こった。
「──ッ!? ぃ……ッ」
頭が痛くて堪らない、というように蝶壺が頭を抑えて蹲った。
苦しげにうめき、額には冷や汗が薄らと浮かんでいる。
「!?」
突然の状況に、何人かが蝶壺に警戒を示したが、乱歩さんが片手で制した。
「大丈夫。“彼女”には何も起こっていないから」
ゆらり、と蝶壺が立ち上がった。
其の顔はまだ青白いが、苦しげな様子は和らいでいる。
だが、其の顔は次の瞬間驚きの色で染まった。
「ッ……!?……貴方がたは…何故吾を取り囲んでいらっしゃるのですか?」
「!」
纏う空気が変わっていた。より高潔に、そして何処か攻撃的に。
嗚呼、矢張り。
私はそう思った。
乱歩さんもにやり、と笑みを浮かべて口を開いた。
「やァ、“初めまして”。蝶壺さん?」
自体を把握しきれていない何人かが、何を言い出すのだ、という目で乱歩さんを見る。
そんな空気にも動じず、蝶壺は微かに笑みを浮かべた。乱歩さんは再び話し出す。
「で、出てきて貰ったところ悪いんだけど、先刻の子はどうしたのかな?」
「如何云う事です?」
「君の前に出てきた子だよ」
乱歩さんはそう云うと、すっと蝶壺に目を合わせた。
蝶壺はそれでも笑みを浮かべている。
底知れない気味悪さと緊張感に、あたりの空気がぴん、と張り詰めたような気がした。
「君は……二重人格。
正式には──解離性同一性障害だ」
無言のどよめきが走った。
其の中で、乱歩さんと蝶壺、そして私は余裕の表情を浮かべていた。
医学の心得のある与謝野女医は、あァ、と納得したような声を漏らし、呟いた。
「あんたの、何処か矛盾した行動……それは異なる人格から来るものだったンだね?」
蝶壺は一瞬目を見張ると、口元に笑みを浮かべた。
「ふふ……。名探偵様、如何してお分かりになったのです?」
蝶壺はそう問うた。乱歩さんは蝶壺から一切目を離す事なく答えた。
「簡単だよ……最初の引っ掛かりは行動の矛盾。其の次は……其の香りだよ」
「香り?」
蝶壺は首を傾げると自らの袖を鼻に近づけた。
「煙草の匂いがしたんだ……しかも、先刻まで吸っていたかのようにね」
「!」
蝶壺が驚愕した表情を見せた。
これまでの何処か余裕ある表情が崩れた様子
に、乱歩さんが目を細めた。
「煙草は好き嫌いが激しい。吸わない人は一切吸わない……先刻までの“君”は『吸わない』とはっきり言っていた。だからだよ」
それに一人称も違うしね、と乱歩さんは付け加えた。
それを聞き、蝶壺は深くため息をついた。
「嗚呼……そしてそれを吸ったのが吾、と云う証拠は、此処に吾が現れたのが、働き場である占い場から、終業時間から徒歩でぴったりの時間に着いたことから──でしょう?」
「その通り! 良くわかっているじゃアないか!」
にこにこと笑い合う二人。
だがお互いに、目には鋭い光が宿されている。
「で、先程の質問に戻るけれど。あの子を如何したんだい?」
「嘘を吐いても意味はありませんね……無理矢理にですが交代させました。有りもしない事を口走り始めたんですもの」
その白々しい言葉に私は目を細めた。隣から芥川くんが口を開く。
「有りもしない事、だと?」
「ええ。そうですよ? 全く、裏から聞いていましたが、あの子は混乱に弱すぎます」
「貴様ッ」
その白々しさに耐えきれなくなったのか、芥川くんが重心を落とし、羅生門を構えようとする。
私はそれを片手で制すと、一歩彼女の方へ踏み出した。
「有りもしないこと……確かに、そうでしょうね。だって、“貴女は行なってはいない”んですから」
話しかけながら、すっと蝶壺に目線を合わせる。
彼女がひくり、と唇の端を動かした。
「どういう意味でしょうか」
「異能を使ったのは、確かに貴女ではない。けれど、貴女が発端だ。違いますか?」
澄ましたような蝶壺の顔が歪んだ。
「何故、」
「おや、当たりですか。鎌をかけただけなのですが」
「!」
しまった、という表情を浮かべた蝶壺。
そんな彼女に乱歩さんが追い打ちをかけた。
「つまり、君は先刻の子を唆して異能を使わせた。自分の欲望を満たし、“自分が”罪に問われないために──」
「違う!!」
蝶壺は声をあげて否定した。
先程までとは違い、その顔には嘲笑が浮かんでいた。
「全然違う。大外れ。あなたたちは結局……」
「──と! 先刻までは思っていた。けれど違うんだろう?」
蝶壺は藤の瞳が溢れそうなほどに大きく目を見開いた。露見するはずのなかったことが、暴かれたように。
「君は、先刻の子──“主人格”の願いを叶えてあげたかった。
だから、裏社会から逃げ出した。その子に願いを叶える方法を教え、そして混乱に弱い彼女を守るように自分の人格を表に出した。仮に逮捕されたとしても、自分が主人格であると偽り、他人格が行ったことにして仕舞えば、情状酌量も狙え、自分たち──否、彼女を守ることができる。そう考えたんだろう?」
蝶壺の顔が、炙られた蝋細工のようにぐにゃりと歪んだ。
・
眠り姫です!
六作品目!
蝶壺さまのご登場です!
モデルが誰かは事件の名前、服装、そして“蝶壺”という名前からなんとなくわかってらっしゃるかもですが……
誤字脱字があったらごめんなさい。
自分でも随時直しております。
そして。陸は無理でした! すみません!
応援してくださっている方々、ありがとうございます!
ここまで読んでくださった方々に、心からの感謝を!