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第10話:雨宿りとゼロ距離
その日の放課後、空は予報を裏切り、バケツをひっくり返したような土砂降りになった。
「うわぁ、すごい雨……。大雅くん、傘持ってないよね?」
「……ああ。だが問題ない。俺の学ランを傘代わりにすれば、お前一人くらいは……」
そう言って学ランを脱ごうとした大雅だったが、風を伴う雨の勢いに断念。二人は近くの古い商店街の、狭い軒下へと駆け込んだ。
そこは、大人二人が並ぶのがやっとのほど、奥行きのない空間。
自然と、二人の肩と肩が触れ合う。
「……っ」
大雅の心臓が、雨音をかき消すほどの爆音で鳴り始めた。
新調したばかりのサングラスが、外気との温度差でわずかに曇る。
「……狭いな」
「うん。……でも、あったかいね」
琥珀が少し寒そうに肩をすくめ、大雅の腕に体重を預けてきた。
至近距離から漂う、琥珀のシャンプーの甘い香り。
大雅の脳裏に、昨夜、父・和正と交わした会話がフラッシュバックする。
『いいか大雅。雨の日の軒下……そこは、男が「一流」になれる聖域だ。狭さは味方だ。逃げ場のない空間で、相手の瞳の奥を……射抜くように見つめろ』
(……今だ。……今しかない)
大雅は意を決し、曇ったサングラスを外した。
雨に濡れて少し束になった前髪の隙間から、昨日の「優しい目」が琥珀を捉える。
「……琥珀」
「え……? なあに、大雅くん」
大雅は、父に叩き込まれた「黄金の角度」で、ゆっくりと琥珀の顔に自分の顔を近づけていった。
雨音のカーテンが、二人を世界から切り離している。
琥珀の長い睫毛が、震えるのが見える。
(角度、よし。……呼吸、読み取った。……いくぞ……!)
唇が触れ合う、あと数ミリ。
大雅の純情回路が焼き切れる直前。
「あー! 見つけたぞ、お前ら! こんなところで密会か?」
ガバァッ! と、横から巨大なビニール傘が差し込まれた。
声の主は、コンビニ袋を抱えた晴翔だった。
「……は、晴翔……っ!」
大雅は弾かれたように飛び退き、軒下の柱に後頭部を強打した。
「よお、若頭。顔真っ赤だぜ? 茹でダコかよ。ほら、このデカい傘貸してやるから、二人で仲良く帰れよ」
晴翔はニヤニヤしながら、大雅の手に傘を握らせ、自分はフードを被って走り去っていった。
「…………。」
「…………。」
残されたのは、気まずい沈黙と、一本の大きな傘。
「……あ、あの、大雅くん。行こうか?」
「……ああ。……行く。……すまない」
大雅は震える手で傘を差し、琥珀が濡れないよう、自分の右肩をびしょ濡れにしながら歩き出した。
父直伝の「一流の技術」はまたしても未遂に終わったが、傘の下で琥珀がそっと大雅の服の裾を掴んだことで、大雅の幸福度は限界値を突破していた。
(……親父。……一流への道は、まだ遠い……。……だが、この距離も、悪くない)
雨が止む頃には、二人の距離は、雨が降る前よりもほんの少しだけ縮まっていた。
🔚