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〔 餌食 〕
心地よい幸福感を感じながら、目が醒めた。
子の姿はなかった。首を絞められた感覚もとうに消え失せていた。
気落ちして身体を起こそうとしたが、そもそも動かなかった。
頭の中が真っ白になり、動きの遅い頭がようやく理解した。
私は喰われたらしい。喰われたと言っても死んだから肉体が喰われたのであって、魂こそは喰われていない。
目の前には頭に角の生えた屈強な男や全身に茶色の毛の生えた猿のような生物、糸で縫いつけられた狐の面をした男性、古いが美しさを感じる和服を纏った女性。
狐の面をした男性のみ僅かに見覚えがあるような気がした。
助けを求めて叫んだ。声が出なかった。
更に、助けを求めて叫んだ。やはり、声が出なかった。
そうしている内に和服を纏った女性が狐の面の男性に声をかけた。
「ねぇ、腹が少しだけ満たされたのは良いけれど…前にまた来たでしょう?
ほら、四十九にも分けられた贄よ。あれで、そろそろ足りたんでしょう?」
「ああ…私はね。巫女には憤りを隠せないが、贄を運んだのは喜ばしいことだ。これでしばらく…百年は寝れるな」
「そう…それで?これはどうするの?」
女性が六本もある黒い棘のような手足で私を指した。
狐の面の男性がすぐに答える。ぶっきらぼうで、眠そうな声だった。
「……処理していい………食べてくれ、私はもういい…」
その言葉に私は気が狂いそうだった。
貴方の為に喰われたのに、たった一人の男に本来の意味で喰われるというその役を奪われたのだ。
それなのに、何故。
女性が、女が、女郎蜘蛛が、私に手を伸ばした。
その瞳にブロック状に刻まれた私を映して、大きく開いた鋭い牙が口の中から覗いた。
私はお前を崇めていたわけではない。
もちろん、23歳の|息子《道具》を愛していたわけではない。
盲信的な宗教の中で、貴方の存在を知った。
貴方に助けてもらおうとした。
私を見捨てた妻に、私を殺した子に、貴方を盲信的なまでに崇拝する神宮寺に……圧倒的な違いを見せて、ただ…救われたかっただけだ。
それが道具に殺され、貴方には見放され、神宮寺の贄に奪われて、
…私は|喰われたかった《救われたかった》だけだ。
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永遠なんてないよ。
そんなことはない。
永遠はあるよ。
色はないよ。
そんなことはない。
色はあるよ。
希望なんてないよ。
そんなことはない。
希望はあるよ。
死んでもいいよ。
そんなことはない。
死んではダメだよ。
薔薇は咲かないよ。
そんなことはない。
薔薇は咲くはずだよ。
星は輝かないよ。
そんなことはない。
星は輝くよ。
誰もが、誰かを愛することはできないよ。
そんなことはない。
誰もが、誰かを愛することができるはずだ。
愛なんてものはないよ。
そんなことはない。
愛は確かにあるはずだ。
陽は笑わないよ。
そんなことはない。
陽は笑うよ。
月は見えないよ。
そんなことはない。
月は見えるよ。
運命は変えられない。
そんなことはない。
運命は変えられる。
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運命は変えられる。
そんなことはない。
運命は変えられない。
月は見えるよ。
そんなことはない。
月は見えないよ。
陽は笑うよ。
そんなことはない。
陽は笑わないよ。
愛は確かにあるはずだ。
そんなことはない。
愛なんてものはないよ。
誰もが、誰かを愛することはできるはずだ。
そんなことはない。
誰もが、誰かを愛することができないよ。
星は輝くよ。
そんなことはない。
星は輝かないよ。
薔薇は咲くはずだよ。
そんなことはない。
薔薇は咲かないよ。
死んではダメだよ。
そんなことはない。
死んでもいいよ。
希望はあるよ。
そんなことはない。
希望なんてないよ。
色はあるよ。
そんなことはない。
色はないよ。
永遠はあるよ。
そんなことはない。
永遠なんてないよ。