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2話 ボールを追いかけ、君のところへ②
バスケットボールが空を切り、リングに当たって跳ね返る。
いつもなら真っ直ぐ沈むはずのシュートが、今日はどこか不安定だった。
「颯、集中しろ。」
戸柱恭孝の低い声が、静かに響く。
「……すみません。」
返事はしたけれど、心は別のところにあった。
コートの向こう側で、千隼が笑っている。
恭孝と肩を並べ、何か楽しそうに話していた。
練習の合間に二人の笑い声が交じり合う。
その光景が、どうしようもなく胸をざわつかせた。
「千隼、お前のポジショニングいいな。」
「ありがとうございます! キャプテンの教え方が分かりやすくて。」
何気ない会話のはずなのに、颯には刺さる。
その“キャプテン”という言葉に、特別な響きを感じてしまう。
自分だけがそう呼んでいた気がしていた。
誰よりも近くにいると思っていたのに、
気づけば、二人の間に割り込めない空気ができていた。
放課後、部活が終わると、颯は一人で体育館に残った。
薄暗い中、ボールの音が虚しく響く。
「……何やってんだ、俺。」
額の汗を拭いながら、小さく笑う。
恭孝に憧れて、追いかけて、
気づけばその背中ばかり見ていた。
だけど今、その背中を誰かと並んで見られるのが怖かった。
「颯、まだ帰ってなかったのか。」
声の主は恭孝だった。
振り返ると、彼はタオルを肩にかけたまま、入口に立っている。
照明に照らされたシルエットが、やけに大きく見えた。
「……すぐ終わります。」
「無理すんな。疲れてる時は、身体が覚えねぇぞ。」
そう言いながら、恭孝は颯の手からボールを奪う。
片手で軽くドリブルし、リングに向かって放つ。
綺麗な弧を描いて、ボールは静かにネットを通った。
「な、簡単そうにやるなぁ……。」
「簡単じゃない。慣れだよ。」
その瞬間、二人の視線が重なった。
距離にして、わずか数歩。
けれど、そのわずかが、どうしても埋まらなかった。
「キャプテン……」
「ん?」
「俺、もっと上手くなりたいです。……誰にも負けたくない。」
颯の声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
恭孝は少しだけ目を細める。
「“誰にも”か。」
「はい。」
「千隼のことか?」
図星を突かれて、息が詰まった。
恭孝の声は穏やかだけど、どこか探るようでもあった。
否定したかったのに、言葉が出てこない。
沈黙が落ちる。
遠くで風が吹き、窓の外の木々を揺らした。
「……颯は颯だ。そう焦んな。」
「……でも、キャプテンは……千隼の方ばっかり、気にしてる風に見えて…」
言葉にした瞬間、胸の奥がちくりと痛む。
恭孝は何も答えず、少しだけ息を吐いた。
そして、颯の頭に手を置く。
その手の大きさと温かさに、頬が熱くなる。
だけど、その手が“優しさ”の証だと分かるほど、余計に切なかった。
「颯、そんな顔すんな。」
「え……?」
「……子どもみたいだから。」
恭孝は笑うでもなく、ただ呟いた。
それが照れ隠しなのか、拒絶なのか――颯には分からなかった。
その夜。
帰り道の街灯の下、颯は空を見上げる。
白い息が夜に溶けていく。
胸の奥で、何かが少しずつ崩れていく音がした。
それでも――手放せなかった。
あの人の背中も、
優しい声も、
すべて、自分を苦しめるほどに好きだった。
そして、次の朝。
部室で千隼が恭孝に微笑むのを見たとき、
颯ははっきりと気づいた。
――この恋は、もう静かに壊れ始めている。