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2-7 新理論
結局、昨日はあれから何もなかった。
「今日はしっかり休め」、その言葉があったからなのか、何も仕事が持ち込まれることがなかったのだ。
その代わり、今日は仕事がいくつかある。
朝、ルーカスから伝達があった。
『魔力の浄化を頼む。今日、僕は別の用事があるから、ノルについていくことができない。代わりにこの指輪を置いておく。転移に使ってくれ。何かあったら、指輪を壊すと良い。すぐに駆けつける』
そうして渡されたのは、金属でできた簡素な指輪だった。
外見には特別な要素はないが、魔力などを視る要領で見れば分かる。この指輪には、ルーカスの力がたっぷりと注ぎ込まれていた。
今の俺は、邪術が自由に使えない。魔法の練度はどちらかといえば低く、転移に足る実力がない。
目的地まで転移するには、この指輪の存在が不可欠だ。
しかし、ルーカスの力をまともに使おうとすれば、俺の体がダメージを受ける。俺たちと主神の仲の悪さが、力の相性にまで影響を与えていた。
ルーカスやフィンレーが直接俺を転移させるのは大丈夫だ。力は肌に触れる程度で、中に入ってはこない。
しかし、俺がそれを使う場合は、力を取り込まなければならない。
補助なしの話だが。
ルーカスのことだ。多少魔法を扱える程度の人間でも問題なく使えるようにしてあるに違いない。
指輪を嵌め、魔力で干渉する。
指輪に込められた力が放出され、転移のための術式が組み上げられていく。
ルーカスやフィンレーが直接やる時より精度が悪いが、転移は問題なく発動した。
――脚を動かすと、積み上がった石が崩れた。
風が運ぶのは、土のにおい。
目の前には、荒れ果てた住宅地が広がっていた。
魔力の濃度から考えて、ここは人間界だろう。
モンスターに襲われて人間は逃げ出し、建物は廃墟になったというところか。
風が耳元で唸る。瓦礫が崩れる音以外、他に音はしなかった。
生命の気配がしない場所だ。修行できそうな気がしない。さっさと終わらせるに限る。
「片づけ、手伝ってやるか」
瓦礫一つ一つを魔法の対象に指定。書き換えるのは、対象の位置。
辺りの魔力をかき集め、魔法を発動。
瞬きする間に、瓦礫の場所が変わる。
材質も大きさも違い、家があった場所に横たわっていた瓦礫が、材質や大きさごとに分けられていた。
いつか誰かがこの場所で何かを作る時、少しでも楽になるように。あるいは、欲するものを素早く見つけられるように。
空気中の魔力が観測できなくなったのを確認して、俺は次の場所へ転移した。
「ごほっ」
息を吸うとざらついた砂が喉に入ってきて、少しむせた。服の袖で顔を覆う。
頭上では太陽がぎらぎらと輝き、足元に暗い影を落としている。
風が砂を巻き上げ、視界を霞ませた。
砂漠の中で、どんな魔法を使うか考える。
「――ん?」
足元から視線を感じた。顔を下に向けると、砂色の猫と目が合う。
体は小さく、耳は大きい。砂漠での暮らしに適応した種類のようだった。
そうだとしても、おかしい。いくら砂漠の暑さに適応したといっても、こんな暑い昼間から活動を始めはしない。
さっきから一歩も動かず、立っているのもやっとといった様子。猫は酷く弱っていた。
たぶん、何らかの要因で巣穴に帰れなくなってしまったのだろう。そうしているうちに日が昇り、脱水症状に陥ってしまった。
その目を見て、俺は使う魔法を決めた。
水を集める魔法。いつも手軽に使っている魔法だ。
だが、この乾ききった砂漠になると話は別だ。
ここにある魔力を全て使って空気から水を集めても、集まるのはほんの僅かな水のみ。そんな水で、猫の延命が図れるはずもない。
それでもやらないわけにはいかず、魔法を発動する。
僅かな水を、猫はちびちびと大切に飲んでいた。
「俺が水のあるところまで連れてってやる」
猫を抱きかかえようとするが、猫は手足に加え口まで使って抵抗する。
困った。望まない相手を助けるのは、俺の信条に反する。
猫を抱きかかえるのは諦める。俺が立ち上がるのを見ると、猫は大人しくなった。
地面に四つの足を着け、尾をぴんと立てる。砂に小さな足跡を残して、歩き始めた。
もう動けるのか。なら、ここで俺が無理に助ける必要もない。猫のしたいようにすれば――と考え、猫と目が合った。
猫は立ち止まり、俺を見ている。
「離れてほしいのか?」
そう言うと、猫から感じる圧が強まった気がした。違うのか。
逆? 一歩踏み込んでみる。猫は尾を大きく振った。ついてこいということらしい。
猫は時折立ち止まって、俺がついてきているか確認していた。
俺が足を止めた時も同様で、足を止めた瞬間に気づいて振り向く。一体どうやって感知しているのか。
しかし、これだと立場が逆だ。当初は、俺が猫を連れて行こうと思っていたのに、今は猫に連れて行かれている。不思議なこともあるものだ。
「ん?」
砂漠の中に、緑色が見えた。さらに歩くと、水面が光を反射するのが見える。
猫は尾を振り、足を早めた。どうやらここが目的地らしい。
「――おぉ」
水面には魚の影が映し出され、風で木の葉がさわさわと揺れる。
砂漠の中にある緑地。オアシスだ。
猫はにゃあと一声鳴いて去っていった。
俺はそれを自由な探索の許可だと解釈する。違ったとしてもそう思わせた方が悪い。
見た感じ、農耕地はなさそうだ。人が住んでいないということで良いのか?
かと思えば草に踏み潰された跡があるし、何なら小屋だって建っている。人の痕跡はあるのに、誰かがいる気配はない。怪しい。
俺はしばらく考えた後、小屋にお邪魔することにした。何かの手がかりが得られる可能性がいちばん高そうな場所だからだ。
一応ノックしてみる。返事はない。
俺は扉を大きく開け放ち、小屋の中に踏み込んだ。
小屋の中はある程度の清潔さが保たれていた。少なくとも埃っぽいということや、木が腐っているなんてこともない。
ただし、整理整頓はされていなかった。
机と椅子が置かれている以外は、家具がない。寝具すらも。
そして、床には紙が散らばっていた。
一枚拾う。
「魔力量と魔力濃度を変えて魔法を使って――持続時間を計っているのか。待て、何のためにこんな実験を? ああ、これが一枚目じゃないのか」
幸い、その前後の紙は近くにあった。
拾い上げ、つなげて読む。
「おいおい、大発見ってレベルじゃないぞ、これ」
魔法は、使う魔力の濃度によって持続時間が変わる。つまり、世界への定着度が上がる。
俺が魔力を生み出した過程の逆を辿っているわけだ。興味深いのはその先。
「『仮説:魔力を圧縮すると別の力になる。その力は特性を持たない魔力の上位互換の力である』。待てこれ邪気と違う力か? 特性を持たないってことはつまり主神の力との相性の悪さもないってことだから」
それが意味することは。
「ここでも邪術のような力が使える!」
人間界や魔界でも邪術が使えれば。ずっと考えていて、でもできないという答え以外を見つけられなかった問い。
革命が起きた。世界を一変させる革命だ。
具体的な理論は?
濃度はどれぐらいに高めれば良い?
ロスは存在するのか?
邪気と魔力の変換効率と絡めて、どの程度の効率なのか?
様々な疑問や期待と共にページを捲り――俺は紙の束を取り落とした。次のページは存在しなかった。
紙の山をかき分けて内容ごとに分別しても、見つからなかった。
俺は震える手を押さえつけて、深呼吸する。
そりゃそうだ。こんな重要な仮説をこんな人里離れた場所に放置する阿呆でも、さすがに研究成果の秘匿くらいはする。
一人でこんな大研究をするのは難しいだろうから、あるいは所属している組織がそうさせたのかもしれない。
研究のコンセプトは見た。実験とその結果も見た。計算過程も見た。
結論と考察がそろっていないだけだ。
ゼロから完成させた人間は既にいる。その足跡が見えていて、完成させられないことはない。
まずは研究資料の読み込みを。魔力の昇華以外にも、ワクワクする新理論はたくさんある。
魔法実行時の変数指定とか。
変数指定の応用による情報鍵とその突破方法とか。
魔力から魔法への変換効率を上げる方法とか。
ふと、はめた指輪が目に入った。
今日回らなければならないのは、ここだけではない。後一か所ある。
ここに留まっているわけにはいかない。しかし、研究資料を持ち帰るのも難しい。量が多すぎる。
解決策はすぐに見つかった。この場所の座標を持ち帰れば良いのだ。ルーカスたちに伝えれば、大人数で持ち帰って研究を進められるに違いない。
小屋の外に出て、座標を確認した。
絶対に忘れるな、と自分に暗示をかけて、指輪に魔力で干渉する。
空間が歪み、接続して、座標が変わった。
木のにおいに包まれ、目を開く。微かな炭の香りが、風に運ばれて感じられた。
見渡す限り一面の緑。木々の葉の隙間から光が漏れ、あたたかい空間を作り上げている。
先ほどまでの砂漠とは違い、あちこちに生命の息遣いが感じられた。
視界に緑が暴力的に叩きつけられる。その眩しさに目を細めた。
「んー?」
今回の魔力は、ムラが大きい気がする。魔力が濃いところは濃いが、薄いところは薄い。
俺やアシュトンが魔法を使った時は、こうはならない。初めに空気中の魔力を集め、魔法を使う時にも余剰魔力が生まれないようにするからだ。そもそも、魔力の濃度や質が均一になるように運用する。
つまり、魔法を使ったのは初心者だ。
辺りをよく見れば、様々な魔法を使った痕跡がある。
焦げた枝。周りと色の違う土。やたらとぬかるんだ地面。やたらと生命力溢れる木。
推測するに、ここは魔法の初心者が魔法の練習を行った場所だ。魔界でやらない理由は分からない。たぶん、魔力が濃すぎるとかそういう理由じゃないだろうか。それを言うなら、ここは魔力が薄すぎると思うのだが。
「はぁー……」
俺がこれからするのは、初心者の尻拭いだ。それがどうにも憂鬱で、なんとなく気乗りしない。酷い落差だ。さっきまでは、魔法の最先端を目にしていたのに。
適当に魔力をかき集め、圧縮する。それを手の中でもてあそんでいると、懐かしさを感じた。
変だな。俺が今まで会ったことのある魔法使いは全員敵で、懐かしさなんて感じるはずはないのに。
でも、俺は何か手がかりを持っているはずだ。何か、何かを掴みかけている気がする。
結局、その答えは見つからなかった。
手の中にある魔力に意識を向ける。どうしようか。ただ魔力を使うのには飽きたから、新しい方法を編み出したい。
魔法の精度も上げたいしなあ。いつか主神と相対する時やモンスターと戦う時に困ってしまう。
魔力を均等にし、なるべく綺麗な球体を作った。
この狭い範囲の法則さえ支配できないのなら、戦闘の時はもっとレベルが落ちる。少しずつ完璧に制御できる範囲を増やし、いずれは戦闘にも耐えうるレベルまで引き上げる狙いだ。
何に干渉するのかイメージし、魔力を使った。
球体の中全体が燃え、鎮火し、中心に水がふよふよと浮かんで、風が渦巻く。
この程度なら簡単だ。
難しいのは並列処理。
二冊の本を読み、その内容を深く理解して説明することはできるか?
たぶん、多くの人は無理だと答えるだろう。俺も無理。
魔法を使うというのはそういうことなのだ。本を深く読むほどの集中力を要する。
しかし、並列処理が不可能なことだとも思わない。
何かコツがあるのか、練習すればいつかできるようになるのか、可能にするための新理論があるのか。
ひとまず、研究資料の解読を待とう。
魔力を作り出す。
砂漠でやり方は知った。理論は分かる。後はやるだけ。
ここの座標を読み、転移先――本部の座標も特定する。
二つの座標を重ね、一つとする。切り開いた立方体を組み立てる時に重なる点があるように、元々一つだったのだと世界に誤認させる。
そうして空間が繋がり――その繋ぎ目に、俺は迷いなく身を投げた。
俺の体が向こう側に現れた一秒後、繋ぎ目が静かに閉じた。
「危ねー……」
口の中で呟く。
俺がもう少し魔法が下手だったら、繋ぎ目をくぐるのが遅かったら、あれに巻き込まれていたかもしれない。
巻き込まれたら、一体どうなるのだろうか。
体が真っ二つになるのか?
よく分からない場所に飛ばされるのか?
もしかすると空間の狭間を永遠にさまよい続けることになるかもしれない。
気になるところだが、検証するのはやめておこう。下手すると死ぬ。好奇心のために生き物を殺すのは気がとがめるし、どこかに飛ばされる場合どこに飛ばされるのか分からない。
周りには人がいない。良かった。目の前に人が現れて腰を抜かす人が出ないよう、場所に気を遣った甲斐があった。
空を見る。まだ日が高い。
ルーカスに達成報告と指輪の返却をして、訓練場にでも行こう。ああ、砂漠の話もしなくては。
俺は、本部に足を向けた。