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22 夢
第22話です。
元は、単なる『おまじない』だったんだ。
昔、一人の幼い女の子が山で迷子になってしまったことがあった。
今のように人間社会として発展してなかったころでね。自然のほうが多く、都会なんてない。すべての土地が田舎であり、自然災害におびえ、一つの村を形成するように複数の家族が一つ屋根の下で暮らしていた。
だから女の子は外に出たかったのだろう。外に出て、いろいろな遊びをしたい年頃だった。でも大人たちの目からすると、村の外というのは危険がいっぱいだし、その日はもうじき嵐の前触れのような暗雲が見えていた。今日から数日間は、天候を司しり神が来訪する、だから家にいるように。大人たちは納得したが、幼い彼女はそれが堪え切れられなかったんだ。
彼女は誰にも言わず村を出て山に行き、そして迷子になってしまった。
てっぺんにあったはずの太陽は傾き、遠くの山に隠れようとして、夜になった。闇が広がるようになってさらには雨脚が強くなり、瞬く間に雲海から海だけがが落ちた勢いになった。
幼かった彼女は帰り道が分からなくなった。激しい雨に途方に暮れてしまった。普段こっそり行き来するこの道は、日が照っている時間帯なら迷うことなんてない。ほとんど一本道だから大丈夫なのだ。そう思っていたのに、空が暗くなるにつれ、雨の勢いが強くなるにつれ、ぐしょぐしょの地面になっていくにつれ、弱気になっていく。どうしよう……、助けを求めても誰も届かない山のふもと。泣き顔は濡れていた。
そんな時、声がした。足元の地面から。
一部分がホタルのように光っていた。彼女はしゃがんでみた。
地面と顔が一気に接近すると、それは何か小舟のような、葉っぱの上に乗せられていると気づいた。それから雨音にまぎれて声がする。とても小さく、呼びかけられる。
「どうしたんだい?」
分厚い雨雲による夜の下。光はそう女の子に尋ねた。
彼女は道に迷ってしまったことを伝えた。すると光は「そうか、じゃあ途中まで一緒だ。ついていってあげよう」
といって、光はくるくると弧を描き、彼女の胸の中に移動してしまった。
「こっちだよ」
彼女は突然のことに戸惑っていたが、胸の中から声がする。あたたかくてどこか懐かしい、勇気が湧いてきた。
胸から光が出ている。直進する光の|道標《みちしるべ》、穏やかな声の案内。彼女はそれを踏まえてどしゃぶりの山道を進んだ。
霧の孤軍だったけど、不思議と怖さは全く感じなかった。道中、川や滝、時折|樹洞《じゅどう》とよばれる、木の|幹《みき》に空いた穴を通ったりもした。幹のなかは、トンネルのように長かった。
「どうだ、知らなかっただろう。こっちのほうが近いんだ」
そう会話をしながら先に進む。
そうして雨が弱まっていくと視界の霧が晴れていき、なじみの村が見えてきた。ありがとう、と彼女は自分の胸を見ていった。
「こちらこそ。楽しかったよ」
胸から光は出ていって、空中で左右に揺れた。それがさよならの意味を示していると分かり、彼女も手を振って応えた。
光は山奥に消えていく。方角は、先ほど彼女と通ったところだった。
彼女は村に戻り、心配していた両親に目いっぱい抱きしめられた後、ぐっすり眠った。目が覚めた後、胸に何か違和感があり、ぺラリと肌着をめくった。すると、そこにはちょっとしたケロイドを起こしたように赤くなっていた。
天候が回復した後、彼女は何度も山に登った。執念深く探したけれど、光はおろか滝も川も、潜ったはずの樹洞も見当たらなかった。光は彼女に胸の印を残し、山奥に消えていってしまった……
★
「――つまり」
ぼくは長ったらしい話にメスを入れた。
「『|風のいたずら《あれ》』に効果はないと?」
ぼくは聞き返した。声に、にやりとした感じがする。
≪ないね。ただの『帰れるおまじない』だから≫
「自分以外のものに攻撃性などは一切ない。危害を加えたり、説明のできない事象、いわゆる〝呪い〟のようなものが発生したり、死亡事故が起きたり、なんてこともない――と?」
≪うん。そう思ってくれて構わないよ、『君の期待に応えられずごめんね』≫
「……だろうと思ったよ」
空からの転落というサプライズ。要するに『ひどい目』にあった翌日。彼は霧とともにのこのこやってきた。
やあ。どうだい機嫌は。ふーむ、なるほど? いっこうにしゃべらないってことは、どうやら「ご機嫌ナナメ」のようだね、と相変わらずのんきな口調で話しかけてくる。
「……ひどい目に遭ったんだぞ」
彼と再会し、霧を待たせた最初のひと言目がそれだけだった。
白い鳥居の上にぼくは座っていた。ブランコのようにぷらぷらと足を揺らす。ふくれっ面を見せながら、後ろに――倒壊して無残な姿になった残骸に目をやりながら。
木片がギザギザに折れた断面がいくつもみえる。丘のようにこんもりと、かつて祠を支えていた石の台の上に積みあがっている。形のない、壊れた世界の一部。無事なのはぼくだけ。
空から落ちてきた祠と、地上にあった祠。それらが板挟みに激突しあい、つぶれ、クッションになって助かったというわけだ。台は、石でできているため無事で、白い鳥居も何とか持ちこたえている。ただ、本来立派に構えているはずのものがみごとに消え去ってしまっている。オンボロの祠はどこへやらだ。墜落してきたものと混ざり、木の|瓦礫《がれき》と化している。
≪まあいいじゃないか。『ストライカー』だったろう?≫
「ほんと、|ひどい目《・・・・》に遭ったんだからな」
相手は笑っている。
≪悪かったって。まあ当分の間はやめとくよ、『とびきりのサプライズ』ってやつは≫
一生辞めてくれと言った。
その後、ぼくは昨夜――というとあれだけど、夜明け前から見れば『夜』といえるだろう――に約束した通り、彼を質問攻めすることにした。思わせぶりな感じで付けていってくれたあれ――風のいたずらについて聞くと、
≪元は、単なる『おまじない』だったんだ≫
といって、昔話を始めた。それを途中で切って、今に至る。
「つまり君はこう言いたいわけだな。ぼくが経験した出来事は、たまたま起きたと」
≪うん≫
「因果は関係なく、たまたま巻き込まれただけだと。人がたくさん死んだのも、特に意味はない」
彼は当然とばかりに言った。
≪そうなるね。まったくもう、巻き込まれてイヤになっただろう?≫
「それで」
先を促すぼくの心境は、何とも言えない複雑さを抱えていた。
「それで、ぼくが納得できるとでも?」
≪できれば≫
時間をかけて彼はいった。≪……できれば、それが一番丸く収まるね≫
「納得できないよ」
食い下がった。「どうしてぼくは燃やされそうになるんだ。あいつはこう言ってた、燃やしたくはない、身代わり人形を立てるからって。でも、そうじゃない。どうしてなんだ。いや、その前だってそう。どうしてぼくは連れてかれたんだ。この場所から、あいつらの都合でこの場所から離れて、で、燃やすって。そして……」
≪「にんげん」だったからだよ≫
「人間、だから?」
≪そう、それがにんげんの本質だから≫
彼はひっそりと呟いた。
≪俺、言ったよね。「そんな神は|いない《・・・》」って。俺に言わせればね、そこから動いてないんだよ≫
「……何が?」
≪ストーリーが、だよ≫
彼の口ぶりに賛同し、霧がざわめきだした。やや高低差のある、山のなかで忘れられ、やわらかな滝の音のように。辺りに見えない水しぶきを散らしていく。彼の語り口はそれだった。
≪……人間は他の生物より脳が発達している。だから考えることができる。本能的にではなく、ちゃんと先を見据えて努力の方向性を取捨選択しながら今を目撃することができる。けれど、そのデメリットとして「考えすぎる」というのがあるのさ。ストーリーは常に動き続けていると思っているだろう。一日過ごせば一日分だけ動き、一分単位で物語は進む。でも、それは時間的概念によるものであってそうじゃないんだよ。
ふと、物語は止まることがあるのさ。今まで止まっていて、あの日、君がいた祠に火を放ったときに再び動き出した。あれが突飛な出来事だと考えてしまうのは、止まった時に考えすぎているから。人間の頃にいくらでも経験したはずさ。寝て起きて寝て起きて……驚きながら、困惑しながら起きるなんてことそうそうないだろ? そんなことが起きるのは、夢のなかであれこれ考えてたときだけさ≫
水流のように止まることなく続く。
≪というより、どうして彼らは壮大な物語を作ろうとするんだろうね。壮大で精工で、肌ざわりの良い。まるでいつでも着たくなる普段着のように身近なストーリーを……。
あれはね、自分たちのために嘘をつくんだ。言い方を変えれば、信じたいから。自分に都合の良いものを、自己洗脳を施したいから壮大な嘘をつくんだ。
架空のこととはいえ、骨組みで収まらずにリアリスティックな設定をつくり、人物像を形取り、肉付けしていく。そして、思考の海にぽいっと、浮かべてみるんだ。精巧なものほど沈没せずに浮かぶだろう。進水式は済んだ、じゃあこれは、この船は、存在するんだ――と思いたくなるんだよ。嘘に嘘をどれだけ積もうが、嘘は嘘だというのに≫
「……所詮絵にかいた餅だと言いたいのか?」
≪折れないねー、君。じゃあ、こうしよう。君は夢を見たんだ≫
夢?、とぼくは返した。彼が言った。特殊な夢を見たのだ、と。
≪実は夢には二つ種類があってね。いつも見る普通の夢とは違う、特殊な夢がある。明晰夢って言葉、ご存じ? 脳が作る幻覚に惑わされたか、はたまた惑わされ『過ぎた』のか……。
拉致られたとはいえ、君も人間社会に行ったからか、結構毒されて帰ってきたみたいだね。そんなのないって事前に言ったにもかかわらず。
人間社会っていうのも、根底には嘘でできているようなものだろう? 彼らは嘘をつくのがうまくなり過ぎたんだ。同族にウソをついて成り立っているみたいな感じだよ? それで金を稼いで、元々ないはずの生きる意味とやらを見出そうと頑張っている。
その中で君は特殊な夢を見た。人間が作り、人間が見るために生まれ、さまよう。ふらふらと、ここのように、霧に囲まれた道をさまよっている。すると大きな大樹にぶつかった。樹にぶつかって、クラっと頭から意識が飛ばされて、思い、|炎に焼かれて《痛みで》我に返った。一瞬の出来事だったはずなのに、夢を見たばかりに長く感じてしまった……それだけの話さ≫
「考えたんだぞ」
勝手に口が回っているのが分かった。
「ぼくは考えたんだ。もしかして、ぼくの過去が、〝前世〟が関係があるんじゃないかって。それで、みんなが苦しめられて、それでって。……ちょっとだけ、そう考えたりもした」
彼からは何も返答はない。それがほんのりと、日光で温められた露のようにやさしかった。
「――まあ、君がそうだと言うんなら、ぼくはそう飲み込むことにするよ」
≪ああ、そうするのがいいね。過ぎちゃったものはもう戻れないから≫
ぼくは鳥居から飛び降り、台の上に着地する。後ろの残骸に近づき、破片を持って引きずり、台の上から降ろしていく。
≪手伝ってやろうか、一瞬だぜ≫
「いいよ。自分でやる」
ぼくは一つ目を台の上から落とし、続けざまにもう一つを引っ張った。少し大きめだったようで、驚いた声を出し、ペタンと地面に尻もちをついた。瓦礫が崩れる音がして、山のすそ野が薄く、長く、広がった。
≪ゆっくりでいいんだよ≫
それらの行為に向かって、静かな声が聞こえた。
≪たっぷりと時間はある。それこそ夢のなかにいるように≫
「……ああ。そうだな」
ぼくは心の中で反芻してから、「だって|ぼくら《・・・》は、人間じゃないもんな」