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息の仕方と愛し方
ギリガールズラブ
2026/03/13 息の仕方と愛し方
ユイカちゃんは何もできないんだと知ったのは、小学4年生の春だった。ユイカちゃんは私のクラスに転校してきた。転校初日、ユイカちゃんの周りには当たり前のように人だかりができていて、人と人の隙間からのぞくユイカちゃんの表情は、とても嬉しそうだった。
給食の後の掃除の時間で、ユイカちゃんは転んだ。持っていたバケツから雑巾を何度もしぼった汚い水があふれてきた。近くにいた子にそれがかかったりもした。ユイカちゃんは一瞬の放心の後、泣いた。床ですれた自身の膝を撫でながらわめいた。「うげー、最悪!」水を浴びた子が声をあげた。他の子達がユイカちゃんの方に駆けていった。「大丈夫?」と近づいてくるその子達を、ユイカちゃんはたたいた。
やってきた先生によって、ユイカちゃんと水を浴びた子は保健室に連れていかれた。
あたしはそんなユイカちゃんに、運命を感じた。
ユイカちゃんはそれから孤立した。誰も、あたしも、ユイカちゃんには話しかけなかった。
小学4年生の夏、長期休み明け、ユイカちゃんは学校に来なくなった。
小学4年生の冬、教室からユイカちゃんの席がなくなった。転校したと伝えられた。
中学生になった。あたしの通う中学校に同じ小学校だった子たちはほとんどいなかった。地区が微妙に外れていたのだ。つまらないような、あるいは未知のような正反対の気持ちで、制服に身を包んだ。
中学1年生、入学式の日、あたしは2度目の運命を感じた。同じクラスの列に、ユイカちゃんがいた。
背は低く、猫背気味で、まとまりのない長い髪を垂らしていた。小学4年生のユイカちゃんとはだいぶ違っていたけれど、あたしにはわかった。だってあんな瞳の子はユイカちゃん以外いない。どこまでも暗い瞳。
「じゃあ自己紹介をしましょうか。」入学式の翌日、教室で担任がほがらかに言った。出席番号1番の子から順番に自己紹介をしていく。数分でユイカちゃんの順番が来る。不器用に立ち上がって、ユイカちゃんは小さな口を開いた。たぶん、何か言っていた。席が遠いあたしには、何一つ聞こえなかったけれど。
中学に入学して数日が経った。クラスではだんだんグループが形成されていった。同じ小学校だった子達もいるのかもしれない。そんななかで、ユイカちゃんは1人ぼっちだった。1週間経っても10日経っても、彼女がクラスメイトと雑談しているところを見ることはなかった。
だからあたしはユイカちゃんに話しかけた。「ねえ、ユイカちゃんっ。」はずむように名前を呼ぶと彼女は視線を机からあたしの方に動かした。
「ユイカちゃん、友達になりましょ。」
その暗くて黒い瞳が、震えるように揺れた。数秒して彼女は弱い声が出した。「うん。」
ユイカちゃんは勉強も運動もビリだった。最初の中間テストで、数学で0点を叩き出したユイカちゃんに、あたしは勉強を教えてあげた。すると期末テストでは5点をとった。それでもビリだった。
あたしの96点の答案用紙をうらやましげに見つめるユイカちゃんが好きだった。
ユイカちゃんの友達は正真正銘あたしだけだった。「ユイちゃん、友達ってはじめて。」…ユイカちゃんがそう言ったのだ。
中学1年生の夏、長期休み明け、ユイカちゃんはいじめられるようになった。休みの間になにかしたのかな、と彼女の落書きされた机を眺めながら思った。ユイカちゃんの机なんて元々落書きだらけだったけど、それが自分がやったものか他者によるものかでこんなに変わることを知った。
ユイカちゃんは油性ペンで書かれたそれを消しゴムで必死にこすっていた。絶対消えないのにそれがわからない、そんなユイカちゃんを愛おしく感じる。あたしが濡れ雑巾を差し出すと、ユイカちゃんは首を傾げた。
ユイカちゃんはよく爪を噛んでいた。やめた方がいいんじゃないと言っても噛んだ。彼女の爪はお世辞にも綺麗とは言い難いものになっていった。
ユイカちゃんはテストで時々、10点台をとった。彼女はそういう時、必ず自身の答案をドヤ顔で見せつけてきて、次にあたしの80点台と見比べて、口にぎゅっと力を入れた。
中学2年生の春、あたしとユイカちゃんは別のクラスになった。
ユイカちゃんは案の定、あたしのいないクラスには全く馴染めていないようで、休み時間になるとあたしのクラスの前で爪を噛みながら立っていた。あたしが出てくると、ユイカちゃんの眉は安堵のために歪んだ。
あたしがいなければユイカちゃんは息の仕方もわからないから、あたしはたぶんこれからも、ユイカちゃんに教えてあげる。
そうするとユイカちゃんは、正しく生きることができる。
主人公、成績下がってる。微妙に。