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白と黒のグリンプス 2
芥川への、この恋に気付いたのはいつからだろう。
僕……中島敦は思った。
戦いの中でふと見た横顔を、綺麗だと思ったあの時には然うだったのかも知れない。
でも、彼奴の目に映るのはいつだって僕じゃない。
僕の先にある、太宰さんからの称賛と愛情だ。
彼奴がどんなに凍えていても、その手を温めてあげられるのは僕じゃない──
其処まで考えて、僕はふるふると頭を振った。
いけない。またぐるぐると考えてしまうところだった。
「敦」
凛とした声が耳に触れて、顔を上げる。
目の前には心配の色を含んだ鏡花ちゃんがいた。
僕はいつの間にか寮に帰ってきていたらしい。
「なあに? 鏡花ちゃん」
「……御飯、どうする? 夜だしお茶漬けが良いと思ったけど──」
「……ごめん、食欲が無くて」
僕はもう一度、謝罪を口にしながら押し入れの中の布団に入った。
お腹が空いていないのは事実だった。
如何しても食べる気がしない。
こんな時はさっさと寝てしまうのが良いものだ。
けれど、中々眠ることもできず。
襖を閉める前に不安げな顔を浮かばせた鏡花ちゃんに申し訳なさが募った。
---
私、鏡花はある悩みを抱えていた。
(最近、敦の元気がない)
自分を救ってくれた彼には、兄のような思いを感じている。
そんな彼がこうも元気がない。ましてや『夢浮橋』の直ぐ後ともなると……
そんな不安を感じ取ったのか、夜叉白雪が近くに寄ってきた。
刀を持たない袖でそっと背中を摩ってくれる。
白雪は独断行動もするから、こんなことがある。
「ありがとう。大丈夫」
そう言うと、背中の感触はゆっくりと離れていった。
けれど、この元気の無さが、異能の副作用のようなものであったら如何しようか。
「夜叉白雪、如何したら良い」
異能は自分の心理しか映し出さないとは分かっていても、こんな風に訊いてしまう。
夜叉白雪は、私の心理を映し出したようだった。
すっと差し出されたのは私の携帯。
其の画面には、或る人物の名前が映し出されていた。
「あにさま?」
あにさま──詰まりは中原中也のことだ。私の兄弟子のような存在でもあり、紅葉から其のように呼ぶよう言われた。
そして、私の異能に対する昔の価値観を否定せず、そして言葉を掛けてくれた、優しい人だ──あの時は其れを優しさとは捉えられなかったけれど。
そして、敦と同じ『夢浮橋事件』の被害者でもある。現在は探偵社の先輩の恋人でもある。
そんな彼の人なら。
「でも、連絡して迷惑にならない?」
少ししか接してはいないが、彼の人なら、こういう迷惑を迷惑とは思わない質の人物だろう。
けれど無理をかけるのは。
先ずは紅葉に連絡するべきだろうか。
抑も今は夜。彼方は仕事の時間だろうし──
其処まで考えて、私ははっと思い当たった。
あにさまの恋人である彼……太宰治に連絡すれば良いではないか。
彼の人なら敦を拾った人物でもあるし、師でもある。敦の状態は気にかかることだろう。
私は夜叉白雪と頷き合うと、携帯から連絡を入れた。
──この人の場合に時間を鑑みないのは、其れ相応の迷惑を、彼から受けているからである。
---
「其れで──」
「俺、というか、俺たちか?」
翌日の夕方、首を傾げる目の前の二人に、こくりと鏡花は頷いた。
「そう」
此処はあにさまの所持するセーフハウスの一つ。流石に申し訳なかったが押し切られてしまった。
そしてちゃっかりいる太宰。度が過ぎるようないちゃつきをちらとでも見せたら紅葉に告げ口しよう、と心に決める。
「けど俺は人虎──否、中島とは何の接点も何もないぜ?」
「でも『夢浮橋事件』の被害者同士であることは事実。何か分かるかもしれないと思って」
「なるほどねェ」
あにさまはふむ、と頷いた。あまり詮索するもんじゃないが──と前置きして話し出す。
「先ずは、其の悩みが『夢浮橋』での悩みが再燃し、発展したものなのか、似て非なるものなのか、其れとも全く関係のないものなのか──だな」
其の言葉に私は少し考える。いつ頃から悩んでいる様子が顕著になっただろう。矢張り昨日の状態が一番表に出ている気がする。
「昨日が一番悩んでいる様子が出ていたから、昨日何かがあったのかも」
「昨日?」
其の言葉に反応したのは、其れ迄黙って訊いていた太宰だった。
如何したのだろう、と私とあにさまは彼の方を見る。
然うすると、彼は少し思案するような表情を見せた後に言った。
「其の悩みには、私たちが口を出すのは野暮というものかもしれないね」
「何故?」
「然ういうものだからさ」
ぱちん、と片目を瞑ってみせる太宰。そんな気障な仕草をされても、意味がわからない。
……まあ、人の悩みにずかずか踏み分けて入るのは嫌厭されることだろう。
敦が言い出さないのなら、此方も口出すべきでは無い。
私だって、訊いてほしく無いことを詮索されるほど嫌なものは無い。
「確かに。あにさま、ごめん。押しかけて」
私はそう言って立ち去ろうとした。
けれどあにさまに止められる。
「気を使う必要はないぜ、鏡花。もう遅いし、夕飯食べて行くか?」
こてん、と首を傾げつつ、柔らかく微笑むあにさま。
夕飯。
其の言葉に私はぴくりと反応する。
あにさまは料理が上手だ。私は紅葉から料理を教わったので、彼も彼女から教わったのだろう。
けれど。
物凄く癪だが、恋人との時間を邪魔するのは。
そう思い、其の恋人の方を見ると、案外厭がるような素振りもない。
若しこれで厭がるような素振りを見せたら紅葉に報告するつもりだったので、命拾いしたと云う処だろう。
「じゃあ……遠慮なく」
「そうか!」
私がおずおずと云うと、嬉しそうな声を出し、あにさまは台所の方へ向かった。
其の後に続くようにして太宰も其方へ向かっていった。
ふと、自分が今はにかんでいるような気がして気恥ずかしくなる。
声が弾んではいなかっただろうか。
端ない姿を見られていないか、気になってしまう。
そんな彼女を、二人が優しい目で見ていたのには、気がついていないようだった。
---
鏡花が中也達に相談してから、数日後。
「これが、依頼……ですか?」
「そうだ」
そんなことは露ほども知らない敦は、依頼書を前に首を傾げていた。
書かれていたのは、妙に聞き覚えのあるもの。
(人を変える手鏡……?)
それは、数日前にナオミさんから聞いた怪談に良く似た話だった。
確か──。
『手鏡は指が触れた瞬間、煙のように跡形もなく消えてしまいました。
残ったのは、触れた感触だけ』
『命拾いしたね。
もし、鏡に写っている自分を見ていたら如何なってたかわからないよ──と』
ナオミさんの語った話を、朧げながらに思い出す。
消える手鏡と、映ることによるナニカ──そんな話だった気がする。
「最近、謎の手鏡が発見されるようになってな。触れようとすれば消えてしまう手鏡だが、ごく稀に触れることのできたものは、自分の姿を見た後に何かに怯えるようになってしまったらしい。誰かの悪戯や異能であることも視野に入れての調査が必要だと云うことで、警察から依頼が来たのだ。また──」
国木田さんが話すのを聞きながら、依頼書にざっと目を通した。
矢張り、あの夜聞いた話にそっくりだった。と云うか、そのままに近い。
ぺらりと頁を捲ると、ヨコハマの地図が何枚かに分かれて書かれていた。赤い印が数カ所についている。
「赤い印の部分は手鏡が発見された場所だ。被害者の家は、青い印だが、話を聞ける状態ではないことを覚えておけ。変に心的外傷を刺激しては困るからな」
「……はい」
僕は資料を手に自分の机へと戻った。
(如何しようかなぁ)
被害者の方々に話を聞けないとなると、捜査は行い辛くなってしまう。
赤い印の所を回って、共通点を探してみた方が良いだろうか。
異能である事を視野に入れると、裏社会に根ざす者の可能性もあるわけで。
(裏社会……)
ふと、自分の相棒を思い出す。数日前の共闘以来、会っていなかった。
鳩尾の辺りがきゅっと重く締まるような心地がする。
会いたい、なんて思ってはいけないのに。
この調子だとまた鏡花ちゃんに迷惑をかけてしまうだろうか。
僕はふるふると頭を振って、後ろ向きな状態に喝を入れる。
仕事だ。仕事をしなくては。
そう思い乍らもう一度資料を眺める。
裏社会の可能性なども考慮すると、矢張り。
(現地に行くべきかな)
現地で周囲の雰囲気を見る事で、わかることも幾らかは有るだろう。
僕は大体の検討をつけると、探偵社を発った。
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其の前日の晩。
「失礼致します、首領。芥川です」
「嗚呼、入って良いよ」
自分──芥川は許しを得ると、音もなく部屋に入った。
荘厳なデザインの部屋の中、ポート・マフィア首領、森鴎外が立っている。
エリス様は機嫌が良いのか、一人で絵を描いていた。
窓を眺めていたのであろう首領は自分が入ってきたのを確認すると、机の前へと向かった。
「芥川くん、早速で悪いのだが、新たな任務だよ」
そう云うと、任務の概要が記された文書を手渡される。
何かの調査のようだ。地図が何枚かと、幾人かの情報が書かれている。
「手鏡の話は聞いたことがあるかい?」
「薄らとは」
この前、銀が楽しそうに話してくれた。何処で知ったのかはよく知らないが、話振りからエリス様も知っているようだった。
「最近触れると消える手鏡の噂が多くてね。ごく稀にそれに触れることが出来た者もいるのだが、其の多くが錯乱状態に近い状態になってしまっている。君には其の調査を頼みたい」
詰まり、下手人がいるのであれば其の者を探し出し、異能力者であれば連れて来なさい、と云う意味だろう。殲滅に比べると、ある意味難易度が高いとも言える。
「暫くは此れが最優先任務だ。書庫の資料を使っても構わない──実は、これは異能特務課からの秘密裏な依頼でね。此方としても恩を売りたい。君に頼んだのは其の為だ。期待しているよ」
然う締めくくると、首領は柔らかく微笑んだ。
「承知致しました」
自分は返答を返し、下がることにする。
引き留める声がない為、下がっても良いと云うことなのだろうか。
そう思い、ちらりと首領の方をみる。
丁度エリス様が絵を描きあげたようで、首領は既に此方に意識を向けていなかった。
「……失礼致しました」
自分はそう云って首領室を後にした。
---
(近頃、人虎の反応が鈍い)
書庫に資料が無いか確認しながら、そんな事を思った。
戦闘の腕が鈍ったと言うわけでは無い。
だが、ふとした瞬間の反応が鈍いのだ。
例えば、用があって呼んだときや、共同任務の帰り。
隣を見たときに、彼奴が此処に居ないような空気を感じる。
朝焼け色の瞳にある光が曇り、下瞼に影を落とす。
其れを見ていると、何故だか許せない様な、見ていたく無い様な、そんな焦燥感を感じるのだ。
如何にか光が灯って欲しいと思うも、其れを灯す術を自分は知らない。
然う思うことすら、これまで無かったのだから──
「……」
自分の不可解さと愚かさに嘆息しながら、資料を漁る。
パサリ。
「、 」
袖が当たったのか、其れとも羅生門が乱れたのか、積まれていた資料のうちの一つが床に落ちた。
羅生門を操り、其れを手元に持ってくる。
其れは、随分と昔のマフィアの構成員の書類だった。既に殉職している。
殉じたのは、自分が太宰さんの元へ行くよりも2年ほど前。
幻覚を見せる異能力者で、生前は準幹部だった様だ。
(斯様な人物が居たのか……)
惜しいものだろう。この人物が居れば、マフィアの力はより強大で有っただろうに。
(されど、今以上に強大な力を持っていれば、人虎になど会うことは無かったやもしれぬのだな……)
そんなことが思い浮かんだことに自分で疑問を感じる。
自分は溜息をつくと、再び資料探しを始めた。
・
お久しぶりです! 眠り姫です!
ちょっとずつ軌道に乗って来ました!
グリンプス以外に他のお話も書いておりまして、まだ速度は遅いとは思いますが、気長にお待ちください。
青春めいた雰囲気は苦手でして。太中の拗れたのは書きやすいんですけどね。なんででしょうね……
あと、最近私の文章って一文がかなり長いことに気がつきました。
並列と形容だらけで書いちゃう笑。
私は過装飾な文体が結構好きなんですよね。太宰とか谷崎とか。だからでしょう。多分。
では、此処まで呼んでくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!