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イチゴのショートケーキ
※この作品は5,500文字あります。
※この作品はR15です。注意してください(特に終盤)。
※この小説には以下の作品に出てきた登場人物が出てきます。続編要素はありませんので、この作品を読み終わった後にお読みいただけますと幸いです。
短編集内
「かぼちゃの馬車」および「一枚の写真」
「で、彼女とやった?」
開口一番がそれかよ、と西村渉はげんなり顔をした。
十二月に入ると大人たちはお酒におぼれる口実を探したくなるものだ。
最近は円安で物価が上がってきたし、さらに来春から増税だ何だと言って、ここで飲まなければ来年は心身ともにはちきれるぞ!――と言いたげに労働者たちは居酒屋チェーンに逃げ込んでいる。
渉たちもそれとほとんど同じ種族だった。
今夜は12月1×日の日曜日。二か月前、大学の研究室のグループチャットで「同窓会でもやろうぜ」と言葉の口火を切ってきた。
場所は東京都内。渉は大阪勤務だが、年一の同窓会のためならと、自腹を切って新幹線を使った。
会場は結婚式場のような大広間で、オードブルの盛り合わせ。適当につまんでいると、幹事が寄ってきた。
「おっ! 渉君じゃないかぁ~」
と、幹事はすでに出来上がっている様子だった。
そして近づいていって、がやがやと騒がしい歓談に紛れて、ひと言目がそれである。
「そんな顔しないでくれよー。なー」
幹事である清水和也がなれなれしく言ってくる。何が、なー、なんだよ。
「したくなくともそうなるわ」
「いやー、噂はかねがね知っておりますとも。大学から音沙汰なしだった渉君がついに女をゲットしたと。その相手がまさかのまさかの――」
「あー! うるせ! 近寄るな、汚らわしい!」
おっとっと、と和也は少しだけ離れた。
「そんなこと言うなって」
「そもそもなんで知ってる」
渉は幹事の和也に尋ねた。和也はさも当然に答える。
「グルチャでは、三か月目に突入したと聞いておりますが」
「おい、俺は言ってねぇぞ」
「渉君経由で手に入れた情報ではないからね」
「ああ? なら誰経由だ?」
「そりゃ本人に確認をとりましたけども」
どういうことだ、という顔を渉がして、和也は、「ほらあれだよ」と、ある方向に親指を向ける。
ちょっとした人だかりができている。
「なんだあれ」
「いやー、今回はね。対面では難しいという人たちに向けて、ビデオ通話OKにしたのさ」
「……つまり?」
「そう、つまり」
ずいっと顔を寄せてきて、「渉君が来る前に、本人に――|吉本 真美《彼女》さんにも確認をとりましたよー」
あのヤロウ。
グルチャで俺の参加表明のあと、真っ先に「今回はパス」って言ってたのに……!
「今日は一人で来たということで、根掘り葉掘り聞かせて|戴《いただ》きますからね」
和也は拳に汗握る渉に向けて言ってきた。
「そんなに答えたくないなら、こうしてもいいよ。質問に答えるごとに、参加費マイナスってことで」
「いくら?」
「うーん、マイナス百円?」
今回の参加費は五千円プラス税だ。五十は軽く越えるぞ。どんだけ質問するつもりなんだ。
渉は白状するつもりで返した。
「三か月はいったよ」
---
「なんでついてくるんだよ」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれってー」
あのあと参加費がゼロ円になるまで根掘り葉掘り聞かれた。
和也は幹事だというのに、渉の単独取材に付きっきりになっていたからか、会場の貸切時間間近になって幹事の挨拶をしなければならないとようやく重い腰を上げてくれた。
ちょっとした壇上にあがっていく彼を尻目に、渉は会場をぬけだして、東京駅の赤レンガ構内を突き進む。和也はダッシュで追ってきたようだ。
「もうゼロ円だから、いいだろ」
「ま、それについてはいいよ。俺の出世払いということで払っといてあげた」
「じゃあ――」
「それとこれとは話は別。『で、やったの?』」
懲りないな、コイツは。
「何が」
「いやいや、中学生の性教育じゃないんだから。『やった』といったら一つしかないじゃないっすかー」
「うっせーな。ノーコメントだって言ってんだろ」
自由通路を抜け、新幹線専用の改札口にSuicaをかざした。こうしてやれば和也は来れないだろう、と思っていた矢先に、
「おやおや、三か月目だというのに、まだやってないだなんて」
「おまえ……」
和也はの手には定期入れを揺らしている。
和也は関東圏在住者だ。本来新幹線を使う必要などない。なのに、改札口のなかにまでやってきていた。
渉は大阪在住者なので使わなければいけないのだが、そうまでして聞きたいのか? 疑問に思ってしまう。
「150円分の価値があると思って。分かります? この150円」
「入場料だろ。そこら辺の自販機に使った方が良かったと思うけどな」
「そうやってはぐらかすということは、まだ『やってない』ということでいいんでしょうか。そうですかそうですか、とっといてるというわけですか」
「とっといてる?」
「おやおや、今年のカレンダーを見てないのかな? 今年のクリスマスは特別だよ。
きれいに土日に割り振ってあって、こりゃ神様が言ってるね、『今年は盛大にやりなさい』と。まさに聖夜のクリスマス。吉本さんに嫌われてなければ、それがチャンスだろうと――」
聞こえてないふりをして、エスカレーターを駆け上がった。
そろそろ座席をとった新幹線が発車する頃合いだ。それさえ乗れれば……
しかし、底冷えのする、不穏な空気がホームに漂っていた。
二階のホーム。15番線に停車しているはずの「のぞみ」の姿がなかった。
「おやおや」
鈍行列車のように、エスカレーターに乗ったまま来た和也にポンと肩を叩かれ、ねぎらいの言葉をいわれた。
「彼女だけでなく電車にまで嫌われたようで」
「黙れ」
---
「意外と遅かったね」
大阪に戻ってきて、玄関扉の前でインターホンを押そうとして、不意を突くドアが開けられる。
渉は少し勢いに押され、びくびくしながら中に入る。外の冷たさをとても労わってくれる部屋。コートを脱ぐとすぐさま伝わってくる温かみ。お風呂は準備万端なようだ。
「さっそく絡まれたでしょ、〝天敵〟に」
風呂に入った後、服を着ている最中こんなことを言われた。
「〝天敵〟?」
「そう〝天敵〟。だって渉、疲れた顔してるもの」
「え、天敵って……ああ」
合点がいった。『彼』のことだな、と。
「絡まれたけど」
「ご愁傷様です」
渉の彼女――吉本真美がいった。
「昨年の被害者、私だったから」
「ああ、だからか」
「そ」
だから同窓会に行かなかったのだ、と納得がいった。
西村渉と吉本真美、そして〝天敵〟である清水和也。
この三人は同じ大学、同じ研究室出身の同級生だ。かつては同じ研究室……もとい、名ばかりの飲み研だったが、男女を混ぜ合わせたグループで、毎日飲み歩いてばかりだった。
宅飲みなんてしない、すべて店で飲み明かすのがルールみたいなもので、毎日大学であれほど話しているのに、店に行ってまで話すことなんてあるのか? ――と研究室生にも愛想をつかれていたほどだった。
大学生の時点ですでに和也の方は勝ち組の匂いがしていた。地元に彼女がおり、彼の、のろけ話を二人が聞くというのが鉄板だった。
それから数年が経つとのろけ話を話す人は逆転し――もちろん和也の方はまだ彼女と続いているが――、同窓会のたびに和也はなんだなんだと近況を聞くついでにのろけ話を強要しては、要らぬアドバイスを押し付けてくる。
彼(もしくは彼女)とのなれそめはなんだ。
へー、ふーん。熱いじゃん。
それで、どこまでやったんだ。
なんだよそれ、まだやってないのかよ。
壁に行き詰まってるって感じじゃん。
じゃあ、俺の場合なんだけどさー……。
結局彼が毎年参加してくるのは、もしかしたら自分の話がしたいだけなのかもしれない。
去年は真美の、今年は渉の。
他人ののろけ話を聞きに来て、それにかこつけて自分の彼女を、という感覚で。
「みんな元気だった?」
今日、ずっと家にいた真美が聞いてくる。渉は眉をひそめる。
「白々しいな。画面通話で話に参加してきたくせに」
「そうだよ。でも画面越しだと伝わらないもんでしょ。だから聞いてるの、直に会ってきた|あなた《・・・》に」
「……元気だったんじゃない」
「ふーん」
時計を見ると十一時を指している。彼女は元気そうでも渉はそろそろ限界だった。東京と大阪を往復し、まるで日帰り旅行に行ってきたみたいなものだ。
一日分の疲れを背負ってリビングを去ろうとする。「寝るわ」
「ねぇ、ところでさ、聞かないの?」
寝室のノブに手をかけたとき、彼女のほうからが尋ねてきた。
「今年は行かずに、去年は行った理由」
ノブから手を離した。真美が話したそうな顔をしたから。
「それはね、浮かれてたからだよ」
「浮かれてた?」
「そう。あのときの和也みたいに、みんなに自慢したかったから」
真美は去年、渉とは別の男性と付き合っていた。
一時は結婚も視野に入れて、幸せの絶頂にいたと職場で口々に言っていた。
それが〝浮かれていた〟というひと言で片づけたということは、彼女にしてみれば過ぎたことだと認識しているのだろうか。
元カレと別れた理由はまだ聞いていない。別れてから三か月が経過しているから。
その期間が『たった』なのか、『もう』なのか。渉には判断できずにいる。
「そう、浮かれてたから。だから落ちたのよ」
――あれと同じく。
彼女の目線は外に向けられていた。
このアパートのすぐ近くにはひらかたパークという遊園地がある。
朝を過ぎて夕方までは本当に目覚まし時計が始終鳴っているのかと思うくらいに騒がしい。女の声やカップルの熱い視線、ジェットコースターの恐怖を理由に互いの身体を密着させて、アップダウンの人生の輝きを見せている。
だが、今は営業時間を過ぎ、とっぷりと日が暮れた夜の縄張りが広がっているだけだ。ローラーコースター。その名物看板も夜の海に沈んでいる。かすかに骨組みだけが、うっすら見えるだけ。
「俺たちはどうなんだろうな」
「……何の話?」
真美と暗い窓越しに会話する。リビングの光に反射してうっすら自分の顔が見える。
彼女の顔は……振り向かない。窓辺に寄っているので暗くて見えなかった。
「ジェットコースターでいうと、俺たちはどこにいるだろうね」
渉の予想では登り途中とは思えなかった。
けれども、ジェットコースターには乗車しているもんかと思っていた。
違った。
「バカね」
彼女は窓から離れ、冷蔵庫からビールをひと缶取り出した。プルタブを開ける、小気味の良い音を出しながら一気飲み。
「入園すらしてないと思うよ、私たちって」
部屋内でのポイ捨てがきれいに決まった。
---
年末に近づくにつれて日付が忘れるほどになっていくのは大人として当然のこと。
年末調整、決算日、納期など、年の瀬というのは慌しいものだ。
今日は金曜だっけ、土曜だっけ。土曜だな。土曜だわ。
全部土曜ならいいのに。なんで曜日を七種類に分けたんだ。
キーボードを素早く叩いて書類を作成している頭のなかは、逃避行動の極致。子供の発想に逆戻りしている。
定時になって人が少なくなっていく。今日はやけに人が帰っていく。カレンダーを見るに24日だった。
「クリスマスイブか」
それでも、自分は残らざるを得ない。家に帰っても何もする予定がない。
彼女と……ということもありうるんだけど、どうせ寝てるだろう。
彼女、職場に来てないし。牽制してきたし。「今日ぐらい」一人で家でまったりしたいとか言ってきたし。
八時、九時となって、九時半になってようやく仕事の一区切りがついた。
パソコンの電源を落とし、カバンを持ち上げる。
ウォークインクローゼットにかけた冬物のコートを雑にとって、最後にタイムカードをかざした。
こんな時間だから正面玄関は閉鎖されていることだろう。裏口から出ないと……などと考えて、エレベーターホールに向かうトイレの手前に差し掛かる時だった。
自分が社内最後の一人だと思われていたから、油断していた。
横から、壁を貫通するような白い手が現れた。えっと思って身体が硬直する。まさか幽霊?
深夜に出るとは聞いていたけれども、今はまだ……とか思っていたら、自分の身体を掴まれた。
「あっと……」
いや、|力強《ちからつよ》。
幽霊じゃないな、これ確実に人間だわ。なすがままにされよう。
「動かないで」
ほら、人間だわ。で……ん? 聞いたことある声だった。
「黙って」
女性の小さな声だった。間近に迫った勢いだった。
「おまえ……」
正体は瞬時に分かった。
連れ込まれた場所はいわゆる多目的トイレというところだ。このフロアに車いすの障がい者はいないので、本来人がいるところではない。だから自分を連れ込むには格好の場所だったのだろう。
どうやってこちらに来たのかも考えるに値しない。『彼女は渉の上司なのだから』
「余計なこと、考えてるでしょ」
彼女がいった。暗闇なだけに、声質やその仕草、それと身体の輪郭線がダイレクトに伝わってくる。
「だって、そりゃ――」
どうしてここにいるんだよ、と問いただしたい気持ちだった。
目の前の彼女は自分の家でまったりする予定だと……。それは詭弁だったと気づいた。
新手のサプライズを受けた気分だが、内心気が気じゃなかった。
連れ込んだ理由はもう分かる。だが、こんなこと、社内でやるべきことじゃない。こういうことは、ほら……
「ホテルでって思ってる?」
脳内にある考えを言いあてられた。無言電話の受話器のように、うなずく。暗闇なのだから、伝わるわけがないのに。
「もう無理よ、今からなんて」
「だったら家に帰ってからで」
「それこそもう無理」
「なん――」
何かで口を覆われた。
柔らかなクッションが当てられたかのように、息の詰まる水中で、浮上せずそのまま人工呼吸でもさせられたかのように。
かすかなリップ音。暗闇でうすぼんやりと灯る赤い上唇。ずいぶんと|潤《うる》んでいて、それが動く。
「これ以上言わせるつもり? だから来たの。もう待てないの」
彼女の手の勢いは止められなかった。ズボンや服の上から撫でられて渉の男の部分をさらけ出そうとしている。
なんでここなんだ。
どうして来たんだ。彼女はここで何をしようとしているのか。
その思いを捨てられるまま、逆行する不条理の行為が進んでいく。
「ね、いいでしょ?」
それによって渉の理性は、もはや持たなかった。
こうして夜の海の中で、一粒の真っ赤なイチゴが口の中に溺れた。
だって今年は特別だから。
快楽の頭のなかで理由をそらんじてみる。
12/25 日曜日の聖夜。
そのイチゴは、明け方まで浮上することはなさそうだった。
まだ未読のかたはこちらからどうぞ ↓
「かぼちゃの馬車」
https://tanpen.net/novel/f67ea33d-af33-4467-9548-71a82427fc20/
「一枚の写真」
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