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みつこ①
私の毛先から透明の水がポタポタと落ちている。水を吸い込んで重くなったセーラー服が、肌に張り付く感覚に嫌悪しながら、私は個室のドアを開けた。前髪のすきまから笑っている安城なずなを睨みつけた。
3階の職員用トイレには人が来ない。放課後なら特にそうだ。ここに連れて来られた時点でこういうことをされるのはわかっていたが、実際数人に個室まで追い詰められると、上からの水を避ける術はなかった。
安城は私と目があってきゃあこわーいと高い声を出した。3人の取り巻きも何か言っているがよくわからなかった。
「ねえ写真撮ってあげるよ。」
安城がスカートのポケットから、キーホルダーがじゃらじゃらついているスマホを取り出して私に向けた。それで私はバッと自身の体を見下ろした。白いセーラー服は濡れたせいで透けて、下着が見えていた。安城はこれを撮ってクラスラインか何かで拡散しようとしているのだ。
私はそう認識してからほとんど反射的にしゃがみ込んだ。腕を胸元にやって、安城に向かって精一杯の低い声を出した。「やめて。」だけれど地声が高い私の低い声なんて、いうほど低くも怖くもなくて、安城は余裕そうに愉快そうに写真を撮り出した。私は顔ができるだけ映らないように俯いて、それが終わるのを待つだけだった。
写真を撮るだけ撮って、安城たちは満足したようだった。じゃーねーと手を振ってトイレから出ていった。その足音が遠ざかってさらにしばらくしてから私はようやく立ち上がり、転がっているバケツを思い切り蹴った。トイレの壁にぶつかって、大きな鈍い音が響いた。
服と髪の水をできるだけ絞ってから、私は周囲に人がいないことを確認して、小走りで2階にある自分の教室に向かった。
誰もいない教室で自分の通学リュックを回収する。背負うと蒸れるしリュックまで濡れちゃうな、と思ったが、背負うしかない。
生徒があまり使わないようなルートで下駄箱に歩く。渡り廊下をさっさと渡ると、保健室があって、私は思わず足を止めた。「ひとりで悩まないで」というポスターが目に入ったからだった。こんなポスター、ついこの間まであっただろうか。たぶん、あったんだろう。私が気づかなかっただけで。相談窓口につながる番号が書かれているそれを、数秒ほどじっと眺めた。電話しよう、と思ったわけではない。相談する必要性もあまり感じない。ただ眺めるだけだった。
まあいいや、帰ろう、と足を動かしかけた時、保健室のドアが開いた。驚いてまた足が止まる。出てきた保健室の先生と目があって、私はあ、と固まった。先生の方も驚いたように声をもらした。
「濡れているじゃない。」
「あ、はい、ちょっと、はい。」良い言い訳が浮かばなくて私は視線を彷徨わせた。
「着替えなくちゃ。ほら入って!」
いえ大丈夫ですと答えかけて抑える。ここで断る方が不自然だろうか。でも先生にどうしたのなんて追求されたら嫌だな。いや、見つかった時点で同じだろうか。それならまだ言い訳をする時間を与えられた方が…。
先生に早くと急かされて、私はいそいそと中に入った。
タオルと制服を貸してもらって、カーテンで仕切れるベッドのところで着替えた。いつ濡れた原因についれ触れられるかとヒヤヒヤしていたが、結局最後まで何も訊かれなくて、さようならと挨拶をしながら私は拍子抜けをした。
濡れた制服の入った袋を手にぶら下げて、まだ完全には乾いていない髪の毛を束ねる。窓から差し込む光が、廊下を赤く染めている。そんな中を私は歩く。
それから私は、時々保健室に行った。
私がびしょ濡れでも、泥だらけでも、先生は何も言わなかった。そういうのちょっと先生として失格なんじゃないかとも思ったが、少なくとも私には居心地が良かった。
その日も保健室にいた。
その日のいじめが、いつもより酷かったとかそういうわけじゃない。むしろすぐに終わった方だと思う。私も別に、いつもと同じような調子で、気持ちが不安定だったわけではない。
貸してもらったセーラー服に着替えながら、私は言った。
「先生、私、いじめられてるんです。」
口に出して数秒、カーテン越しの先生は何も言わなかった。だから私は慌てて付け加えた。「けど、絶対誰にも言わないでください。」
カーテンを少し開けて様子を伺うと、先生はこちらに視線をやってからええと頷いた。先生の眉が八の字になっていた。嫌な予感がした。先生は続けた。
「次は気をつけてね。」
それで私は、告白なんてしなければ良かったと思った。