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結
今日は街をゆく沢山の音も、テレビに映るひな壇も、僕の部屋も、妙にごちゃごちゃしている。
まぁ当然だった。だって今日は大晦日だもの。
それで今は、大掃除。この概念だけはちょっと納得いかない。いかなかったとしてそれは僕が掃除嫌いなだけなんだが。
大晦日だの集大成だの大掃除だの、この日はとにかく「大」が好きだな、、。
大晦日は何かと騒がしい。何かが溢れている。ごちゃごちゃしていない物と言えば、日めくりのカレンダーくらいだ。これだけは黒い枠と紙ペラ一枚だけ。まさにすっきりシンプル、といった感じだった。
そういえば、、、しょうもない事かもしれないが、何年も過ごしてきた中で、一度も日めくりカレンダーの「最後のページ」だけは破り捨てたことがなかった。
日めくりカレンダーの最後のページ、要するに「12/31」は、新年が明けて枠と共に捨てられるときにどう思っていたのだろうか。
最初は狭いと思うほど、紙で一杯だった。ぐっっと手をつなぎ合って、繋ぎとめ合って、僕らずっと一緒だからな、とか言っていたのが。日を経るごとに自由になって、自由になって、それを見送ることだけを繰り返して。いつしか自分だけが、ここに残っていると気づいたとき。
どんな気持ちになるのだろうか。何を望むのだろうか。頭上に残った、かつて仲間だったものたちの残滓を見て、何を心に抱くのだろうか。
「どうしたの? 手が止まってるけど。夜までに片付けられるようにね」
不意に母の声が響いた。
気づけば自分の手には、一枚だけ紙の残った日めくりカレンダーが握られていた。
破って、、、あげた方が、いいのだろうか。
破ったとて仲間のもとに帰る事は叶わないし、破ってしまったら元には戻らない。でもこの一枚は自由を望んでいるかもしれない。今年はうるう年だから、三百六十、、、五日間も、前の3年より1日分余計に多くの仲間を、毎日少しずつ失ってきたわけだ。自分もここから離れたいと思っているのではないのだろうか。
そうだきっと。今年はこの紙を、「12/31」を、破り捨ててみよう。
ぐっと紙をつまんで、枠に手をかけて、力を入れた。
そこまでしか、できなかった。
紙を切り離す事が、できなかった。
思い返せば、1月1日の朝に飾ったカレンダーは、毎日僕の手で破られていた。
その向こうにある「新しい日」を見ることで、「今日の僕」をしっかりと自分の手で、自分の心で確認できた気がしていた。
それじゃあ今手の中にあるこの紙を、最後のページを破り捨てて。
その向こうにあるのは、僕の手のひらだけ。
言い方を変えると、、、その向こうには、何もない。
その一枚をめくってしまえば。
「新しい日」は、もうやってこない。
僕に「新しい今日」などない。
もう進んでいい道などない。
、、、別に是非とも進みたいわけではないのだけれど、ああいう普段うっすらと抱いている不安が、一気に形となって襲ってくるのではないか。そんなことがあり得てしまうのではないか。
こう感じて、掴んだ紙をぴくりとも動かせなかった。
埃越しの空は、早くも橙色に傾き始めていた。
結果から言うと、最後の一枚を破り捨てることはしなかった。いや、できなかった。この表現の方が良い、、、自分の弱さを誤魔化すのは違う気がするから。
もう少し細かく言うと、「流石に考えすぎだろ」という結論になった。日めくりカレンダーに自分を重ねて勝手に追い込まれるその時間で掃除を進めろ。つまりはそういう事だ。
こんなに大袈裟で我儘な感性をしているにも、しょっちゅうよく分からない部分をよく分からない方向に誇大解釈するにもかかわらず、大好きな漫画のネタバレサイトは余裕で見るわ映画に行ったら号泣する家族のなかで一人悠々と入場特典を確認し会話をシラけさせるわで、、、もう一体何なのか意味が分からない。
ダメだこれ。言い訳にしかなってない。手を動かせ、怠惰の権化。
、、、ただ今はもうちょっとだけ、軽くなったカレンダーを眺めていてもいいかなと思った。365枚の、荒いちぎり跡をなぞる。
過ごしてきた日々が、ざらりとした感触になって、一枚一枚の欠け具合の違いまで指先に伝わる。そうだ、僕の毎日はざらりとしていて、一応だけれど同じ一日はなかった。
これもまた、考えすぎなのかなぁ。
そうこうしているうちに太陽は愛想を尽かしていた。丁度テレビが騒がしくなる。
どうか僕のもとに、明るい明日が来ますように。
そのためにまぁ、少しだけでも「よいお年」を過ごせたらいいな。
柄にもなく、そう思い浮かんだ。
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