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|咲子《さきこ》は、かつて友達だった。
新入生にとって、最も仲良くなりやすいのは近くの席の生徒、もしくは同じ部活に入った生徒だと|香奈《かな》は考えている。咲子は後者だったわけだ。初めて彼女が自己紹介をしたとき、純朴そうな子だと感じたことを、香奈はよく覚えている。もちろん中身も、初めはそうだった。香奈が上擦った声で、しどろもどろになりながらも話しかけた時に、咲子は笑いかけてくれた。
「うん。香奈ちゃん、よろしくね。わたし、さっきも言った通り、猫が好きなんだ」
穏やかな友達が出来たことが、香奈にとっては嬉しくて仕方がなかった。
香奈は昔から、人付き合いが苦手だった。新年度が怖かった。四月三十日までには、必ず泣かされているのである。ある年はクラスメイトと些細なことで大喧嘩し、ある年は隣の席の生徒に物を盗まれ、ある年は酷い陰口を言われて担任に泣きついた。今年こそはと思っても、それは呪いのように香奈に付き纏ってくる。そのせいだろうか、香奈の泣き虫は治る兆しがなかった。
しかし、中学一年生の春は、何も起きなかった。地元の小学校のメンバーに嫌気が差したのもあって、香奈が私立の中学校に入学したからかもしれない。ともかく、こうして香奈は新しい友達たちを大事にしよう、と思っていたわけだ。
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ずれを初めて感じたのは、中学二年生の夏休み明け、香奈が登校した時のことである。今年は初めて咲子と同じクラスになれたので、と早速香奈が話しかけに行こうとした矢先である。
咲子の席は空席だった。その次の日も、さらに次の日も、一週間経っても、一月経っても、咲子は学校に来なかった。風邪でも引いたのかな、と考えていた香奈に、未知の考えがよぎる。香奈の周りの生徒で、学校に来られなくなった子どもがいなかったのもあって、香奈にとって縁遠い存在だった。しかし、ニュースで増える一方であることは知っていたし、必ずしも悪いことではない、ということも同時に話されていた。
それでも、香奈にとっては良くないことであった。例え咲子の身に何か、それこそいじめのようなことがあれば、香奈は絶対に咲子の味方になるだろうし、そうでなくても助けてやりたかった。咲子にとっての一番の友達でなくても、咲子と何度もファミレスに行き、遊園地の絶叫マシーンで大はしゃぎした身としては、かなり仲が良いと信じたかった。
だからなのだろうか。九月の席替えで、香奈の隣は咲子になった。その次の月も、咲子だった。問えば担任が答えを返してくれる。
「咲子さんにとって、このクラスで一番仲が良いのは、香奈さんでしょう」
香奈は、こそばゆい気持ちになった。それならば仕方がない。ペアワークがあろうと、話す相手がいなくて寂しかろうと、香奈は耐えられる気がした。
休みの日に部活仲間で集まって遊んだ時に、咲子は随分と元気そうで、決してその理由を話してくれはしなかったが、香奈は信じていた。
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中学三年生になって再び教室に戻ってきた咲子は、同じ部活の仲間であるこころと行動を共にするようになった。もちろん、咲子もこころも、香奈と話してはくれていた。しかしながら、もっと踏み入った話をする上では、お互いが適任であったのだろう。いつのまにか咲子に出来た好きなアイドルの話に、香奈はついていけなかった。厳格な母に見つかったら、何と言われるか分からなかった。
こころと咲子は、移動教室でも一緒だった。恋する乙女のような顔をして、咲子はこころと趣味の話をしていた。香奈にはどう頑張ったところで、彼女の飼い猫の話しかしてくれなかった。香奈はもう諦めていた。いまいち彼女の推しについて興味が湧かなかったのもある。
文化祭でも、体育の授業でも、咲子とこころは離れなかった。香奈は単独行動を強いられた。いや、強いられたと感じているのは香奈だけで、側からは香奈が咲子を避けているようにも見えるかもしれなかった。
そうして、修学旅行の季節になった。二人には「ホテルの部屋は一緒になろう」と言われていた。もしかしたら、より仲を深めようとしてくれているのかもしれない。そう思って、香奈はある提案をした。
「ねえ、自由行動とか、バスの席も近くにしない?」
そして、見事に裏切られたわけだ。
「え」
「え」
薄ら笑いを浮かべて、咲子とこころは呟いた。
「……ねえ、”どうしても”一緒じゃなきゃ、ダメ?」
頭を殴られたかのような衝撃だった。口が半開きになったまま動かなかった。
咲子は穏やかだった。女子力が高かった。愛嬌があった。思いやりがあった。話を聞くのが上手だった。何よりも、優しかった、はずだった。
今はただ、胡麻をすって媚を売るようなその上目遣いの微笑みが気持ち悪かった。憎かった。嘲っているように見えた。その膨れた頬を、香奈は引っ叩きたくなった。
香奈は思い出した。ホテルの班は必ず3人以上でなければならなかったこと。自由行動とバスはそうではないこと。咲子とこころが、休憩時間に話していたこと。
『うち、ちょっとしか話してない子と部屋一緒になるの嫌だなあ』
『え、咲子分かるー。あたしもムリムリ』
所詮香奈は、彼女たちにとって都合のいいだけの存在だったのだろうか。そんなことはない?考えすぎ?
いや、今の香奈の脳では、どう考えても、二人の「数合わせ」でしか……
「香奈ちゃん、大丈夫?」
委員長にそう話しかけられた時、香奈に女子たちの視線が集まったのがよく分かった。香奈はゆっくりと、見せつけるように告げた。
「うん、大丈夫。咲子ちゃんとこころちゃんは、二人だけで行きたいみたいだから……」
委員長は困ったような顔をして「そっか」とだけ言った。涙が出そうになったけれど、目を閉じることでなんとか堪えられた。バレていないと信じたかった。そうして、どこか遠くで、終業のチャイムが鳴った。
とうとう香奈は頼むことができなかった。ホテルの部屋を、二人と別にしてくれ、と。
「2人1組になってください」とか、「好きな友達とグループを作ってくれ」なんて、最低でしかない。香奈は、筆箱を乱暴にカバンに投げ入れながら、そんなことを思う。
「あんなやつ、次は二度と友達になるもんか」
中途半端なことを、中途半端な声の大きさで呟いた。嫌いとも好きとも友達でないとも絶交だとも、勇気のない香奈には言えない。これからも、きっとずっと、上辺だけで笑い合い続けるのだろう。