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退屈という名の箱庭
ひと雨ごとに寒さもゆるみ、梅の香りが爽やかに漂う春暖の候。
あまりにも平和で、野良猫も野生を忘れてばんざいの姿勢で日向寝をしているのではないかと疑いたくなるほどだ。
犯罪など皆無に等しく、もし起きたとしても行列の割り込み程度である。
浅井栗栖は、どこにも目の焦点があわなく、ぼーっと平和を堪能していた。すると、頭上から騒がしい声が聞こえてきた。
「またかクリ!いつになったらそのどこからでも襲ってください顔が治るんだ?」
誰かが失礼な事を言っているような気がするが、脳が寝ていて思考が働かない。いや確かアメリカの神経科学者の提唱したものによると、何もしていないからといって、脳は寝てる訳ではなく、エネルギーを使ってはいるが、思考をしていないだけ、だったような気がする。しかもそれが脳全体のエネルギーの大部分60〜80%を消費していたはずだ。
(……今の私は、エネルギーを使っていながら思考してないってこと?ずっと考えていれば、同じエネルギー量でも倍近く思考することができるのに……まぁ、いいっか)
そう結論付けて眠りに誘われようとしたときに、今度は頭上から電気ショックが流れてきたような痛みが走る。そこら辺に散らばった新聞紙を束にして叩かれたのだ。瞬きを数回していく内に脳が目覚め、翡翠の目をギンギラと輝かせるチンチラの輪郭が見える。
「いてて、酷いよふわ丸」
「クリがこの乱暴な設定にしたんだろ?嫌なら初期化しろよ」
「うっぐ。そうかもだけどぉ」
今のご時世には一人一台あるロボット、モノリス・ロジスティクスシリーズの栗栖が今使っているのは代三世代だ。Raspberry Pi ZeroやMEMSマイク、マイクロサーボにリチウムポリマー電池など、ほかにもたくさんの部品を組み合わせて作られている。栗栖はかなり旧式を使っているため近代のはより、無駄を削ぎ落としているはずだ。旧式となると、まだ最適化などはされておらず、いちいちまわりくどいことをしなければ初期化することができない。
「なにも言えないんだな!やっぱ俺様最強!」
「あのね、ふわ丸。これはお父さんが私が1才の誕生日にくれたんだよ」
「でも、だいたい12才ぐらいの時に買い換えるだろ」
一般的には小学校の節目として、新しい設定を施しロボットを買い換える。精神的にも肉体的にも変わる節目の時だからだ。
「なんで、買い換えなかったんだ?」
「あのね、私の両親は共に他界したんだよ。形見みたいなものなの」
「死んだんだから、なにも気にすることねぇよ」
(……ふわ丸と、人間の違い。簡単なこと)
近年のロボットはそこら辺のことも考慮してプログラムされているそうだ。
(でも、ふわ丸はこの考え方でよかったんだと思う)
結局ロボットは、プログラムされたものだ、そういう感情になるようにそのときの声色になるように設定されているだけだ。やろうと思えば、人間のようにプログラムすることもできるだろう。だが、それは本物ではない。だったら、人間や動物では、到底あり得ないほど失礼なふわ丸のほうが100倍は気が楽だ。
「なぁ、クリ、紅茶淹れてくれ!」
「ふわ丸は、紅茶を飲んでも意味ない機体でしょ」
「飲むことは出来るんだなぁ。これが」
「壊したくないから、淹れない」
(というか、チンチラが紅茶を飲むのはどうなの?)
チンチラなら牧草を食べれるようにした方がいいのではないだろうか。少なくともチンチラは、紅茶を飲まないだろう。ふわ丸が、チンチラの見た目をしているのは、小動物の中では長生きする部類だから、成長を一緒に見守れますようにという、意味を込められている。
(実際には、ロボットだから寿命なんて、関係ないけどね。それでも、人間のエゴなんだろうなぁ)
「じゃあ、クリ!飲める機体にアップグレードさせてくれよぉ」
「……もう、ふわ丸の機体はサポート期間がきれてるの。新しい部品はもうないんじゃないかな」
(……もしかしたら、食事を利用すれば、さらなる発展ができるのでは)
最近のロボットは、飲み物を飲むことはできるが、食事をすることはできない。だが、これをできるようにしたら、さらにはそれを見た目の動物に合わせた食べ物にしたら、そして、その食べ物をロボット専用の物として企業が売るようにすれば。
(……売れるんじゃないかな)
やはり、一緒に食事をしたい客層も存在する。それに今のご時世、ロボットは皆が買うもの。今あつい事業だと言える。
「なぁ、クリ!」
「……あ、どうしたの?」
「紅茶の茶葉は何を使ってるんだ?」
「あぁ、宇治の玉露。お父さんが、使ってた茶葉だよ」
「あぁ、あのクリ父がやらかしたやつか」
「なつかしいね」
もう、栗栖が3才の頃の話だ。残っている記憶などないに等しいがあの光景だけ覚えている。お父さんが、あまりにも美味しそうな匂いを漂わせた謎の飲み物を飲んでいたその様子をじっと栗栖が見つめていると、お父さんがママには内緒といって、私に飲ませてくれたのだ。まぁ、結果的に飲んではいけない年齢だったから、一時的にものずごっく体調が悪くなり、医者にもお母さんにも説教されていた。
(そんな、お父さんが私は好きだったんだと思う)
栗栖は、キッチンから振り返り、箱物家具の平丁番の取手に指をかける。取り出したのは、見た目は極めて無骨な茶筒とティーポット、カップ、そしてティースプーン。
茶筒を開けると、覆い香がふわりと空中に漂った。茶葉の一つ一つが細く針のように伸び、濃い緑の表面には艶がある。
沸騰させた熱湯をティーポットとカップに注ぎ、あらかじめ温めておく。温まったポットの湯を捨て、茶葉をティースプーン二杯分。そこへ、ボコボコと泡立つ熱湯を勢いよく注いだ。スプーンで一度だけ軽くかき混ぜて濃さを均一にし、茶こしを使ってカップへ最後の一滴まで注ぎきる。
伝わる温かさに、心がほだされる。
こういう時に、栗栖は生きていると実感する。
「ねぇ、ふわ丸」
「なんだ?」
「私とっても、平和ボケしてる気がする」
「そうだなぁ。前のままだったら、クリの顔も、もう少しましだったかもな」
栗栖の四歳の頃に起きた事件をきっかけに施行された無線通信制限政策のおかげだろう。
都心部で後世に語り継がれる渋谷AIジャック事件が起きた。
渋谷のスクランブル交差点にある全ての大型ビジョンと、その場にいた数万人のスマートフォンのスピーカーが突如同期し、架空の指導者が演説を始めたのだ。犯人は天才ハッカーや若手政治家などと囁かれたが、警察は十分な証拠を集めることができず「犯人はAIである」と発表した。
この国の警察は極めて優秀である。当時、警察が不確定な結論を出したところで人々はそれを真実はどうあれ犯人だと思うだろう。それは、今までの警察の信頼の積み重ねがあるからだ。
教科書には、正式な犯人とされ、数万人が同時に同じ偽りの熱狂に包まれた瞬間の映像が、デジタル時代の転換点として載っているだけ、証拠不充分、などの警察の評価を下げることは載っていない。だから、栗栖同世代の人には警察を信じている人がほとんどであるし、他の世代の人でもそうだ。
だが、栗栖は両親ともに警察が親戚の内におり、酒の飲み場で親戚がポロっと喋った内容を両親が教えてくれた。本来は混乱を防ぐため機密情報であるのだが、警察も完璧ではないのだ。
警察も人間。機密情報を守れないことだってある。所詮、警察なんてそんなものであるのだ。
栗栖は、物事を達観して見る節がある。それは、栗栖の家柄が関係している。
両親が事件をきっかけに浅井家を大成させた。非デジタルの娯楽・教育の独占をし、人々がネットを奪われた後の退屈を支配したのだ。
スマホに依存できない若者たちに向けて、生の演劇、音楽、などの対面でしか得られない高度な教育を高額で提供した。
この事業で、なりあがったが、両親ともに栗栖が七歳の頃に他界。今は一人で経営をなりたたせる凄腕の経営者である。そのため、実年齢の16才に似合わなく精神が成熟している。
その後事件を受け、政府は都市部での無線通信に厳しい制限を課すようになった。直接的な死者が出たわけではない。しかし人々は「自分たちの感情すらプログラムに操作されたものなのか」と自己不信に陥った。その結果、多くの人間が人間不信になり、他人への信頼という根本が腐ってしまったのだ。
この政策により、人々は再び紙の伝言や直接会うことの価値を再認識することとなった。さらに、犯罪の主流がインターネット上であったため、政策は物理的な犯罪の抑止力にも繋がった。
「犯罪は、もうないもんね」
「そうだな、もう連続殺人なんて起きないと思うぞ」
「そんなの、小説のなかだけだよ」
最近、ふわ丸はミステリにはまっている。ミステリの中でも、本格ミステリにふわ丸は、はまっている。なかでも、硝子の搭の殺人がお気に入りだとか。
「新しい新刊まだか」
「ふわ丸の部屋もう本だらけじゃん。片付けるまで、あげません」
(あのレベルの、本なんてそうそうでないんじゃないかな……)
「めんどくさい!」
「お世話ロボット失格発言だね」
平和になり、一見すると、いいこと尽くしである。だが、そんな日常に飽きている人間が不特定多数いることも、また事実だった。