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風を飛び越して
夏休みが始まってすぐのことだった。
あの時、久しぶりに両親が帰ってきた。
…手元に、見慣れない赤ん坊を添えて。
「ゲンシ。元気してたかい。」
お父さんの気力のない声。
「うん。まぁ。」
僕は渋々ながらも答えた。
「そうそう、これ、お前の弟だ。」
お父さんはそういうと、お母さんは赤ん坊を僕の近くにやってきた。
黒い大きな目玉が、不思議そうにこちらを見ている。
「挨拶ついでに寄ってきただけだ。それじゃあ。」
そういうと、お父さんとお母さんは出て行こうとした。
「…まってよ。それだけ?」
僕がそういうと、
「それだけってなんだ?せっかく会いにきたんじゃないか。それとも、弟の面倒を見てくれるのか?お前じゃ無理だろ。」
「いや、えと…うん、頑張ってきてね。」
僕がそういうと、お父さんとお母さんは出ていってしまった。
新しい家族を添えて。
だけど、お父さんは振り返ってこう言った。
「これもお前のためなんだから。」
それっきり、何かを言うことはなかった。
がちゃん。
閉められた鉄の扉は、音を立てなくなった。
玄関にある、2足ずつある二つだけの靴。
手が届かなくて埃を少しかぶった棚。
天井もやや黒くなっている。
財布の中には2万円。これが唯一の愛情だ。
…僕は、本当に子供なのだろうか。
だけど考えることも嫌になって、もう寝ることにした。
昔のことを思い出した。
風呂に入らないと駄々をこねた時、お母さんは入れってうるさかったっけ。
今はもう…ぼんやりになってしまったけど…。
時計はまだ5時。
僕は今、布団の中にいる。
暖かい日の光に包まれて、目を覚ました。
いつも通りのルーティンをして、僕はただじっと居座る。
休みとは言っても、何もない僕にはこうするしかない気がして…。
だけどなぜかいきなり、外へ行こうと思い立った。
鍵を持ち、ドアを開き、マンションの外へゆく。
いきなり立てられたマンションは、やや錆びていた。
階段を下り、道の方へ出る。
そこそこ多い人通り。嗅ぎたくない匂いも、うるさい車もたくさんあった。
タバコを吸ってるじいさんを横切り、あてもないまま進む。
しばらく進んで見えた公園も、クラスメイトがゲームで遊んでいた。
たくさんの子供がいた。
…。
混ぜてなんて到底言えなくて、ブランコに座り、揺れることなくそこにいた。
ワーワー、ハハハと甲高い音が響く。
ぼーっとした時間は、いつのまにか、公園から人を消してしまっていた。
もう、いいや。
ただ僕はまた、どこかへ歩くことにした。
公園から出た先には、たくさんの住宅があった。
---
「合計300円です。」
「はい。」
ちゃりん。
「ありがとうございました。」
うぃーん。
コンビニから出てきた先。
袋には、ずっしりとした感じが伝わる。
温めてもらった弁当、水、そしてお菓子。
僕のいつものご飯だ。
そこらへんのベンチに座り、弁当を開け、食べ始めた。
食べ終わると、近くのゴミ箱に空き箱を捨てた。
周りには行き倒れたタバコの燃えかすが散らかっている。
また、あてもなく歩き出そうとした。その時だった。
(どんっ)
「いってー…」
いきなりのことだったので、咄嗟に僕はこう言ってしまった。
よく見ると、僕より背丈が低かった。どうやらガキのようだった。
「おい!よそみすんじゃねーぞ!」
そういうとガキは、
「ごっ…ごめんなさい…!」
すぐ、そう言ってきた。
あまりにも素直だ。なんだか申し訳なくなる。
よっこらしょと立ち上がり、ガキを見る。
「けがないか?」
そういうと、ガキはうんと答えた。
「ごめんなさい…。」
「もうあやまらなくていーよ。」
そう言って僕は、反対に向かって、歩こうとした。
だけどガキの異様な感じをほったらかすことがなんとなく不安だった。
ガキの方を見る…。
ガキは立ち尽くし、目を伏せながら、震えていた。
僕は駆け寄った。
「てかおめぇ、よく見たら違うとこから来たガキじゃねぇか。なんか目もあけぇし、大丈夫か?」
僕がそう聞くと、ガキはハッとしたように、ぼたぼた泣き出した。
「ゃ…えっと、だぃ…あの…。」
ぼろぼろなガキはいろいろ言ってきたけど、ほとんど聞き取れやしない。
あーもう…。
「おい、落ち着けって、こっちは急かしてねぇから。ゆっくり言え。」
ガキは落ち着いたようで、ゆっくり話した。
どうやら迷子になって、デパートから飛び出してしまったらしい。
そして、デパートの場所がわからない…。と言うことらしかった。
「迷子か。デパートっつたら…あそこしかねぇし、連れてってやるよ。」
僕はガキの手を掴み、デパートへと走った。
空が青い。
なぜだか久しぶりに、色がわかる気がする。
後ろをふと見ると、ガキの髪の毛は赤かった。
やわっこい肌は、少し抵抗を受けている。
なぜだか、とても楽しい。いつぶりだろうか。
だけどあっという間に、デパートへと着いた。
「ほら、ここか?」
僕がそういうと、赤髪のガキは答えた。
「ここです!」
嬉しそうなガキは、さっきとは打って変わってキラキラしていた。
家族との時間を邪魔しちゃいけないと思って、僕は去ろうとした。
「ちょっと待って。」
いきなり呼び止められて、少しびっくりした。
ガキはこう言った。
「あの、名前ってなんですか?」
僕は少し意地悪したくて、こう答えた。
「お前が言ってくれたら教えてやんよ。」
---
「アキって言います。」
アキ…。そう、これがアキとの出会いだった。
背は僕より10センチぐらい低くて、赤毛で、茶色い目をしたイーハトーヴっていう田舎のヤツ。
この後はアキの家族と一緒に、買い物をしたりした。
確かお父さんは軍人だと言っていた。
だけど今は、軍事的に南アメリカの方へいるはずだ。
多分、軍人は嘘か、はたまた、''家族のために休みを取った''のか、どちらかだろうか。
駅のホーム。
「ゲシ!また会おう!」
アキはそう言って、手をブンブン振っていた。改札の奥で。
「おう!またな!」
僕がそういうと、またいっぱい手を振って、ささっと走り去っていった。
帰ろう。
だけど今日は、とてもとても楽しかった。
アキ…。
へんな話になるけど、ぶつかってくれてありがとう。
---
「あれっ…?ないぞ?」
券売機の前、僕はふと、とある場所行きの切符を探した。
そこの名前は『イーハトーヴ』といって、アキが住んでいる場所らしい。
やっぱ、田舎だから、直接行く切符はないのかもしれない。
だけど僕は、思い切って駅員さんに聞いた。
「あの…。イーハトーヴって、どこですか?」
「イーハトーヴ?」
駅員さんも知らなさそうな反応をした。
「わからないねぇ…。地図を見てもそんな地名はないし…あっ、でも、一つ心当たりがある。」
「えっ!どこですか!」
「『雨ニモ負ケズ』って知ってるかい?」
「はい、知ってます。」
「その、宮沢賢治っていう人の地元らしくてね。…まぁ、それ以外はわからないんだけど。」
駅員さんはごめんねと言うと、業務に戻っていった。
イーハトーヴ、宮沢賢治…。
ますますわからなくなっていった。
でも確か、宮沢賢治の地元はイワテ県…。そこに行けばいいのだろうか。
ホームで立ち尽くす。時間だけが過ぎていく。
…。
だめだ、早く見つけなきゃ。
僕は思い切って、イワテの方にいく切符を買い、電車に乗り込んだ。
『イーハトーヴ』…。
座った途端、ギュッと眠気が襲ってきて、気づいた頃には、眠ってしまっていた。
ゴロゴロ鳴る電車の走行音。
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ふと目を覚ますと、外には白い霧がかかっていた。
電車はまだ続いているようだった。
【次は〜、『イーハトーヴ』、『イーハトーヴ』〜】
アナウンスが流れると、パァッと霧は晴れて、夜空が銀河のように広がっていた。
チリチリとした光は、程よく目を覚ましてくれた。
すると、目の前には車掌が立っていた。
僕は思い出したかのように、急いで切符を取り出した。
切符の行き先は、イーハトーヴに変わっていた。
電車は止まった。
車掌さんに切符を渡して、僕は地に足をつけた。
綺麗な星空。
あそこじゃ絶対に見ることはなかった。
生まれて初めて、夜を綺麗と思えた気がした。
だけど、僕は思い出した。
どこにも行くあてがない。
なんだかおかしくって、いきなり笑い出した。
今日は、初めての野宿だ。
川が流れる河川敷、そのかかった橋の下、僕は眠った。