公開中
藤夢 其の伍
『素敵帽子君は知らないけれど、敦には確かにあった筈だよ──』
先刻の乱歩さんの言葉が蘇る。
何が、あった、なかったのかと訊かれれば、“悩み”である。
あれから少し考えて、これまで話を聞いてきた三人、そして他の被害者には、ある共通点があることに気づいた。
それは、“悩み”。
|夢浮橋《ゆめのうきはし》にかかったもの達には総じて悩みがあったのだ。
あるものは友、あるものは|力的加害《パワハラ》。そしてあるものは恋、というように。
乱歩さんのあの言葉は、悩みがあるかどうかという話だろう。
敦君には、少なからずあったと云うことだ。
けれど。
(彼にどんな悩みがあったのだろう)
自分は彼の職場の上司ではあるが、極めて個人的な悩みを聞けるような間柄ではない。
と云うか、逆に此方が悩ませているような気がする。
抑も彼は、子供時代の所為でおそらく警戒心が強い。
そこら辺の者にはぽんぽんと悩みを口に出さない筈だ。
そんな彼が悩みを口に出す相手といえば……
「それで、私?」
彼と親しい者──鏡花ちゃんはこてん、と首を傾げた。
此処は探偵社階下の『喫茶うずまき』。
密談めいたものも無料でやらせてくれる、非常に親切な店だ。
探偵社の中では話しにくいものもあるだろう、と連れ出したのだが──
「そうだよ。君なら年も距離も近いから、と思ったのだけれど……」
そういうと彼女はふるふると首を振った。
「敦は警戒心が強い。私を頼る事はするけれど、自分の個人的な悩みを口に出す事はあまりなかった」
ある意味距離が近いのは芥川、と彼女は言った。
「悩みを言ったりはしないだろうけど、思い切り不満を口にできたりするのは彼奴。」
確かに。そんな気がしないでもない。
となると何も進展なしか、と私が頭を抱えていると。
鏡花ちゃんが口を開いた
「相談はされてない。けど……悩みの一部は知ってる。多分、芥川について」
「芥川くん?」
「そう」
彼が芥川くんについて何か悩むことがあったのだろうか。
共闘についての悩みだとしたら早々に解決しておきたいのだが。
「いつだったか独り言で溢してた。私の存在には気づいていなかった筈。こう言ってた」
そこで一呼吸おくと、鏡花ちゃんは口を開いた。
「『なんでなんだよ……芥川』」
「“なんで”……? 敦くんはどうしたんだと云うんだい?」
「分からない。でも、其の声が泣きそうだったから。凄く記憶に残ってしまった。それに最近、よく眠れていなかったようだし」
私たちは二人して首を傾げた。
最近、ポート・マフィアとの共闘は確かにあったが、敦くんが悩むような出来事の報告は彼らから上がっていない。
本人達なら分かるのだろうか。
けれど本人達は、其れこそ犬猿の仲に見える。否、狗虎の仲とでも云うべきか。
そんな彼等がお互いを把握しているのか。
否、把握していなかったとしても、理解できる可能性はある。
|側《はた》から見れば、彼等はとてもよく似ている部分がある。正反対な部分があれば、全く同じ部分も。
戦闘においては本当に息ぴったりだ。
それならば、若しかすると。
私はそんな|一縷《いちる》の希望に賭けて携帯を取り出した。
鏡花ちゃんに断りを入れて、『うずまき』の外へと出る。
電話をかけて数コールのあと、繋がった感触がする。
「もしもし、芥川くんかい?」
『太宰さん!? 急に如何されたのですか』
電話越しに相手方の驚いたような声が聞こえる。
そういえば電話を使って話すのはかなり久し振りだったか。
まあ、今其れは大した問題ではない。
「敦くんのことなのだけれど」
そう言って切り出すと、彼は電話越しにでも分かるほど、警戒を露わにした。
だが何時もとは雰囲気が違う。名を聞いただけでも発せられる、相手を貫くような殺気がなかった。
『……なんでしょう』
「最近彼に変わったところは無かったかい?」
『……あの人虎は生来変わった者だと記憶しておりますが」
つん、と答える声は普段通り。
何も無かったように聞こえる。だが。
(何か“あった”のだな)
私はそう思った。
憎まれ口を叩く前の、数秒間の沈黙。
その中に微かに混じった、困惑と図星からくる動揺。
伊達に数年間もの間彼を育ててきていない。
「そうかい、話すことがないのなら良いんだ。けど、こう言ったら?」
『……』
「それによって敦くんや中也を目醒めさせることが出来るかもしれない、と」
『!』
電話越しに、空気が変わったのを感じた。
喜びを内包した、更に強い警戒。
それを解くために、私はゆっくりと話しかけた。少しの圧をかけることも忘れずに。
「もう直ぐ其方にも報告がいくだろうが、『|夢浮橋《ゆめのうきはし》』にかかる条件は“悩み”だ。その異能者に会った時、悩みを抱え、そしておそらくは相談するか否かで『夢浮橋』となるかが決まる。……意味はわかるね?」
『……』
再び変化する空気。逡巡が見てとれる。
こんなにわかり易くて良いのかと、師としては複雑に思うが、今は其れが相手を見極める唯一の手掛かりだ。
『太宰さん』
数秒後、芥川くんは口を開いた。
『電話では話せないこともあるでしょう。出来るのならば、お会いしたい』
想定通りの返事に私は唇に笑みを浮かべた。
「君ならばそう云うと思っていたよ──今日の夕暮れ時、《《あの》》森で』
分かりました、という静かな承諾の声を聞き届けると、私は電話を切った。
今の時間は八つ時。今から向かえば充分に時間があるだろう。
ちらりと窓から『うずまき』の中の様子を伺うと、鏡花ちゃんはすでに居なくなっていた。
私が電話をしている間に、探偵社へと戻ったらしい。
勘のいい彼女のことだ。誰に何故電話したのかも分かっているだろう。
乱歩さんに伝われば、その後の行動も。
彼女に仕事を押し付けてしまったような雰囲気が否めない。
(全く、良い子すぎるのも難儀だねぇ)
私はそう心の中で呟くと、懐かしの場所へと足を向けた。
---
目的地までの道のりの中で、空は僅かに朱を溶いたように染まっていきつつあった。
その微かな鉛丹色を眺めながら歩を進めていると、先程の先輩方の声が蘇った。
(『好き』ねぇ……)
其れは、かつて──否、嘘はいけない。今もだ──数多の女性達から向けられた視線、言葉。
自分にとっては嘘八百の口先だけのものに過ぎない。
真逆、私がそんな気持ちの悪いものをあの蛞蝓に抱いていると思われているのだろうか。
自分の胸に手を当てて少々考えては見たが、全くそんな気がしない。
そんな気持ちの悪い、軽いふわふわとした気持ちは感じなかった。
代わりに思い出したのは、中也と最後にあった日のこと。
(確か……)
『げ、なんか小さくて黒いやつがいるー』
依頼の帰りに街中を歩いていたら、偶然出会ってしまったのだっけ。
彼方も此方を認知すると、顔を歪めて言い返してきた。
『ンだと包帯の付属品!? って……』
中也はそこまでいうとはたと口を噤んだ。
まるで、何かをみとめたかのように。
『中也?』
そう呼びかけると彼は我に帰り、いつもの調子で喋り出した。
『俺は手前相手に与太話するほど暇じゃねェんだ。さっさと死んでろスケコマシッ!』
『はぁ? あ、一寸!』
普段と様子の違う彼を引き止めようと手を伸ばしたが、その時には既に彼は人混みの中に紛れてしまっていた。
(全く、もう。何なのだか)
私はむっとしながらも、探偵社への道を戻り始めた。
(そう、そうだった。確かあのあと、私の首の包帯に覚えのない口紅がついていて一騒動起きたのだったっけ)
一応、それを行った熱烈なご婦人には、丁寧に諭してお引き取り願い、騒動は収まったのだが。
(ん?)
私はそこであることに思い当たった。
中也は私に“何を”みとめたのだろう。
真逆、その|接吻痕《キスマーク》?
だとしたらその直後に『スケコマシ』と私を貶したことにも説明がつく。
けれど──
(相棒に女性の影があったとして、中也に何の関係があるのだろう)
別に、今は居る場所も違う、謂わば元相棒の交友関係など、普通は気にするものではないだろう。
抑も彼がみとめたものが|接吻痕《キスマーク》だとは限らない。
(女性への嫉妬、とかだったら最高に面白いのだけれど)
その時、心臓がどくん、と跳ねた。
一定に保っている私の管理から外れた拍動。
口から、は、と息が漏れた。
(真逆、私、嫉妬されたら嬉しいと思ってるわけ?)
其れこそ、心臓が跳ね、それを制御できないほどに。
嫉妬をさせたい、して欲しい、だなんて。
嘗ての私の女性達のようではないか。
(嘘でしょ。それじゃあ私、中也のことが──)
私の不整脈は、無視できないほどに音を立てていた。
何処の誰にも今の顔を見られたくなくて、私は口元を覆った。
頬に触れた指先がひんやりと冷たい。
(好き、なの)
信じられなかった。
私がそんな悍ましい感情を持っている?
冗談にしても質の悪い。
──ああ、でも。
私を心配して欲しい。
私以外に尻尾を振らないで欲しい。
相棒になれるのは私だけにして欲しい。
私以外の誰にも殺させたくない。
汚濁を使った後、私の手に戻ってくるあの瞬間が何よりも嬉しい。
相棒と呼ぶのは、これまでもこの先も、中也だけ。
私を殺せるのは私だけだけれど、中也にされるのも気分が良いかもしれない。
私の言葉一つでころころと表情を変えてしまう単純な中也が、面白い。愛おしい。
──愛おしい?
そうか。
これは“好き”には荷が重すぎる。“嫌い”では足りない。信愛よりも、どろどろとしたこれ。
認めたくは無いけれど、これはきっと。
(“愛”と、呼ぶ人は呼ぶんだろうな)
すとん、と腑に落ちた。
けれど。
云える訳がない。
彼が私を想っているという可能性は、ほぼ0に等しい。
私が、一度それを真剣な心持ちで云ってしまえば、律儀な彼は正直に、誠実に、応えるだろう。
否、応えなかったとしても同じこと。
一度伝えてしまえば、もう元の相棒関係には戻れない。
任務遂行に支障が出ずとも、元の子供っぽくも罵り合う関係には戻れまい。
命も預けられる信頼関係にも、ひびが入ってしまう。
そんな|弊害《リスク》を冒してまで伝える必要など、個人の想いには存在しない。
私はふぅっと息を吐いた。
空を見上げると、少しずつ鉛丹色が銀朱色へと変わり始めている。
目的地はもう直ぐ其処。
私は一度目を閉じると、足を早めた。
---
「やあ、芥川くん」
聞こえたその声にハッと後ろを振り向くと、ここ数ヶ月で見慣れた姿の師が立っていた。
先程まで、首領から渡された夢浮橋の進捗状況の資料を読んでいたためか、気配に微塵も気付かなかった。
元々、気配を感じることが殆ど不可能に近い方ではあるのだが。
「太宰さん……」
師はちらりと周りを見ると、話し出した。
「此処で話してもいいのだけれど、少し歩きながらでも構わないかい?」
珍しい。
この人は話を人に聞かれるという|弊害《リスク》をいつ何時でも気にかける人物だ。
二人しか知らないこの場所を離れるということは、その|弊害《リスク》を冒すことでもあるのだが……。
「貴方が、宜しいのであれば」
「そうかい」
そう返事をすれば、静かな返事と、じゃあ、行こうか、と促す声が聞こえた。
暗い森の中を無言で歩く。
空にあった少しの明かりも消えかけている。
「それで──」
太宰さんが再び口を開いたのは、最初の地点から少し歩いた頃だった。
「敦くんと何があったんだい?」
「……」
本音を言えば、人虎自体とは何もなかった。
全ては、自分自身の問題だ。
だがもしも、言っても良いのならば。
「……|僕《やつがれ》が」
可笑しいのです、と続けようとした。
彼奴に、自らの領域を侵されることに嫌悪感を、不信感を覚えないのだと。
──けれど、こんなことで太宰さんの手を煩わせるわけにはいかない。
ただでさえ、今は中也さんが目醒めないことに焦っている筈なのだから。
そう考えると、続きの言葉を紡ぐことができなかった。
「……いえ。なんでも御座いません」
「……」
口をつぐんだ自分を太宰さんはちらりと見ると、ふいと目線を空に向けて喋り出した。
「そう云えば、昔、中也がね」
中也さんの話か。何か関係があるのだろうか。
「突然聞いてきたのだよ。『自分は手前の相棒に成れているのか』とね」
「……」
「私はこう答えた──『そんな単純で下らないこと考えてる暇があったら、さっさと敵を殲滅してきなよ』ってね」
実に此の人らしい。そして、こうも思った。万に一つ、人虎にそう尋ねられれば自分は同じように答えるだろうと。
相棒に成れているか、だなんてその関係が続いている現状から見れば、単純明快なことなのだから。
単独であるよりも良いと最近は不覚にも思ってしまっているのだから。
「中也は『そうか』とだけ言っていた。中也がどのように受け取ったのかどうかは知らないけれど、私は本心をぶつけた心算だった。で、質問なのだけれど、君は敦くんにそれを伝えたことがあるかい?」
「……!」
伝えたことなど無かった。訊かれなかったから。彼奴も同じ様に思っていると思っていた。
「私達や君達には、信頼と協力が必要不可欠だ。其の根底には自信がある。相手を使い、使われる資質に自分は欠けていない、というね──敦くんは悩んでいたそうだよ。『何でなのか』とね。私には君達のことはわからない。けれど、敦くんには少なからず不安があったんじゃないのかい?」
嗚呼、と思った。
自分はあの人虎に、信頼を伝えられていなかったのだ。
今の今まで、それを自覚していなかったにしても、“信頼”という言葉を使わずとも其の感情は伝えられた筈だった。
否、伝えようとも思わなかったのだ。
彼奴も、同じ様に思っていると、思い込んでいたから。
(だから、今彼奴は夢浮橋にかかっているのだ)
「……太宰さん」
「何だい?」
如何にも“不思議そう”な顔で振り返った師の瞳には、されども展開を確信した色が見えた。
「若し。若し、貴方が誰かに思いを伝えることができず、そして相手がそれを悩んでいるとしたらどうすれば良いのでしょう」
そうとうと、師はクスリと笑って答えた。
「そのまま伝えれば良いんだ。人は仮令眠っていても、声を聞いているらしいからね──
──そうでしょう、蝶壺さん?」
師の足が止まった。
目を師の目線の先に向けると、一人の女が月明かりに照らされているのが見えた。
編笠に隠された其の髪は黒く、長く。其の髪が流れる着物は藤色で。
「貴様が……!」
女は藤色の瞳を揺らし、此方を見詰めていた。
・
眠り姫です!
ファンレターをくださった方々、応援してくださった方々、そして読んでくださっている方々全員にこの場を借りて心より感謝申し上げます!
すっごく嬉しくて、嬉しくて。
ご感想やコメント、ついつい口角が上がってしまいます。
このまま、この藤夢を最後まで、そしてできれば迷ヰ犬怪異談の第二弾もお付き合いくださればと思います!(いつになるかはちょっと明言できない眠り姫をどうかお許しください笑)
キリのいいとこ目指したらこんな長さに……
待ってほんとにどんな長さよ。
今回の副題は自覚編。
芥敦は無自覚両片思いで藤夢完結を迎えるかもしれません。
もしかすると八まで行くな、これ。回想編と真相編と、完結編。うわぁ……
あと、これまで言い忘れていたのですが、私の小説を読む際は行間と文字サイズをいじったほうがいいかもしれません。
地の文が謎に長くなることがあるので。ごめんなさい 本当にご迷惑おかけします
誤字脱字の確認をするの忘れたので、変かもしれませんがどうぞよろしくお願いします
では、此処まで読んでくれた貴方に、心からの感謝と祝福を!