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夏に現れたきみへ6
病院の待合室。陽翔は、澪の母親に呼び止められていた。
「この子のことで、話しておきたいことがあるの。……澪の記憶の病気について」
医師から告げられた病名は、神経性の進行性記憶障害。
特定の感情や人物の記憶から優先的に失われていく、極めて稀な症例だった。
「愛情を抱いた記憶ほど、早く消えていくんですって」
陽翔は、息ができなくなるほどの苦しさに襲われた。
“好き”と言ったその日から、彼女の記憶はもう薄れていたのかもしれない。
夜の校舎、誰もいない教室で。
澪は窓の外をぼんやりと見ていた。
「風間くん……だっけ?」
その言葉に、陽翔は拳を握りしめながら、でも、声を震わせず言った。
「俺の名前は陽翔。風間陽翔」
「お前が“もう一度好きになる”って信じてる。……だから、何度だって名乗るよ」
澪は一瞬だけ目を伏せたあと、泣きながら笑った。
「……それ、ずるいね。……また、好きになっちゃうじゃん」
陽翔は澪の手を取り、もう一度言った。
「澪、好きだよ。たとえ“今日の私”に忘れられても、俺は、全部覚えてるから」
その言葉だけは、澪の胸にそっと届いていた。
その日から澪は、陽翔の名前を何度もノートに書くようになった。
“陽翔くんが私を好きだと言ってくれた”と。
——たとえ明日、それを忘れても。