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箱庭魔法 #2
「おかえり。思っていたよりも早かったね。」
「うん、雨が降っていたからね。館を出てからずっと降っていた。おかげで服が少し濡れてしまったよ。靴も泥だらけ。」
少女はトマトやりんご、その他野菜が詰まった籠を机のそばに置くと、ふわっと白猫の背中を撫でるように触れ、背伸びをする。
「さて、何を作ろうかな。そうだ、ミネストローネにしよう。それがいい。」
大丈夫、君の分は別で作るよ、と小声で言うと、リンネは冷たい足を動かしてキッチンへ向かう。
慣れた手つきで野菜を切り刻み、音を立ててコトコトと鍋を煮込んだ。キッチンは別の部屋にあるので、シェイクスピアからはその様子が見えなかったが、リンネが楽しそうな顔をしていることだけは目に見える。
少女とは長い間、共に暮らしている。森の奥にある大樹が、大きな館の背を軽く越す様子を見ていられるくらい。要は千年ほどだ。
少女の外見はあの日出会った時から何一つ変わっていなかった。白くて長い髪も、身につけるものも、性格も。勿論それはずっと傍にいたシェイクスピアだけが知っていることである。白猫もまた、彼女と共に長い年月を過ごしてきたのである。館の本棚に、今の人間では解読できない「古語」で書かれた本があるのが、その証拠であった。
「最近ね、古語と現代語を混ぜ込んで、少し私なりに独特の《《癖》》を加えた、新しい言語を作ってるんだよね。」
シェイクスピアが机の上の乱雑な紙とその内容を見つめていると、リンネがそう言いながら手に鍋を持って戻ってきた。鍋の中からは、トマトやじゃがいもが調味料と混ざり合った、暖かい香りがする。その後に盆に乗せて運ばれてきたスープから、シェイクスピアが嫌いな玉ねぎの匂いは微塵も感じられなかったためか、白猫は椅子から飛び降りてリンネに駆け寄る。
リンネは持ってきた木の皿にスープを注ぐと、机の上の紙を適当に片付けて置いた。湯気が立つ暖かいスープを口に運ぶ。外は雨が降っているので、その効能はより少女の体の芯に染み渡る。
「うん。上出来だ。」
リンネがくれたミネストローネ風のスープをぺろりと平らげると、シェイクスピアはそこらじゅうに散らばる本や物などお構いなしに駆け出して洗面台へ向かった。
戻ってきた頃に、リンネはいたずらっぽくニコニコ笑って言った。
「利口な猫だな。街の人たちが君をみたらどう思うだろうね。サーカスに売り飛ばされてしまいそう。」
「喋る猫なんて要らないでしょう。不気味がるに決まっている。貴方と同じね、魔女さん?」
少女は顔をほっぺをむっと膨らませる。鍋の中にはまだスープは残っていたが、皿は空っぽになっていた。
「君もそんなことを言うのかい!私をあまり知らない街の人たちが私のことをそう言うのは分かるが、長い間一緒にいた君が…。
いや、ごめん。その通りだよ。私は魔女。みんなそう思っているからね。目を背けていると、肝心な声が聞こえなくなるものだね。」
シェイクスピアは目を閉じて、そこに静かに座った。リンネは数秒そこでじっとしてから、鍋や皿、カトラリーをキッチンへ運んだ。元の半分くらいに減ったスープを大きな椀へ移すと、ラップをビッと引っ張って貼り付け、冷蔵庫に入れる。閉まる音がすると同時に、さっきのことを忘れたような屈託のない笑顔で、シェイクスピアに向かってこう言った。
「雨が止んだよ。どうせなら街に散歩に行かない?」
目は輝いている。
少女と白猫は、雨上がりの静かな街を歩く。