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〖廻る歯車〗
大勢の人が賑わう店内に肉の焼ける音が煙とともに壇上に立った。
向かいの席に座った男性、桐山亮が感嘆の音を挙げた。
「えっと…つまりは、そちらが持って帰ったUSBが盗品だった、ということですか?」
その言葉に少しだけ間を置いて、例の探偵の日村修が言葉を返した。
「ああ。中は松山病院で肝臓移植のドナーとして摘出される予定だった坂本結衣の個人情報だった…おそらく、途中で妊娠が発覚したんだろう」
「…中身は後で再度、確認させてもらいます…仮にそうだとして、どうしてそんな情報の入ったUSBを暴力団の婚活パーティで?」
「それを調べるのが、君の仕事だろ」
それで会話が終わり、また肉の焼ける音が耳に木霊する。
俺は頭の中で、一つの疑問が浮かび白米に焼けた肉を載せている鴻ノ池詩音に向かって口を開いた。
「そういえば、結局のところ赤毛だけの婚活パーティってなんだったんですか?」
「人身売買と麻薬販売の隠れ蓑だったようです。大麻を栽培していた部屋にあった資料に載っていた赤毛の方を商品として売りに出していたようですね」
「赤毛だけを?」
「ええ…和戸さん、気になりますか?」
「そりゃあ……ウィッグを固定するワックスも中々落ちなかったし、どうせなら知りたいですよ」
不満気にそう文句を付け加えて、横目に日村を見るとしらを切るようにそっぽを向いた。
ウィッグのワックスを塗り過ぎたことについて言及する気はないらしい。
鴻ノ池は焼けた肉と白米を箸で攫って口へ入れてから、少し経って口を開いた。
「こう、易易と個人的な情報を話すのはいけないのですが……実は一つだけ気になるストーカー被害の件がありまして」
「ストーカー被害、ですか?」
「ええ。被害者の名前は坂本結衣。32歳の女性で、生まれつきの赤毛。そして、ボランティア等に積極的に取り組む人なのですが、現在はドナー登録をしている方です」
「……名前、同じですね。同一人物ですか?」
「おそらくは。関係者……変わった伝を経由したところ、数年前に肝臓のドナーとして動く予定でしたが、途中で妊娠が発覚し、急遽取り留めるも…後に流産されたそうです」
その鴻ノ池の言葉に日村が口を挟んだ。
「それなら、確定と言っても良さそうだが……流産か。ストーカーの影響か?」
それに、鴻ノ池も反応をする。
「どうでしょうね。確かに高いストレスにより流産等の危険性は高まりますが…妊娠が発覚したのが数カ月なのか、一年なのか…月日によって変わるかと思いますが、取り止めたのなら本人が病院側に伝えなかった、気づかなかった説が濃厚かと」
「病院側としても、ドナー提供の要請者としても…迷惑でしかないな」
「…女性はデリケートなんですよ、それは貴方もでしょう?」
「私がデリケートだって?何が言いたいんだ?」
「そうですね…常に後ろめたいことがあるというか、隠しているというか…そんな気がします」
「気がする、だけだろう。確証がないなら関係ない」
「……そうですか。それは失礼しました」
箸を再度持ち、白米を口に運ぶ鴻ノ池と対比して、日村が肉を焼き続ける。
食欲を唆られる匂いが鼻を擽った。
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全員で代金を割り勘して、店を出る。少し肌寒くなった風が夏の残暑に代わって心地よく思える。
「ああ、それで……暴力団関係者の調べはついたのか?」
そう、日村が最初に話を振った。桐山が手帳を慌ただしく取り出している内に、鴻ノ池がすぐに答えた。
「赤毛に関する暴力団は|稲楽《いねら》組でしたね。現在のトップは|稲楽《いねら》|香《こう》。28歳の男性で妹に|稲楽《いねら》|桜《さくら》がいます。
警察としても暴力団はあまり関わりたくないので…上からの命令次第で近々、突入予定だそうです」
「へぇ、暴力団にまで市民の法律が適用する辺り大変だな。武器をもった市民にわざわざ鞭を振らなきゃいけないわけだ」
「ええ……自滅してくれたら嬉しいんですがね…」
ぼやくような文句を聞き流して、桐山が手帳の紙を破って日村へ手渡した。
一瞬だけだったが、住所のようなものが見えた気がした。
「日村さん、これ松山病院の住所です。訪問したんですが、稲楽桜という患者がいることを確認しました」
「…医者が個人情報を話したのか?」
「いえ、看護師の噂です。女性は噂話が好きですから」
桐山がそう言った途端、鴻ノ池の肘が桐山の身体に入った。桐山は笑顔は崩さないものの、少しだけ呻くような声を発した。
「あー…それで?稲楽桜はどんな様子だったんだ?」
「胆汁うっ滞性疾患?…だったかな、そんな名前の…子供に多い胆道閉鎖症みたいですね。稲楽桜はかなり酷い状態のようで、集中治療室へ入っていました。
医者からの話は聞けませんでしたが、医療関係者の数名からお話は聞けましたよ」
「なるほど。わりと口が軽かったんだな」
「……まぁ……そうですね…」
「とりあえず、USBは渡すからそっちで預かってくれ。一応、証拠品だろ。指紋はついてないから」
「ああ…どうも…先輩、これで大丈夫ですか?」
不安そうに桐山がUSBをジッパーに入れ、首を縦に振った鴻ノ池に胸を撫で下ろした。
「…まぁ、こちらが出来ることはここまでだな」
二人の刑事を横目に日村が仕事が終わったとでも言わんばかりに笑った。
俺は不燃焼さを感じて行動を促すような言葉を彼に投げた。
別に正義感とか、そんなものではないが、これで終わるにはあまりにも中途半端過ぎると感じただけだった。
「これで終わりなんですか?金庫のUSBを盗んだ犯人はまだじゃないですか」
その言葉にやはり、日村は喰いついた。
「何日前の話だよ。いくら巻き込まれたからって、そこまで足を伸ばす必要はないだろ。
それに胆道閉鎖症は肝臓移植が必要な病気だ。大体の動機も犯人も分かるだろ」
「じゃあ、誰だって言うんですか」
「稲楽香だ。大方、臓器提供のドナーが見つからずに元々のドナーだった坂本結衣を探したいんだろうさ」
「でも、確証はないですよ」
「だからと言って、一般市民が暴力団関係者に直談判しに行く義理もないし、そもそも私はそういった人間とは無縁だ」
「けど……」
「和戸くん、私は過ぎた行動を起こす気はない。あのパーティは鴻ノ池や桐山が後から来ると分かっていたから入っただけで、基本的に危険が伴うような行動はあまりしたくない。分かってくれ」
「……普段、わりと危険な行動しているのに…?」
「それとこれとは別だろ!なんだ?暴力団に手を出して死にたいのか?冗談じゃない、私はまだやることがあるんだ、死にたがりもそこまでに_」
勢いのついた口喧嘩に鴻ノ池が仲裁に入るようにして、日村の開いた口を手で塞いだ。
そして、
「…後ろに警察さえいれば、良いんですよね?」
何か思いついたように嗤った。
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車の中で相方である先輩を待ちながらミラーに映る自分の|榊《さかき》と名前の札を見た。
ミラーの奥には紺に近い青髪の男性、先輩である田中虹富とその知人だと言う赤髪の|酒木《さかき》|楓《かえで》。
楽しそうに談笑しては、共通の友人らしい“畠中”について触れている。しかしながら、この友人は依然として亡くなったと田中から聞いている。
これは一体どういうことなのかと田中の発言は稀にこういったことのように思考が止まる発言が多々ある。
だが、以前の長髪を切ったのか短くなって見えやすくなった儚げな瞳が刺さる程、ひどく自分の頬が赤く紅潮し、耳まで到達するようなゾワゾワと這う悦楽が込み上がってくる。
「なにニヤニヤしてるんですか」
不意に言葉をかけられ、身体が跳ねる。
「っえ……あぁ、先輩…話、終わったんですか?」
「ええ、まぁ…」
「…あの…こんなこと、聞くべきじゃないと思うんですけど…酒木さんとの関係って、友人ですか?」
「いや?友人の知人ですよ」
「……そ、そうですか…」
「…たまに気になるんですけど、僕の人付き合いの関連性ってそんなに気になるものなんです?」
「ああ、その……気になったら、調べ尽くさないと気が済まなくて…すみません」
僕の言葉に田中が「なんだそれ」と笑って車のエンジンをかけた。
景気の良いエンジン音と、田中の横顔がどうにも魅力的に思える思考が無線から話が通るまで、頭から離れなかった。