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1.バケモノ
その部屋には二人の男女が向かい合わせに座っていた。二人とも真剣な表情だ。
「‥と言うわけでして‥」
「なるほど‥夜普通の犬の鳴き声ではなく、《《ヴィス》》に寄生されたような鳴き声が聞こえる、と言うわけですね‥」
ヴィスと言うのは最近戦争によって持ち込まれたとされるバケモノの事だ。生き物全てに寄生することができ、安全な対処法が見つかっていない。
「あの‥どうにか出来ますか?」
女性は不安そうな目で彼を見つめた。
「‥えぇ、解決できるよう努力致します。」
「ありがとうございます‥!」
深々と頭を下げて女性は外へ出て行った。
「‥《《アレル》》くん、紅茶が欲しいな〜‥なんて」
アレルと呼ばれた少女は奥から紅茶のカップを持ってきて青年の前に置いた。
「用意してあります。」
「流石だね〜」
青年はケラケラと笑って紅茶を一口飲む。
「‥《《シェリア》》さんが自分で用意していいんですよ?」
「やだよ面倒くさい」
シェリアと呼ばれた青年は即答した。
「面倒くさい事人にやらせるとか終わってる」
「まぁね〜」
気にしない様子で紅茶を飲み続けるシェリア、呆れた様子で資料の整理を始めるアレル。
資料にはこの事務所メンバーの個人情報、依頼の内容整理、ヴィスの情報や対処方法などがある。
「‥日が沈んできたね。」
そう言われてアレルが顔をあげ窓を見ると、空は夕焼け色に染まっていた。もう少ししたら完全に日が沈み、夜へと変わるだろう。
「そろそろヴィスが動き出してしまう。」
シェリアは先程までののんびりとした口調や雰囲気は何処に行ったんだと思うほどに真剣で、また冷たい声でそう言った。
「‥じゃあ、準備しますか?」
「そうだね、被害報告も増えてきてるし早いところ片付けちゃおう。」
シェリアは飲み干した紅茶のカップを片し、上着を羽織る。窓やカーテンを閉め、玄関以外に戸締りしていない場所がないか確認してから電気を消す。これはヴィスが事務所内に侵入することを防ぐ為である。
玄関扉を開ける。外は部屋の中より少し肌寒く、風が吹いていた。夜空には星が淡く輝き、建物には明かりがつく。
シェリアとアレルは階段を降り、横断歩道を渡る。先程相談された場所へと歩いていく。
遠く歩いた場所にある路地裏へと入り込み、奥へ奥へと進んで行った。ヴィスに呪われた犬を探す為に二手に分かれる事になり、シェリアはもっと奥まで進んで行った。
--- ♢ Alelu side ♢ ---
「‥犬か。」
月明かりだけが灯る路地裏で、暗闇に慣れた目を頼りに歩く。犬種も大きさも知らないのに探すのは凄く大変なのでは?とシェリアさんと別れてから気付いた。
「グァン」
壊れた犬のオモチャのような声が響き、後ろを振り返ると、そこに恐らく犬がいた。
それを犬と言うには形がおかしく、ヴィスに寄生されてもう体はヴィスのものとなっているだろう。自我が残っていないはず。
ピピッ
シェリアさんに電話をかけ、こちらに来てもらうようにする。
「‥もしもし、ヴィスに寄生された犬らしきものを見つけました。」
『早いね〜、流石アレルくん。わかった、今行くね。何処にいる?』
「今は‥何処でしょう?」
『本当に方向音痴だねアレルくん。』
「あ、月がビルの間から綺麗に見えます。」
『んー‥大体の場所はわかった。探し回るからちょっと耐えててね。』
流石シェリアさん。少し見直しました。
「グガァンン¿?」
「‥」
犬の首と体が皮一枚で繋がっているような状態になってしまった。完全に離れたらそこからヴィスが現れるだろう。そうなっては対応が困難になる。
シェリアさんが来るまで私が何か刺激を与えてしまうと確実にヴィスが出てくる。音を立てないように少しずつ後ろに下がる事にした。
ガコン‥カラカラカラ‥
空き缶が足元にあった事に気付かず蹴ってしまった。音が路地に響き、ヴィス犬がゆっくりとこちらを振り返った。
「ひっ‥」
この状況で落ち着けるわけがない。シェリアさんはまだ来ないし、私の逃げ場はないし、ヴィス犬にはバレるし、落ち着いてなんか居られない。
「グルルルルルル⁇」
光のない真っ黒な目で私を見る。私は資料に書いてあった事を思い出す。
【ヴィスに寄生されたもの、もしくはヴィスの視界に入ってしまったら生きて帰る事は不可能。】
思い出してしまった瞬間、ヴィス犬の頭が落ちた。中から赤黒い何かがゆっくりと絶望を与えるように出てくる。私を逃さないというようにヴィスが私の方に伸びてきて、私の腕を掴もうとした瞬間だった。
--- 『ℐ𝓇ℴ𝓃 𝓉𝓎𝓅ℯ𝑔𝒶𝓃』 ---
銃弾がヴィスを通り抜け、反対側の壁に当たる。私に寄生しようとしていたヴィスは引っ込んでいった。
今の私はヴィスより気になる事があった。今の声の主だ。
「‥シェリアさん‥?」
ゆっくりと後ろを振り向き、建物の屋上を見つめるとそこに人が居た。ふわりと上着が舞い、静かに地面に降り立つその姿はまるで天使だ。
「ごめん、遅れちゃった。」
そういい申し訳なさそうに微笑む姿は聖母のよう。彼の性別は男だけれど。
「今回のヴィスは結構気付くの遅れちゃった感じかな。新たな寄生先を探している。」
「どうしますか?」
「うーん‥《《パリス》》が来るのを待っ___」
「ギギリリリァァァ」
「___ってる時間はなさそうだね!!」
グチャグチャのヴィスが私達に襲いかかってくる。シェリアさんはパリスを呼ぶためのスマホを仕舞い、代わりに手鏡を取り出した。
--- 「特待能力 |𝒯𝒽ℯ 𝒹ℯ𝒶𝒹 𝓁𝒶𝓊𝑔𝒽《死人は笑う》」 ---
ヴィスに鏡を向けながらその言葉を唱えれば鏡が光り、ヴィスが吸い込まれていった。鏡の光が消える瞬間、私はその鏡の向こう側が見えた。そこに映るのは裏路地ではなく、綺麗な花が咲き誇る暗い場所だった。
「‥一件落着だね!」
シェリアさんは鏡を仕舞いながら元の明るいテンションで話す。
「あの‥さっきのなんですか。」
「あぁ、アレルくんは今のが初めての依頼だったっけ?」
「‥まぁ、ヴィス関連のは初めてです。」
「だったら驚くのも当たり前か!」
シェリアさんは納得と言いたげな顔で私を見る。初めての任務がどうかも覚えてないのは少し驚いたけど。
「まずヴィスに寄生されたモノは基本助からない。寄生されたばかりならまだ助かるかもだけど、時間が経っていれば絶対に助からない。これはわかってるよね?」
「えぇ、資料で見ました。」
「よかったよかった。で、さっきのは完全に寄生されててどう頑張っても助けれない状態だった。中から本体出てきちゃったしね。」
「赤黒い何か‥やっぱりあれがヴィスの本体なんですね。」
「うん。で‥鏡の話に飛んじゃっていいかな?」
「はい、それが一番気になります。」
「さっきの鏡は僕が昔から持っていた鏡だよ。鏡とさっきの呪文が書かれた紙を一緒に持っていたんだ。紙にはその呪文を唱えながら鏡をヴィスに向けるとヴィスが消える、とも書いてあってね。」
「‥」
「あ、呪文を使わなければ普段使いできる手鏡だから安心してね!?」
シェリアさんは雰囲気ぶち壊しの天才かもしれない。悪い意味で本当に天才だ。
「この鏡の向こう側がどんな世界か、ヴィスは何処へ消えたのか、何故ヴィスを吸い込めるのか、謎は沢山あるのにどれも答えが分からない。」
そう話すシェリアさんの表情はさっきとは違い、悲しそうだけど笑っていて、怒っていそうだけど苦しそうで‥よく分からない表情をしていた。
--- ♢ No side ♢ ---
「鏡の事は紙に書かれていたこと以外何もわからないんだ。おかしいね、昔から持っていたのに記憶がない。」
「‥鏡の事がわからないのなら、これから知っていけばいいじゃないですか。」
「‥それも、そうだね。考えてなかったよ、そんな簡単な事さえも。」
その瞳に影がさす。口元は笑っているのに目が笑っていない。寂しそうな瞳を地面に向け、彼は笑う。
「‥帰りましょ、私食べたいものがあるんです!」
「えぇ‥?まさか僕の奢りとか言わないよね?」
「よくわかりましたね。」
「当てたくなかったよ。」
事務所に居たときのようにのんびりとした会話をテンポよく続ける二人。そこに先程までの雰囲気はなかった。
ヴィスによる恐怖がこの国を支配している。
そんなヴィスの依頼を受け付けている事務所。
信頼度はピカイチ。解決速度もピカイチ。
これは、とある国のとある事務所・《《リュネット》》の物語。