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終わらない雨夜を。
湿った空気を纏った夜道を歩いていた。気持ち程度の街灯のお陰で少しだけ明るいが、その大半は深い影が落ちていた。普通なら怖い夜道だが、友達と歩けばさほど怖くはない。
「このコロッケうま!?」
とコロッケをほうばりながら加瀬は言った。
「ボクにもちょうだいよーーー」頬をふくらませながら右隣から雨夜くんが加瀬の手に掴まれているコロッケに手を伸ばす。渡さねえよと言いながらも一口あげている加瀬はすごく優しいと思う。
「朝霧もいるか??これ。」
そう言ってふわふわと湯気がたっているコロッケを差し出される。じゃあ貰おうかなと一口食べると、すごく美味しくて自然と笑みがこぼれた。
「これ、おいしい!!」
「だろーー?」
そこから暫く三人で歩いていた。ぽつ、ぽつと道路に水滴が落ちる。水滴が頬をかすめる。
「雨かァ、早く帰ろうぜ」
加瀬は歩く足を速めながらそういった。
そうだね、と返事して加瀬に置いていかれないように足を速めた。2人分の足音が響いた。2人分……?
「ん?あれ、雨夜の奴、どこいった??」そう加瀬が言った瞬間、背中に激痛が走った。耐えきれず膝をつく。意識の遠くの方で加瀬の叫び声が聞こえた。背中の方を手で触る。生ぬるい液体が手に纏わりついた。ついた液体を見ると赤黒くドロっとしていた。つんと鼻を突く鉄の匂い。
叫ぼうと思っても声が出なかった。のどを触ると誰かの手が僕の首を絞めている事が分かった。ふと、前を見るとにやりと笑った雨夜くんがいた。以前までの雨夜くんとは、なにかが違った。そこで、僕の意識は途絶えた。
「このコロッケうま!!?」
加瀬の声が聞こえた。
「ボクにもちょうだいよーーー」
雨夜くんの声。気がつくとまた、夜道を歩いていた。
「朝霧もいるか?これ。」
加瀬がぼくの顔を覗き込む。このやりとりは……。
「え、あ、じゃあもらおうかな?」
ぎこちない笑顔だったと自分でも思う。それに加瀬も気がついたのが心配した表情を浮かべて大丈夫かと小声で話しかけてくれた。大丈夫だよと返すのが精一杯だった。これは、また過去にきているのか、と頭にいろんな考えが浮かぶ。気がつくと、雨が降り出していた。思い出した。このあとに、雨夜が僕のことを背中から何かで刺したんだ。
「雨かァ、はやく帰ろうぜ。」呑気にそう言う加瀬が少し羨ましかった。心臓の鼓動がはやくなる。
「ん?あれ、雨夜どこいった??」
このタイミングだ!!!バッと後ろを振り向くと今度は腹に激痛が走った。ぬるぬると生ぬるい液体が止め処なく出ていく。抑えようと手を腹に当てたが纏わりつく血の感触が気持ち悪くて手を離す。前を向くと雨夜くんがにやりと不敵な笑みを浮かべた。ドロドロと血が道路に広がっていく。これ、全部僕の血なのか。耐えきれず膝をついた。
「加瀬、逃げろ…」
そう言ったその瞬間、加瀬の叫び声が聞こえた。叫び声の方向を向くと、加瀬も雨夜くんに刺されていた。
「どうして………」そう言ったその瞬間、僕の意識はまた途絶えた。この悪夢のような現実は、まだ終わらなかった。
「このコロッケうま!!?」
また、繰り返しか。この悪夢からは逃れられないのか。
「ボクにもちょうだいよーーー」
なんで雨夜はこんなことしたんだ。この時までは普通だったじゃないか。
「───?─霧?朝霧!!!!」
「え、ああごめん、どうした??」
加瀬は怒ったような、心配しているような表情を浮かべていた。
「おまえ、大丈夫か??なんかあったか?」
「そうだよ朝霧くん、どうかしたのーーーー?」
加瀬と雨夜くんがこちらを覗き込んだ。
なんでもないよ、と返した。
このループから抜け出す方法を、見つけなければならない。
「加瀬!!ちょっと来て。」
まず思いついた方法を試してみることにした。
逃げるぞ、と小声で言った。一瞬顔をしかめたが、案外すんなりと了承してくれた。走り出したその瞬間、後ろから声が聞こえた。雨夜くんの声だ。
「ふたりともー、どこいくのー?」
「あー、えっと、競争!!雨夜くん、よーいどんって言ってくれる?」
下手な嘘だなあと自分でも思う。でも、これしか思いつかなかった。
「ふ〜ん。珍しいねェ。いいよ。いくよーー、よーいどん!!!」
2人で一斉に走り出した。
後ろの方で、また置いてかれる……と、そう聞こえたような気がした。気の所為だろうか。
どのくらい走っただろうか。気がつくと知らない公園に来ていた。ベンチに座って荒い呼吸を整えた。ぽつぽつと雨が振り始めた。
「で、なんで雨夜から逃げたの??」
加瀬が言った。
「それは………」
説明しようとした瞬間、後ろに猛烈な気配を感じた。
「ねェ〜〜、なんで逃げるの??加瀬くん、朝霧くん??」
バクンと心臓が脈打つ。ぴたりと首に何かが触れた。雨夜の手だった。何故か異様に冷たく感じた。纏わりつくその手が離れない。だんだん首を掴む手の力が強くなっていく。加瀬は衝撃のこの状況を見て目を見開いたまま止まっていた。怖くて雨夜の表情を見れなかった。
「どうしてこんな……。」
首を絞められていてうまく発することができなかったが、聞こえただろうか。またループするんだろうから聞いておいて損はない。何か理由があるのかもしれない。そうだ、雨夜はこんなことしない。誰かに操られてるんだ。絶対そうだ。
「だって〜〜キミたちボクを一人にするんだもん。また、ボクを置いていくんだもん。」
そう言う雨夜の声が、少し震えているような気がした。
置いていかないでよという声が夜に溶けた。また、意識が途絶えた。
何回繰り返しただろうか。どんなに遠くに逃げても、警察に通報しても、何をしても、このループから抜け出すことはあできなかった。どこかの場面で僕の行動が間違っていることは確かだが、それが何か分からなかった。なんで雨夜は僕達を殺そうとするんだ。もう、やけくそになっていた。
「このコロッケうま!!?」
聞き飽きたセリフ。
道路沿いにある植木鉢を持った。ザラザラと土がこぼれ落ちる。しっかりとした植木鉢の重みを確かめて、僕は薄く笑った。
「ん?まって、朝霧??おまえ、なにしてる!!!」
重い植木鉢を持ち上げて雨夜に振りかざした。
「どうせまた、ループするんでしょ。」
吐き捨てるように、そう言った。
ゴンッと、鈍い音が響いた。雨夜は道路に倒れて血の海をつくっていた。
加瀬はその場に呆然と立ち尽くしていた。何びっくりしてんだよ。こんなことしてもまたどうせ繰り返しだろ。
住宅街の方から女性の悲鳴が聞こえた。警察呼べ!!という男性の声も聞こえた。頬に水滴が落ちる。また雨が振り始めた。だんだんと雨音は強くなっていく。そこではじめてナニカがおかしい事に気がついた。
「あれ…ループしない………」
なんで、だってこんなの。ずっとループしてたのになんで今終わるんだ。この行動が一番正しかったのか。僕が雨夜を殺す事が正しかったのか。大事な友達を失うことが一番正しかったのか。
サイレンの音が響く。鼻の奥を刺激する鉄の匂い。手に残っている雨夜くんを殴った感触。ぐったりと道路に倒れた雨夜くん。何も言えずに呆然としている加瀬。
倒れた雨夜くんの顔を見て僕の胸に広がるのは安堵ではなく、焼け付くような後悔だった。
「なんで…笑ってるんだよ…」
雨夜くんは笑っていた。昔3人で遊んでいたあの時みたいに。
──置いていかないで。
耳の奥にあの声が響く。震えたあの声。その声は殺意や憎しみじゃなくて締め付けるような孤独だった。僕と加瀬は幼なじみだった。幼稚園の頃から仲良しで、雨夜くんとは小5のときに出会った。その違いが、雨夜くんを一人にしてしまっていたのかもしれない。
「ごめん…雨夜……ごめん……」
声が震えて、視界が滲む。だけどもう、返事は返ってこなかった。夜の冷たい風が赤い道路をなぞっていく。暗闇の中、僕と加瀬は雨夜の手をそっと繋いだ。加瀬も僕も、ぼろぼろと泣いていた。雨夜の口角が少し上がった、そんな気がした。