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【日本宗教学全書 普及版 -異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究-】
本文は数々の方々にご協力を得て、執筆・編集・出版したものである。
お力添えをいただいた神宮寺家、その他の方に今一度有り難く思う。
また、原文の鹿狩亨氏の行方が分からないため何か分かる方は遺族へ言伝をお願いしたい。
電話番号 092-617-6698(現在は使用されていない)
**異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究**
--- 序 ---
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現在の福井県北部、石川県との境の間に酒内村という村落があった。
現在も居住者は存在しており、古くからの村であることから文化的価値は高いものの、若者の出入りが激しく廃村に近い状態である。
しかし、実態を記した資料や記録のほとんどが破棄されており、世間的には非常に知名度の低い。
そのため酒内村での研究はあまり行われていなかった。
そこで今回、存命する同時の人たちへの聞き取りを行い、主に信仰に関しての調査を行った。
結果としては多くの情報を得られ、今まで不明とされた酒内村について詳しく知ることができた。
下記の記述はそれらの情報とともに酒内村と呪術の関連性について実態を考察したものである。
**1.地勢**
酒内村は福井市より約32キロの大野市に位置する山中にあり、南の九頭竜湖から北部の奥に存在する。
今回はその村の中でも更に奥深くに位置する宗教深い神宮寺家に焦点を当てたものである。
**2.生活のようす**
人口に関しては現存する資料が少なく、明確な断定はできないが、神宮寺家の話によれば老若男女合わせて約30名ほどとのことである。集落としては小規模で耕作や漁猟にて生計を立てていたようである。
**神宮寺家付近のようす**
神宮寺家の赤い鳥居を境に目の前には大きな湖(酒内湖)が広がっており、酒内村の酒内湖を周回する道は霊験あらたかな場所として崇められていた。
湖を取り囲む森の木々には霊魂が宿るとされ、熱意のある村人たちは朝夕に湖を一周するという巡礼を過去に日課としていたという。
その場合、順路が定められており、入口から湖を中心に右回り、すなわち時計回りしなければならなかった。禁を破ると災いが起こるというものがあり、村人の中にもそのような話を聞くことができた。
「福井の酒内湖には、神が宿るという話がある。東、南、西、北と行道の如く巡らねば、祟りが起きるという恐ろしい道だ」
(酒内村の酒内湖周辺に住む村民による話)
**3.神宮寺家の伝統について**
住居の中に大きな注連縄のある大樹が育ち、その一室の中が古来より続く伝統の“巫女”の部屋だという。
その巫女は朝夕にその部屋で祈祷を続け、部屋の外で待つ“宮司”はそれが終わるのを待たなければならない。
巫女は女性に限られ、髪を銀に近い白髪に生まれるか、染めなければならない。
また、宮司と決して血が繋がっておらず交わりもしない髪のように白く清い女であることや特別な出生であることのほか、人とは異なる能力を得ていることが条件になる。
その条件に当てはまる女性は必然的に生まれた当初から巫女になることが決定づけられるため、名前を“朔”と決まりとして名付けられる。
宮司は男性に限られ、髪を銀に近い白髪に生まれるか、染めなければならない。
また、巫女と決して血が繋がっておらず交わりもしない髪のように白く清い男であることや特別な出生であることのほか、人とは異なる能力を得ていることが条件になるが、宮司の場合は絶対的ではなく能力の有無は関係ない。また、神宮寺家とは何ら関係のない家系でもなることはできるが、宮司として襲名しなければならならない。
この巫女と宮司の関係性は名目上、姉弟であることが義務づけられる。
夫婦は認められない。
神宮寺の伝統は人ならざるものを神と崇め、信じる宗派によるカルト的なものであるが、その中に本来邪悪とされる鬼や九尾狐、天狗、大蛇、河童、火車などを主に信仰しているとされる。
古風なものが多い反面、西洋的な妖怪及び魔女や吸血鬼などにも寛容なようだが、天使などの良いものとされるものにはひどく毛嫌いする傾向にあるようである。
「天使?ダメだ!そんな気持ち悪いもの!あんなに気持ち悪いやつは見たことないね!即刻、滅亡するべきだ!」
(神宮寺家の従者による話)
「天使?...ああ、ああいった助ける人を選ぶようなものは好みませんよ。どうせ助けるなら全員助けてほしいですよね。博愛主義のくせに、ただの偽善者なんですよ、天使ってのはね」
(神宮寺家の従者による話)
**4.百年祭**
**様態**
巫女が依代の(神霊がとりつく対象物)となり交信する、古代シャーマニズム形態。
大自然における森羅万象を神として崇め、次の百年の豊穣を願う。
儀式の起源は分からずとも、百年以上続いているとのことである。
この百年ごとにの定められた年数以外では儀式を行ってはならない。
**時期**
儀式を行うのは秋の収穫が終わった頃、新月の日が選ばれる。
**供犠**
贄(神に奉る供物)として、“選ばれし者”が捧げられた。いわゆる人身御供の一貫の風習である。
贄の条件は出生は関係なく、肉体に著しい欠損や病がないこと。
巫女を崇拝し、心を託す者。
過去に恐ろしい罪を犯し、良心の呵責にあえぐ者(人殺し等)とされる。
**儀式**
儀式が行われる三日間、巫女は自室及び大樹の部屋(本殿である社)で籠り、祈祷を始める。その際、巫女の許しがあるまで他者の立ち入りや覗きは禁じられる。
薬物や呪術によって醒めない贄の身体は生きたまま四十九体に分割される。分割にも順番があるとのことだ。
新月の夜、巫女は宮司とともに社を出て、供犠(四十九体に分割された贄の肉体)を携えた村人・従者らと合流。宮司が鐘を鳴らしながら行列を成し、酒内湖を取り囲む霊道に入る。
巫女は祈祷しながら霊道を一周する。後に続く村人・従者らは、切断した贄の肉体を手首から順に、腕、脚、肩、胸、腹、耳、生殖器、頭...と、湖の神木に捧げるべく釘へ打ちつける。
更に儀式の際には行列の進む方向を左回り。すなわち、逆時計回りしなければならない。
所謂、逆打ちである。百年の一度のこの日は時計とは逆の方を回ると定められていた。
こうして巫女と宮司らの列は湖の霊道を逆打ちにして巡り、百年祭は終わりを告げる。
こうして、次の百年祭へ世代を通して祈祷を託すのだという。
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--- 結 ---
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筆者は酒内村の本来の由来は逆打ちの“さかうち”なのではないかと考えている。
一般的に読むと“しゅない”だが、“さかうち”とも読める。
儀式の際に逆打ちをすることから、そう読めてもおかしくはない話である。
また、今回の取材や調査により、よりよい研究ができたと考える。
私事ではあるが、今回で取材した“朔”と名の四十歳ほどの女性とはとても親睦を深められた。
今度の百年祭に呼ばれたほどである。行かない手はないだろう。
(鹿狩亨)
原文を著した鹿狩亨の行方は今も見つかっていない。
当社はこの本文を出版するか迷ったものの、どこかの熱い支援により、こうして貴方の手にある。
協力された神宮寺家の皆様や他の方々に改めて深く感謝を伝えると共に今もどこかにいる鹿狩亨が生きていることを願う。
(藤村龍生)
2010年 鹿狩亨 原文
2023年 藤村龍生 編集・改変
天命社 出版
__※本作品はフィクションである__