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〖第六話〗 記録の書と"失われた記憶"
神殿の書庫、その奥にある封印の間。
リィナは膝を抱え、本を胸に抱いたまま、じっと座り込んでいた。
空間の揺れも、魔法陣の光りも、全てが静まり返ったあと。
そこにはただ――一冊の本が残された。
けれどそれは、もう"ただの白紙"ではなかった。
リィナが名を告げたその瞬間、本は"彼女の書"となり、ページのいくつかに文字が浮かび始めていたのだ。
《|記録者《クロノグラフ》――記す者、綴る者、記憶を編む者》
《言葉に魔素を。想いに力を。記されし記憶は、再び世界に響く》
《起動条件:想起・再現・記述》
読み進める度に、頭の奥がじんじんと痛む。
それでも、リィナの目は釘付けだった。
魔法は、唱えるだけではなく"記す"ことで生まれる。
それは、これまで神殿で教えられてきた教義とは少し違う、不思議な理論だった。
「……シオンさん、これ……わたし、持っていっていいのでしょうか」
小さく呟いたその声に、答えはなかった。
だが、不思議なことに、本がふわりと宙に浮かび――そのまま、彼女の胸元へとすっと納まった。
――持ち帰れ、と言っている様だった。
まるで、この本が意志を持っているかのように。
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その日の夕刻、リィナは誰にも気づかれないようにそっと封印の間を出た。
その夜、寝床でこっそりと本を開いてみる。
最初の数ページは変わらず、記録者についての説明だったが――途中の、ほんのわずかな空白に、ひとつだけ新しい行が現れていた。
《想起:失われた記憶より、一つを選べ》
ページが勝手に捲れ、ぼんやりとした映像が浮かぶ。
"砂の上に佇む塔。"
"翼のある影が、空を滑空している。"
"青い光の紋章。"
それらが夢のように断片的に見え、次の瞬間――リィナの視界に白い光が溢れた。
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――気づくと、彼女は"記憶の中"にいた。
砂に埋もれた塔の内部。天井が高く、壁には星図が刻まれている。
そこに立っていたのは、銀色の髪をした少年だった。
彼は振り返り、まっすぐにリィナを見つめた。
「……やっと、来たんだね。"次の記録者"」
「え……あなたは……」
「名はもうない。記憶の欠片に過ぎない。だが、君に伝える言葉がある。」
少年の姿は、光とともにぼやけていく。
「この書は、過去を繋ぐもの。知の継承を許された者にしか渡らない」
「君は"選ばれた"のではない。"応えた"のだ」
「書いて、記して、綴りなさい。そして、忘れられた世界を再び……」
――そこまで言いかけて、光が弾けた。
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リィナは、はっとして目を開けた。
屋根裏の天井が、いつもより遠く見える気がした。
胸の本は、静かに輝いていた。
「……記憶を、再生できる?あの本が……?」
彼女の手が震えた。
けれど、その震えの中には、恐れよりも――興奮と、希望があった。
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翌朝、神殿の書庫でリィナはシオンの姿を見つけた。
彼は何も言わず、ただ静かに彼女の顔を見つめる。
「……何か、見たんだね」
「……はい。記憶の……断片。知らない塔。空を飛ぶ影。そして……」
「……そして?」
「……"書くことで魔法になる"という、言葉」
その瞬間、シオンの瞳が微かに揺れた。
「……お前も、その本に"認められた"か」
「……シオンさん、知っていたんですか?たの白紙の本のこと」
「少しだけな。だが……もう誤魔化すつもりはない。いずれお前には話すべきだと思っていた」
そして、彼は言った。
「リィナ。今日から君には、"記録者の修練"を始めてもらう」